01
「リーシャ」
「…………………なに」
名前を呼び捨てにするなと何度も言ったのに全く直さずに横に座る子供にかなりの間を空けて返事をするのにはちゃんと理由がある。
「ちゅーしろ」
「するか」
一言言い捨てると読んでいた教科書に向き直る。
「ちゅーはきらいか」
「………………」
意味のないことだし、意味を理解していないこの子供に説明する義理は既に捨てた。
もし何か言えば大人顔負けの切り返しをされるのは目に見えている。
教科書に集中していれば小学生のランドセルを漁っていたローがこちらに近寄る気配がした。
「じゃあギュッてしろ」
「お母さんにしてもらえば」
「あんなやつははおやじゃねぇ」
まだ小さな子供が母親じゃないと拒絶する姿はかなりシュールだ。
何故ローがこんなにも嫌がる素振りをするのか、それは母親が好かないだけだろう。
リーシャの父親も仕事で単身赴任をしているから月に一回家へ帰って来るか来ないかの頻度。
なので一人暮らしの家はローの母親が預かって欲しいと頼みに来るには丁度良い場所なのである。
ついこの間隣にローの家族が越してきた時の事を思い出す――。
『初めまして、隣に引っ越してきました。この子はロー。私の息子なの』
『トラファルガー・ロー……です』
最初は律儀な子供だと思ったし、思えばあれは猫を被った行動なのだと後から少しずつ分かった。
今なんて平気で母親の悪口やら何やらで口の悪さを思い知る。
そして、リーシャに異様に懐いた彼の言動に驚いたりもした。
本当に小学生かと疑ってしまう程、頭が回るしおまけに口が達者にして積極的過ぎる。
「今日はねんどでつくった」
(こーいう所は子供らし)
「じんたいもけい」
「くないな……てか、人体模型って」
先生は何をやっているのかと心配になるとローは隠れて作ったと言う。
最早どこから突っ込めばいいのかわからない。
自分が普通らしい普通の子供ではないと自覚しているのか問い掛けてみると。
「さいきんのおとなは子どものことをしったふうにいうけど、子どもは子供らしくってことばをおしつけてるだけだ」
「…………ませガキって言われても知らないから」
「ほんとーのことなんだからしかたねぇ」
最近の子供は皆こんな感じなんだろうかと思ったが、ないない。
このローが飛び出てるだけだと見なくても分かる。
「で、その人体模型はどこに?」
「せんせーのくついれの中」
「悪質ー……」
だが、子供は子供らしくの言葉は確かに実行している。
悪戯は言葉だけに許された期間限定の行為だと思うが、どう考えてもローには別の不純な動機が働いているような気がした。
「だって“ぼく”せんせぇがきらいだから」
「…………………………」
「あのおんながおれをばかにしたからむくいだ」
白々しく子供を演じるローに呆れた目を向けるとスラリと本音と悪態が露呈した。
何とも器用な性格だと思いつつ再び宿題に取り掛かる。
「おれをほうちするな」
「放置なんてしてない。宿題しなきゃならないんだから今は何もしてあげられないだけ」
「……りかいした」
理解した割にはむくれながら部屋の向こうのロー専用の子供部屋へランドセルを抱えて去っていった。
全く可愛くない子供もいるものだと溜息をつく。
と、背後に影が射したような気がしたので後ろを向くといつこっちに戻っていたのか、ローが真顔でリーシャを見ていた。
「なに?」
「しゅくだいするんだろ」
「そうだけど……っ」
答えを言い終わる前にローがいきなり背中に抱き着いてきたので息を呑む。
「うんめーのあかい糸でおれとおまえはつながってるんだ」
「いきなり、なに……」
「おれはぜったいにてにいれる、リーシャ」
子供のくせに、いっちょ前にクサイ台詞を吐く。
とか思うのに、心臓がドキドキといつもより早いことに悔しくなる。
子供なのに、幾つ年が離れてるかローは知っているのだろうか。
「…………………赤い糸じゃなくて鎖で縛られてる気がしてならないんだけど」
「じゃあ、あかいくさりでおのぞみどうりにしばってやる」
「望んでなんてないです」
ギュッと更に抱き着く力が強くなるのを感じたけれど今回は逃げないで抱きしめさせてあげた、あげただけだ。
ちゃんと言わせてもらうとローが年下でリーシャが年上だから譲歩しただけ。
(今のうちだけ……だし)
心の中で自分に言い聞かして無心にシャーペンを動かした。
時折もぞもぞと後ろで小さな体が動いたりしたが黙っておく。
「……………リーシャ」
「はぁ……用件は?」
「しゅくだいがおわったらかいぼうするからな」
「……………………何を?」
「かえる」
するわけがない。
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