驚いた事に、彼女のような女の子は結構いた。
廊下を歩くごとに名前を呼ばれたり、「丸本君っている?」と声を呼び出されたり。
最初はクラスの男友人らに妬ましそうにされたが、事情が分かってからは僕が女の子に呼び止められたり呼び出されたりする度に憐みの目で見られる。だって本当に全部が全部先輩あてのチョコだから。
それにしても平凡で余り記憶に残りにくいだろう僕を探し当てる程の彼女達の執念と言ったらすごい。
名前を間違えられたり、「丸本君呼んで」と僕に言われたりするけど、それでも僕を探して関わろうとする事がいつもならばありえない事だ。
生徒会のメンバーとしてすら認識されていなかっただろうに…きっと今日の僕は先輩のチョコ運び係にでも見えているんだろう。
昼休み、大量に受け取ったチョコを取りあえず生徒会室へと運ぶ事にした。
両腕で抱えても零れ落ちそうなそれをそのまま持って行こうとすると、親切な友人が紙袋を貸してくれたので、紙袋を片手にぶら下げて廊下を進む。
それでもずっしりと重みがあって、先輩はこれを全部一人で食べきれるのだろうかと心配になった。
貰えない事は余り気にしていないが、増えるチョコの数にどれだけ先輩が女の子にモテているのかが分かってそれで落ち込む。
生徒会室の前の廊下に辿り着いたら、反対側からふらふらと誰かが歩いてくるのが分かった。
こんもりと山の様に色とりどりの包みの物を腕に抱えている。
「あれ、中塚君?」
「ま、丸本ぉ!」
悲鳴じみた叫びを上げる同じ学年の生徒会メンバーに慌てて駆け寄ると、包みの山を少し分けて持った。
「凄いね、これやっぱり先輩の?」
「そうだよ…どの女の子もみんな芹沢先輩に渡してください!ってさ…俺は1個も貰えなかったのにだぜ?」
げっそりとした面持ちでそう言う彼に苦笑で返し、生徒会室のドアに手を掛け、開けた。
部屋の中には話にあがっていた先輩が既に机に向かっている。
ドアの開いた音に目をこちらに向け――そしてポカンとした様に口を開いた。
「中塚…随分モテるんだな、お前」
「ちっがいますよ!これ全部会長の!!俺のは、びた一文も無し!」
語気荒くそういうと、ドサリと中塚君は先輩の机の上に持って来た包みの山を乗せた。
僕も苦笑しながら包みと一杯になった紙袋をそっと傍に置く。
唖然とした表情を浮かべて、先輩の顔が中塚君と僕を行き来する。先輩のこんな顔、初めて見たかもしれない。
「え…っこれ、もしかして俺のか?」
「そうですよ!廊下歩く度に名前呼ばれて振り返れば可愛い女の子が頬を染めて立ってる!そして今日はバレンタイン!やっふう俺の時代ここに来たり!と思えば「芹沢君に渡してください…っ」ですよ!?」
親切な俺にそれを受け取る以外の選択肢がある訳ないじゃないですかぁ!と泣き喚く中塚君の勢いに押されて、先輩は「わ、悪かったな…いやごめん、本当に」と呟いた。
「もしかしなくても…丸本、も…?」
「はい」
苦笑を返すと、先輩の顔がしまったとばかりに歪んだ。
そのまま椅子に力無く背中を預けると、顔を覆って呻く。
「あぁあ…そうか、今年はそういう戦法で来たのかクソ…」
「今年はって…去年も沢山貰ってたって聞きましたけど?」
「あー…うん、だからさ後半は断ったり…した」
「はぁ!?酷!」
「だってこんなに食ったら当分摂りすぎて俺がどうにかなるだろ…っ」
仕方ないだろ、と言葉は強く、でも後ろめたさからかどこと無く情けない表情で先輩は言った。
本当に困っているのだろう。こんな先輩も初めて見る。
…そして、チョコを受け取る事を余り嬉しく思っていない先輩に仄暗い喜びを感じてしまう自分が堪らなく醜く思えた。
「悪いとは思ってる、けど食べきれずに捨てるよりかずっと良いだろ…。それに、そういうのは好きな人に貰うのが一番だと思うしな」
「うわイケメン論。好きな人どころか一個も貰えない人もいるんですよ!むしろ貰ってから始まるラブストーリーですよ、何言ってるんですか!」
声高にそう訴える中塚君に珍しく狼狽えながら対応する先輩を横目に、僕は上の空でさっきの先輩の言葉を繰り返す。
――好きな人に貰うのが一番。
それはつまり噂の彼女さんの事なのはきっと間違いないだろう。
潤みそうになる目を瞬かせる事で誤魔化し、自分の仕事を始める為に机に向かう。
――ああ、もし自分が女の子だったら。
例え叶わない恋でも、素直にこの気持ちを伝える事が出来たのだろうか。
なんて、考えたってどうしようもない事に思いを馳せた。
その日、悪いとは思いながらも先輩には黙って一人で家路についた。
ああ今から先輩は彼女さんに会いに行くんだな、と思いながら一緒に電車に揺られるなんて、泣くのを我慢できる気がしなかったのだ。
しょげたまま帰ると妹弟達に心配され、一人になればぐるぐると嫌な事を考えてしまう。
休日、バレンタインだったという事でチョコ菓子をせがまれ、気乗りがしないながらも他にする事も無く、気を紛らわせるのに良いかもしれないと、なんやかんやでクッキーやらトリュフやらを作ってしまった。
焼き上がったクッキーと、出来上がったトリュフを見ると、先輩が貰ったチョコの山を思い出してまたじんわりと胸の奥が痛んだ。
そうやって過ごした休日はまったく心の疲れを取ってくれず、そんな状態で挑んだ週初めは散々だった。
授業で当てられてるのに上の空だったり、問題が頭に入って来なかったり。弁当はひっくり返すし、何も無い所で躓き転んだ。
放課後の生徒会での仕事も先輩の顔を見るのが苦痛で、作業に無理矢理没頭しようとする余り、初めて先輩のあの合図をも見逃してしまっていた。
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