08
血肉湧き上がる、湧き踊る……どっちが言葉として正解か忘れた。
つまり、パーティーへやってきたのだ。
この世界では夫婦なリーシャ達だから当然夜会もパーティーも多い。
やはり思っていた事態にあった。
男達は畏怖(いふ)やら怯えた目で遠巻きに見ていて、女達はローに惜しみなく色目を使っている。
そんなに羨ましいなら変わってよ。
まあそれが出来ないからリーシャに彼との結婚というお鉢が回ってきたのだ。
見る分には良くて旦那にするには不良物件、野良犬物件と言った所か。
貴族が純潔の血統証(けっとうしょう)付きの犬で、庶民は雑種で無法者は何者にもならない野良。
良くてボスレベルの大将か。
兎(と)にも角(かく)にも、現代の一般庶民の時の記憶があるので貴族の世界がまるで別世界のように気味が悪く思えた。
一秒でも此処(ここ)に居たくないと思わせる。
海賊が居る世界の貴族は特殊だ。
ローとてこんな場所には本来居ない筈の無法者だ。
さぞ心苦しい思いで苦渋を舐めているだろう。
元々七武海の役割は他の無法者の牽制(けんせい)と力の誇示を見せる役割を持つ。
なので貴族にはそこまで作用しない。
確かに一般人にはあまり害のない海軍の犬だろう、けれど違う。
鎖に繋がれていると見せかけ、いつでも牙を向く準備は整っている。
他の七武海だって、恩恵(おんけい)に浸かっているだけで、海軍を毛嫌いしていないわけではないのだ。
どの人間達も犬を辞めたって痛くも痒くもない強者達だろう。
ローだって一年後くらいには海軍を裏切りあの暑い国へと戦いを挑む。
それも、強力な助っ人(すけっと)を得て。
それに巻き込まれない為にも離婚は必然だ。
ローの弱みになると思われて命を失う事は絶対に避けたい。
出来れば完全に縁を切りたいが果たして敵はそう思ってくれるのか不明だ。
でも、出来うるならば離れた所で手の届きにくい場所に家を移して住みたい。
マリージョアとかはどうだろうか。
でも、天竜人が居るし、会うのは嫌だ。
悩んでいるとダンスの曲が流れ出した。
それに合わせて同じくパーティーの端で壁と同化していたローが「行くぞ」と述べる。
この為の妻なので仕方がないと黙って手を取った。
端に居ても人は全く寄りつかない。
ぽっかりと此処(ここ)だけ周りに何もないし、誰も居ない。
まあぶつかる心配もないし、話しを聞かれないので楽ではある。
そして、誰もリーシャに話しかけてこなかったのは今世の自分の悪女っぷりのせいだ。
噂をしている者も居るに違いない。
使用人を全員クビにしたのも悪役令嬢の世迷い言だと思われている事だろう。
それでこそ計画通りだと安堵する。
踊っている間に思案にしていた事が分かったのか、ローに声を掛けられた。
「お前は俺の事を恨んでいると思っていた」
(別に間違ってないけど)
まるでそれは間違いだと言われているようで眉根をしかめた。
それをどう捉えたのか、見当違いの返事が来る。
「勘違いされて怒ったか?」
怒ってないし勘違いでもない。
正反対に食い違いが起こっているが、訂正するのもおかしいのでしなかった。
彼はどうやら嫌われていないと思っているらしい。
呆れる。
「そうカリカリするな」
だからしてない。
「旦那様、お言葉にお気を付け下さいませ」
暗に黙れと言うとクスクスと笑うロー。
何を笑っているのだこの勘違い大魔王は。
もしかして、恥ずかしくて黙れと言ったと思われているのか?
そうならば何を言っても墓穴を掘るのみだと内心溜息を吐いた。
ダンスが終わると水を飲みたくなってウエイトレスの格好に似たボーイに水を貰う。
ローとは少し離れてしまったが彼も良い大人だ、平気だろうと一口水を含む。
こくりと喉を動かした途端にパシャリと跳ねる水音が耳に聞こえた。
正面を見据えるとクスリと悪意の満ちた笑みでこちらを見ている令嬢が視界に入る。
パーティーお約束の洗礼、というよりただの嫌がらせだろう。
「あらあら、御免遊(ごめんあそ)ばせ。大切なドレスにワインを零してしまいましたわ」
「……お気遣いなく。直ぐに帰るので」
「まあ、トラファルガー様はまだ居続けるようですが?」
「貴女がワインを零したのなら帰る理由は分かっていますのよね?なら代わりに説明してもらえるかしら、皆様に」
どうやら彼女はローが目当てらしい。
謝るから夫にも会わせろという魂胆(こんたん)ですね、分かります。
だが、そうはいかせない。
ここまでしたのなら相応の裁きを与える。
「っ」
忌々しげに顔を歪める。
こっちが歪めたいんですけど。
何か言おうとする相手の令嬢の声を他の声が遮(さえぎ)る。
「貴様!誰に向かって言っているのか分かっているのか!?」
これはリーシャに向けての言葉ではなく、向こうの騒動の怒声(どせい)だ。
こっちもあっちも今日は賑やかだ。
疲れる。
しかも、怒鳴った貴族の相手はローだった。
疲れる。
大切な事なので二回言う。
酷い日だ今日は。
もし止めなかったらローが相手にどう対処するか予想出来ない。
もし此処(ここ)で不祥事が起きたら離婚が遠のくのでフォローしに行く。
やれやれと人混み、野次馬を押し退けて向かうと騒動の中心へと出た。
相手は顔を真っ赤にして中傷(ちゅうしょう)を言い出す。
「だから貴族のパーティーに野蛮(やばん)な輩を入れるべきではないと唱(とな)えたのだ!」
「じゃあその異論を今すぐ言いに行けよ、海軍のお偉方(えらがた)に」
「ぐう!」
「まァそんときゃお前が潰されるだろうなァ?明日には貴族達の間で過去の存在になってるだろうな」
「っ、言わせておけばっ」
今にも殴り掛かりそうな相手に呆れる。
我を忘れているからか、彼は相手を誰だか判断出来ていない。
止めといた方が身の為だ。
攻撃したら最後、瀕死(ひんし)にされるだろう。
「失礼させていただきます」
一発触発の雰囲気に場違いの言葉を入り込ませる。
ん、と言うような顔でローはこちらを向く。
「何だ貴様は!」
そんな悪代官のような台詞を人はフラグと言うんだよ君。
「そちらに居(お)ります彼(か)の王下七武海、トラファルガー様の妻でございます」
王下七武海の言葉に肩を大袈裟な程震わせる相手にやっと話しが出来ると落ち着く。
「どうか今し方の粗相(そそう)」
手に持っていた水が入ったグラスを頭上に掲げて、
−−パシャッ
「なっ」
逆さまにして自身の頭からぶっかける。
相手の貴族の唖然とした顔が見えた。
こんな程度で驚くなんて小心者というのが丸分かりだ。
「これで許してもらえないでしょうか?」
最後に令嬢スマイルを一つ。
相手は引きつった顔で何も答えない。
無言は肯定と受け取る。
これにて終了だと息を一つ吐けば、その途端、浮遊感に見回れた。
突然の展開に上を見上げるとローが前を向いて歩き始めている所だった。
野次馬がモーゼの海のように割れるのを見ながらグラスがいつの間にか手元に無い事に気が付く。
「旦那様、私のグラスを知りませんか?」
「適当に入れ替えた。誰かが持ってるだろ」
入れ替えたと言う言葉に一瞬はて?となるが、そういえば彼の能力にそういったものがあったようななかったような、そんな記憶がぼんやりと甦る。
思考の波に揺られていると彼の足がコンパスだからなのか、部屋の一室へと連れ込まれていた。
「あら、お早いですね。パーティー会場から離れていたのに」
「能力だ」
また能力を使ったのか。
こちらも薄々蘇ったのだが、彼の能力は使えば使うほど能力者の体力が減っていくのだという事を思い出す。
夢小説にも本作にも詳しい消耗の度合いが詳しく説明されていなかったので、彼が疲れているのか疲れていないのか判断し辛い。
そうやって考えに身を委ねていると体がやっと降ろされる。
そう言えば何故此処に連れてきたのだろうか。
「何故あんな事をした」
「あの時既にドレスは汚れていたので水に濡れるくらいどうって事ありませんわ」
「そういう事を聞いてるんじゃねェ」
「はぁ……でしたらどのような理由をお望みで?理由が欲しいのならば付け加えますわよ?」
実は、一度でも言いたい言葉ランキングに食い込んでいた台詞だ。
かっこいいと思ったので、ローの台詞を置き換えて使用した。
ルフィを助けた時に言った言葉だと記憶しているが、結構使いどころがある。
そして、肝心のローだが、そう宣(のたま)った途端にハッとした顔になる。
流石顔芸だ。
「それもそうか……」
どうやら今の言葉は効果的だったらしい。
そりゃあローですら理由を求められる事を億劫と思っているのだから、相手から言われると納得せざる終えないのだろう。
まあそれを見越して言ったのだから計画通り、思惑通りと言った所か。
しかし、次の言葉で思考は乱れる事になる。
「取り敢えず脱げ」
「断る」
「…………?、早く脱げ」
今の『断る』と言う言葉がリーシャから出た事を怪訝に思ったようなローの顔は直ぐさま切り替わる。
でも、だからと言って従う訳ではない。
「旦那様、余程変態なりたいとお見受けいたします」
その発言にギョッとしたローは「は?」と眉を下げる。
下げたいのはこっちだバッキャロウ。
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