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粉や卵、牛乳が大量に置かれているキッチンをリーシャはジッと見詰めると、腕の袖を捲った。
人は気合いを入れようとすると、無意識に袖を捲るのだと改めて考えると、自然と口元が緩く上がる。
「ふふ……久しぶり」
故郷に居た頃はお菓子を毎日のようにしていたが、船に乗ってからは食料の限度を考える事もあって作ることが減った。
今日は事前に買い込んでいた材料があるので、思いっ切り作業に打ち込める。
コックに前から頼んでいて、キッチンを貸してもらい、迷惑をかけないように早く終わらせようとエプロンの紐をギュッと閉めると、小さく「よしっ」と呟いた。
キッチンに篭る事三十分が経過した時、不意に扉が開く音がした。
「いい香りがすると思ったら……」
「ペンギンくん」
ペンギンが扉から顔を覗かせリーシャを見て言ったので、生地を焼く手を一旦止める。
彼は扉を開けたまま中には入ってこずに伝言を預かったと言った。
「船長の機嫌があまり良くないんだが……『早く来い』と言うように言われてな」
「あはは、いつもの事だよ」
リーシャは軽く笑うと、後もう少し待ってもらえるようにローに伝えて欲しいと言う。
船長の機嫌が芳しくないと船員達は嘆くが、自分からしてみればいつもの彼と何ら変わらないように思える。
対した差はないのでそれ程騒ぐ事ではない。
ペンギンは「伝えておく」とキッチンから去った。
リーシャは再び作業の手を動かすと、カツカツと少し乱暴な足音が聞こえたので悟る。
(今日はいつもより機嫌が良くないみたい……)
かと言って被害を被った記憶はないので作る事は止めない。
バンッとまたまた乱暴な音を立てて開いたキッチン兼厨房の扉。
振り向く事なくそのまま放置していると、横に人影が並ぶ。
「何もお前一人でしなくてもいいだろ」
「私が、したいの」
「誰かに手伝わせろ。一人で全員分を作る必要なんてねェ」
口調がいつもより荒いのは恐らくリーシャのしている事が納得出来ないのだろう。
「ローくんは食べたくない?」
「……誰もそんな事言ってねェよ」
微かに言い淀む幼馴染みにクスッと笑う。
ローが言いたい事が既に分かっているからこそ諭せる。
卵を溶いて粉と合わせていきながらローに言った。
「今日のおやつ、楽しみにしておいて」
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