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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

リーシャは今、ひたすら走っていた。
息が何度も詰まりそうになっても構わず廊下を走って外を目指す。
不思議だ、あんなに外に出たがっていて、甲板に出られたとしても出れた心地か全くしないのだから。
船員達と偶にぶつかるけれどどうでも良かった。

「おい!時期に潜水するぞ!」

恐らく外に出るなと言っているのだろうと頭の隅で理解はしていた。
けれど、足は止めずに甲板を目指したのは今止まると何かが溢れ出してしまいそうだったから。
どうして目が覚めないのだろうと自分をとても叩きたくなった。
どうして嫌な悪夢しか見続けないのだと己を卑下した。
何度も責めて、何度も悔いて、何度もローと出会う前に戻りたいと願ったのに、自分の夢は都合良く時間を巻き戻してはくれない。
どうして夢なのに痛いのか。
悪魔の実だってあんな欠片程度でも不味かった。
人に気圧されたら怖いし、刃物を目の前に突きつけられれば恐怖が心を支配する。
でも、クローウィとて夢の中の存在しない筈の人間なのに、己を夢の中の人ではないと否定をわざわざするのだろうか。
リーシャは認めたくない事実から目を背けたかった。
クローウィに言われたから知ったのではない。
クローウィに言われてそれが事実だと認めざるおえなかったのだ。
自分とて夢しか抱かない子供ではない。
此処が現実か夢かくらいは前から理解していた。
けれど、自分の知り得る知識とこの世界の原理や常識、武具に武器、筆記用具や電話が全く違うから夢だと認識した方がずっと楽なのである。

「はあはあはあ」

外へ出ると海は荒れていた。
新世界は荒れやすいと聞いていたからある程度予測はしていたが、お誂え向きな天気だ。
もう何も考えたくない、何も感じたくない。
甲板は濡れていて滑り易く走り難いけれど何とか端へ辿り着く。

「此処は、私の夢なんだから」

言い聞かせるように足を掛けて海へ。
ドボンと自分の耳が音を拾いやっと飛び込めたと安堵。
恐らく嵐で潜水するから見張りは居なかったのだろう。
自分は幸運だ。

「ふぐ!」

でも、息が続く訳もなく反射的に上へと泳いで空気を求める。
今は船からもっと距離を取らないと。
覚束ない手足を必死に動かして泳ぐが海が荒れていて上手く進まない。
それから五分くらいは経過した頃だろうか、誰かに呼ばれた気がした。
後ろを無理矢理に見ているとまだ視界に黄色い潜水艦が見える。
その一部の所に人が集まっている気がするが、もしかして自分が海に飛び込んだ事に気付いてしまったのかもしれない。
しかし、その声に返すことも来ないでと言う体力ももうない。
適当に足を動かして前へ進むのが今の精一杯だ。
何かまた声らしきものが聞こえるが荒れている海がリーシャの体力を削りもう足もまともに動かない。
その折り、隣に何かが飛び込んできた。
驚いて横を見ると苦しげな顔をしたロー本人が沈んでいくのが見えて目を大きく見開く。
どうして此処へ居るのか、何故カナヅチなのに此処へ飛び込んできたのか。
唖然としていると彼はやはり沈んでいく。
辛うじて浮いているが顔が海の中に入ったまま動かない。
このまま放っておけば目の前で死ぬのは一目瞭然。
リーシャの事なんて放っておけば良いのにこの男はわざわざ危険な海へ来た。
海へ入ればどうなるか等賢い彼ならば理解しているだろうに。
バカな男だと脳裏に浮かぶ。
己はまだ手が動くのでローの体を仰向けにする。
これで呼吸が出来る。
水を飲んだのか咳込む相手に冷たい目を向けると男は目を薄く開けその瞳をこちらを見た。
何も言う気力も無い。

「はァ……おれに捕まっておけ」

ベルトと自分の手を挟めと言われて何故そんな事をと悪態をつく。
わざわざ助かる理由も無い。
船もどうやらこちらに来ているらしく、彼だけ助かれば良いではないかと思った。
船から降りる為に飛び込んだのに何故また戻らねばいけないのか。
ローに貴方だけ生きて引き上げられれば良いと告げるとローの口元が歪む。

「お前を失う訳にはいかない。何の為にお前におれを憎悪で染まらせて生かしたと……思ってる……はァ、く」

クローウィがこの世界は夢では無いと言った。
夢でなくともこの世界が自分が居た世界ではないと言うのは確実だ。
つまりは、どっちの意味でもリーシャの世界は別にあるという事になる。
そうなると帰れる可能性もあると考えても良いだろう。
そうなるとこの世界から魂でも何でも離れさせれば良いのではないのかと考えた。
どんな理由でこの世界に来たのかさえ分かっていないが、来たのが唐突だったので帰るのも唐突でいけるのではないか。
海の中に飲み込まれる頃には既に意識も朦朧としていた。
最後に見る人間がロー本人とは何と皮肉な終わり方なのだろう。







「おい、おい、起きろ」

誰かに揺り起こされて目をぼんやりと開ける。
その瞬間、胃からせり上がる何かに口が勝手に開く。
酸っぱい、辛いものも一気に来た。
ゲホッと喉が塩辛く咳込むと苦しさに手を喉に当てる。
あまりの苦しさに目を見開くと見覚えのある男が居た。
まさか、とそれを一番初めに思って信じたくないと思った。
此処は自分の知識を活用している中の内ならば天国でも煉獄でも地獄でもない。
となればこの世にある場所という事になる。
目を気怠げに周りに動かして状況を把握しようと努めて情報を仕入れようと眉を寄せた。

「私は、今貴方がとても憎くてたまらないです」

ローを睨むと彼はニヤッと笑い当然という風に受け止めてくる。
それに苦々しくなると目を逸らす。
何故睨んで恨んでいると言うのに笑うのか。
ムカつくし、何故生きているのだ。
起きたら元の世界に戻っていると思っていたのでガッカリで、その落胆は半端ないものである。
ローの帽子が無いのを見ると船に置いてきたのか、海に流されたのかのどちらかだろう。
帽子の無い状態は珍しいのでつい目に付く。
その視線に気付いたローがこちらへ向いてどうしたと聞いてくる。
何でもないと返す。
本当は無視して居ないものとして扱いたいが、無駄に話しかけられるのも嫌なので適当に話した。
ローは帽子がない頭を手で撫でつけるとリーシャに此処が無人島である事を告げると立ち上がる。
そして、自分にも立つように言うので何故言うことを聞かなくてはいけないのかと険悪に感じた。
ローの言う事が何もかも嫌だ、普通に聞きたくないし、彼の思い通りになりたくない。
ローはその反応を分かっていたのか徐にこちらの傍に手を寄せてグイッと手を掴み前へ引く。
その勢いで肩に担がれて驚くが、慌てて押し返す。
何故担がれているのか、というか気安く触らないで欲しい。
そんな小さな抵抗は何とも思っていないのだろうか、スタスタと歩き始める。
話してと言うが聞いている気配もないので聞き流しているのだろう。
こんな只の女の抵抗なんて痛くも痒くもないのだろうと悔しくなる。
そこで髪が見えて無造作に引っ張ると流石に頭皮はダメージが通るようだ。
痛ェと顔を苦痛に歪めるのを見るとやり返した感で優越を感じた。
普段は上手に回られているので少しでも勝てる要素があるならば積極的に攻めていきたい所だ。
したり顔で引っ張っているとローにやっと降ろされる。

「私に触らないで」

それだけ言うとローは暫し黙って何かを考えているようにこちらをジッと見てから付いて来いと言う。
絶対に聞きたくない命令だ。
無視をしてローが行こうとした方向とは別の方向へ歩き出す。
だが、足を二歩程動かすとローによって腕を掴まれて立ち止まる。
だから触らないでと言った筈なのだが、という心境でギロ、と睨むとそそくさと手を離す。
そのまま行こうとすれば待てと言って如何にリーシャが駄目な行動をしているかを説明してくる。
この島にはどんな生き物が居るのかまだ分からないし、危険であるとか。
一緒に行動したら危険はないだとか、此処へは何か凌げる場所を探しに来たとか色々言ってくる。
けれど、彼とは居たくないのでそんな理由や理屈を並べられても白々しいと思うだけ。
一番危険なのはロー本人だと自分は良く理解していればそれで十分なのだ。

「自分の夢に傷つけられるのはもう無いです。夢なのに消えてくれないのはとても不本意ですがね」

ローにもう構われたくないので突き放すように言うと彼はこれでもかと眉を顰める。
相手が何か言う前にザクザクと足を鳴らして目的の無い散歩を始めた。
餓死だろうが、衰弱だろうが、兎に角元の世界に戻れるのならばそれを待つのみ。
横を見るといつの間にかローが横に並んでいたので余計に機嫌も悪くなり眉間の皺が深くなるのを感じた。
どうして放って置いてくれないのだと苛々。

「何か嫌な事があったのか」

そんなの前々からあると心の中だけで返事をする。
何故その言葉に答えなければいけないのだと胃がムカムカして無視を決め込む。
ローは返事をしていないのを良い事に次々聞いてくる。

「クローウィから何か聞いたのか。それともこの世界が夢じゃなく現実だと聞いたのか」

その的を得た言葉にピタッと足を止めて俯いた。
何故その内容を把握して知っているのか。
まるでそういう事をクローウィが言う事を知っていたかのような。

「やはり、クローウィさんとは結託していたんですね。益々見損ないました」

元々彼の株も底辺だけれど。
心底軽蔑したと言う目で見るとローは溜息を吐いて違うと首を横に振る。
けれど、別にどんな理由だとしても納得もしなければ良しともならない。
ローが黒と言っても黒にはならないし黒だとも感じない。
黒と思うのも嫌になる。
どんな答えでもどうでも良いと言った方が簡潔な気持ちだろう。

「この世界はお前にとってもおれにとっても魔女屋にとっても現実にしかなりえない。お前の夢は夢じゃないんだ。前にお前が船に乗ったばかりの頃、異世界の事について研究している奴の論文や研究の内容を読んだ」

ローの告白に意固地になっていた心が動揺して聞き耳を立てる。
どう思ってもそれは無視出来ない内容に思えた。
直感でも聞いた方が良いと感じているから聞き逃してはいけない話しなのだとローを見ずに歩き続ける。

「異世界に来た奴を数人保護した奴らの機関の資料だ。そこには、お前にとってもかなり重要な事が書いてあった」

ドクドクと心臓が緊張で速まる。

「異世界から来た奴の殆どはその経緯を覚えていないが、辛うじて当時最年少だった少女がこの世界から来る経緯やその時の気持ちをうろ覚えで言ったらしい……全てがどうでも良くなった、ってな」

「それは、絶望したという事ですか」

ごくりと息を飲む。
リーシャは絶望した記憶なんてない。
今だって帰りたくて帰りたくてこんなにも頑張って帰り方も探しているのに。
解せないその内容に認められる訳も無い。

「殆どの奴は記憶も無いからお前もその時の記憶は無いんだろう。医学的にも人は記憶を自分で封印するというものがあるからな。世界に来る時に無くしたのか、徐々にその記憶は無くなるのか。どちらにせよ、元の世界に居たくなくなる程のことがあった奴らが来るんじゃねェかって機関ではそう結論付けされてる」

嫌な記憶など無い筈だと向こうの世界の記憶を手繰り寄せても何ら可笑しな欠損は見当たらない。
ローはリーシャが何をしているのか分かったのか止めておけと言う。

「無意味だ。研究機関も色々、睡眠療法や薬での記憶回復を試みたらしいが全く何の結果もなかったと書いてあった。お前が思い出そうとしているのは既に何もない空っぽな記憶だろうな」

「異世界の人間が異世界の人間の何を知っているのかって思います。勝手に世界に絶望しただとか、回復させようだとか。絶望したと分かっていて回復させようとするなんて、やっぱりこの世界の人間はろくでなしでイカレていてどうしようもないくらい最低なクズで溢れているんですね。よーく分かりました」

結局、リーシャはこの世界とはソリが合わないとしか思えない。
ローと出会わなければきっとこんな事は思わなかったのだろうと思う。
ローはそれを聞くとギュッと眉を寄せて口を開いた。

「おれは、お前を愛してる。それに嘘偽りはない」

「それで私が嬉しいと言うとでも?確率の低い妄想には付き合ってられません」

「やった事は許されない。だが、お前は一向におれや周りを現実と認めず何かと死に急ぐ。おれはお前を失いたくねェ」

「私の命をどう扱おうが私の勝手では?」

白い目で答えてきっぱりと言うが彼は自分の身勝手なものを譲る事はしなかった。
本当に勝手だ。

「好きな女を置いていける程、出来た人間じゃねェ。おれはお前に生きる理由を作りたかっただけだ。お前が直ぐに持てるのは憎悪だった」

「では、その目論見は成功ですね。おめでとうございます」

皮肉を飛ばすとローは後ろから抱きついてきた。

「もう、それで良い。だから、生きろ」

その言葉が胸に刺さるのを感じた。
ジワッと涙腺が崩壊した。

「うるさなあ。もう、私の事なんて放っておけば良いのにさあ」


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