小説 | ナノ
バレンタインの日を迎えてから明らかに丸本の様子がおかしい。
職員室で書類を提出した帰りの人気のない廊下を歩く。きっと、生徒会のメンバーは皆帰ってしまっただろう。…もしかしたら、丸本も。
バレンタインの日も何も言わずに先に返ってしまったし、今日は一度も話しかけられなかった所か、いつもの眼鏡の端を引っ掻く素振りにすら気づかなかった。
おかげで鞄の中に忍ばせておいた彼への菓子は渡す機会無く底で静かに眠っている。

何をやらかしてしまったのか――と、自分に問うまででも無い。
自分がお願いした訳では無いが、バレンタインの受け取りの代理、それをやらせてしまった事が原因だというのは何となく察しがついた。

そりゃぁ男なら誰だって他の男へのバレンタインチョコ渡しの代理なんて嫌だろう。
でも、丸本はそんな事で怒る様な質では無い、と思うのだ。
あれが原因ではあっただろうが、他に気に障る様な事を…――

(ああ、去年のバレンタイン、後半受け取るのを断ったっていうの…軽蔑された、とか)

有り得る。そっちの方が有り得る。
さぁあっと血の気が引く感覚がした。
最低な奴だと、そう思われてしまったのだろうか。
弁明のしようが無い分、どうすれば良いか分からない。
どうしてそんな事を言ってしまったのか、いやそれよりもどうして去年自分は全部受け取らなかったのか。
そんな事を今更悔やんでもどうしようもない。
一体どうやって名誉挽回をするべきかとふらふらと生徒会室のドアを開けた。

日が暮れて部屋の中は薄暗いが、必要な荷物を取りに来ただけなので明かりを付ける必要は無いかと自分の机に手を伸ばした。
やはり丸本は帰ってしまったかと嘆息しながらプリント類を纏めてトントンと整えた時、ふと微かに音が聞こえた気がして身を強張らせる。

――人の泣き声の様な…。

いや、声というよりは、引き攣れた息の様な…しゃくりあげると言った方が良いのか。
怪談は余り信じていないが、薄暗い学校というのは不安を煽るのには十分すぎる効果がある。
それもこの部屋の中で聞こえた様な、と益々嫌な想像が膨らんでしまう。
さっさとこの部屋を出よう、と思った時、また微かな吐息が聴こえた。
今度は確実だ。聞き間違いでは無い。それもどちらから響いて来たかもわかってしまった。

おそるおそるそちらの方に顔を向け、1歩踏み出す。
止めろと本能は言うのに、このまま帰れば気になって夜も眠れない気がした。
それに、もしかしたら何か別の(他に一体どんな要素があってこんな音が出ているのか分からないが)物が出しているただの音かもしれない。
怖いもの見たさ、という馬鹿な気持ちに後押しをされ、じりじりと距離を縮め――息を呑んだ。

それは恐怖だからでは無く、想像していなかった人物がそこにいたから。


「丸本…?」


声を掛けた途端、びくりとその身体が動いた。
ぎゅうっと腕の力を強め、怯える様に縮まる丸本の身体は微かに震えている。
まさか体調が悪いのかと慌てて膝をついて覗き込む。


「どうした?どこか痛いのか?保健室に…いや、もう閉まって「ごめ…なさ」…丸本?」


微かに漏れた謝罪の言葉に何を謝っているのか分からず、距離を縮めようとした時、カサリと指先に何か当たった。


「?」


下を向いてみれば、それはバレンタインのお菓子の包み。
良く見てみればそれは指先に当たった物だけでは無く、丸本を中心にして散乱していた。
それはまるでやけ食いの後の様で…――


「ごめ、なさ…っ」


震えながら紡がれた言葉にはっと我に返る。


「食べた事を謝ってるのか?別に気にしなくて良い、元から皆で食べる予定だったんだ。むしろ先に食べてくれて助かる――」


そこまで言って慌てて口を閉じた。
この言い方では軽蔑されるだろうか、人がくれた物なのにと。
しかしだからと言ってここで丸本を責める事は出来なかった。そもそも責める気など微塵もない。
どうするべきかとうろうろと目線を彷徨わせ――ふと手に持っている包み紙に目が行った。
市販の一口サイズのチョコを包んでいたものらしく、金色の紙に黒でロゴが打ってある。
もう少し離れた所にはそのチョコの物らしき箱がひっくり返り、中身のある物が数個散らばっていた。
その文字の羅列と、ロゴタイプにふと既視感を覚える。

――どこで見た…?

記憶に残っているという事は、何かしら特別なチョコだったのではないか…と思った瞬間、瞠目する。
いつだったか忘れたが、以前放浪癖のある叔父が家に遊びに来た時の事だ。
母親の兄である叔父は、ふらふらとあっちにいったりこっちにいったり、国内にいたと思ったら知らぬ内にやれインドに行って来た、オランダに行って来ただのと一所に留まる事の知らない人だ。
その事を疎ましく思われないのは風来坊でありながらも人好きのする性格のお陰だろう。
ある時、叔父はニヤニヤと下卑た笑いを、整った、しかしどこか軽薄な顔に浮かべてある物を見せて来た。

『おいハルト知ってるかぁ、このチョコ。普通のチョコじゃないんだぞ、媚薬入り。び・や・く。
ガラナチョコっつってな?食べるとイイ気持ちに…おい、ハルト聞いてんのかコラ。おい、結構値段したんだぞコレ。話聞いたら少し分けてやっても――おい、おいこらハルト、叔父さんの話を聞けー』

またいつもの外国の土産話の一つかと余り気にせず適当に相槌を打っていたのだが、まさか再び目にするとは。
それもここにあるという事は誰かが自分に向けて送って来たのだろう。多分、効能も分かった上で。
食べて欲情した自分をどうするつもりだったのかと思うだけでゾッとしたが、今はそれについて考えている場合じゃない。


「丸本、丸本。お前、これ食べたのか?」


取りあえず確認を、と話しかけたが、ビクリと身体が強張り更に震えながら謝るだけだった。
もしかしたら意味の分からない状態に身体が追い込まれてパニックになっているのかもしれない。
それならばまず落ち着かせてやらないと。
そっと縮まる丸本の背中に手を回し、耳元で一言一言ずつ区切りながら話しかける。


「丸本、あのな。お前が食べたチョコに、もしかしたら…その、身体に影響が出る成分が入ったチョコがあったかもしれないんだ」

「えいきょ…?」

「あー…その、媚薬…効果、らしい」


食べた…か?と再度聞いてみると、コクリと小さく丸本の首が縦に振られた。




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