樹海は文字通り樹海だった。
鬱蒼(うっそう)と茂る密林。
何かの生物の不気味な鳴き声。
クローウィと手を繋いで怖いといったのは彼女なのに彼女よりも怖がってしまった。
その度に「大丈夫よお」「私が付いてるからあ」と何度宥められたことか。
同じ大人の女性として恥ずかしい所を見せてしまったのは失敗だ。
周りの船員達も慣れた様子で全く怖がったりしないし、ベポも眉一つ動かさずに歩いている。
異常なくらいビクビクしている自分が少し情けなく思った。
(って、私は普通の女なんだから怖がっても構わないじゃん!)
改めて考えると正論なのでもうたっぷり怖がる事にした。
怖がってなんぼだ!と開き直る。
けれど、物音一つしようものなら身体が反射的に驚いてしまう。
「リーシャちゃーん。私としりとりしましょ〜」
どうやらクローウィに気を遣わせてしまったようだ。
しかし、その提案はとても有り難い。
「じゃあー、私からねえ。魔女お」
彼女の語尾がなよなよしくて間違いそうになる。
お、ではなくよ、なのだ。
「よ、妖弧(ようこ)」
「コック〜」
「クジ」
「ジンジャー」
「山羊(やぎ)」
「銀行〜」
「漆(うるし)」
「シルクー」
「靴」
頭を捻る。
「ツリーハウスう」
「すいか」
「亀」
「め、めだか……」
と、いった感じでやっていると獣の鳴き声が耳に一層強く聞こえてきた。
周りを慌てて見回すとロー達も立ち止まっていて戦闘体勢になっている。
何か来るのだとそれだけで察せた。
クローウィはのほほんと相変わらずな様子だ。
「あらあら、困ったわねえ。多分囲まれちゃってるわあ」
全く困った風に見えない。
そんなに緊急性のある事態なのか上手く判断出来ないリーシャは戦う事も身を守る事も出来ないので食われるのを待つだけだ。
(死ぬのなら別に食べられたって結果は同じじゃない?)
海で死のうが陸で死のうが元の世界に帰れるのならば歓迎だ。
ぼんやりと思っているとローが緊張を含んだ声で「来るぞ」と告げる。
茂みの中、森の中から一体どこへ隠れていたのだと言う程大きな猛獣が現れた。
それを他人事のように見ているとクローウィが私から離れないでね、と言う。
「ROOM」
ローがいつもの能力でサークルを出す。
シャチもペンギンもベポも走り出してサークルの範囲外に居る獣を攻撃し出した。
クローウィはこちらへ隙を縫ってやってくる獣をステッキを振って退治する。
「トリックオアトリート〜」
彼女の呪文を初めて聞いた。
勿論口調がとても緩い。
聞いていて気が抜けそうだ。
皆が戦っているのを見ていると脳裏に浮かぶ。
どうして私はこんな所に居るのかな。
そして、自分の価値を見失ってしまった。
「リーシャちゃん?どうしたのお?」
クローウィが攻撃の合間に問いかけてくる。
「……クローウィさん、手の力、弱くして……痛いよ」
「ごめんねえ、リーシャちゃん……お姉さん、リーシャちゃんには死んで欲しくないのお」
「あはは、ねえ、クローウィさん。トラファルガーさんとグルなの?」
何故死のうとしている事が分かったのか。
手を離してもらえない理由は考えずとも分かる。
「違うわー。良く聞いて、リーシャちゃん。あのねえ」
「魔女屋!」
ローの遮る声に何だと視線を向ければクローウィの後ろから獣が襲い掛かるのが見えた。
男はそれを知らせる為に叫んだのだと判断したとき、その瞬間身体が自ずと動く。
「だ、駄目!」
人は咄嗟の事に身体が先に動くと言うのを体感した。
クローウィの後ろに移動するのはとても簡単で盾になるのも呆気ない程簡単。
目を閉じて最後の時を待つ。
「シャンブルズ」
しかし、待っていても何も起こらず。
目の前に居た筈の獣は忽然と姿を消していた。
「魔女屋……余所見をするな」
「ごめんなさいねえ。リーシャちゃんも大丈夫う?怪我はなあい〜?」
「……助けないでよ」
目が濁っていくのを感じた。
心が凍っていくのを感じた。
目の前の景色が歪むのを感じた。
助けないで見殺しにして欲しかったのに。
「もう助けないでよおお!」
叫ぶとローがリーシャの腕を掴んだ。
「先に戻る」
船員達に告げたのか、彼は短くそう言うとリーシャを伴ったまま能力で移動した。
三回程景色が変わるとローはそこで移動するのを止める。
目を上げられないまま立ち尽くして居るとローが訊ねてきた。
「死にたいか」
「言ってもどうせ聞き入れてくれないくせに」
ムカつく。
「おれを恨め。その感情がお前を生かす」
「ふざけんな。そんなのただ疲れるだけだ!」
何度もローを嫌いだ恨むだ、と何やかんや言っているリーシャだが、ずっと恨むにしても限界がある。
最近はその感情すら億劫で考えるだけでも疲れる気がしていた。
もう何の感情もいらないと何もかも捨ててしまいたくなる。
「じゃあ、愛せ」
「は?」
恨むの次は愛せと来た。
どういう思考なのだと脳を確かめたくなる。
「好きの反対は無関心。お前はおれをずっと恨んでいた。無関心じゃ無かった筈だ。つーことは、おれを好きになれる可能性もあるだろ」
そんな勝手な理屈が罷(まか)り通る筈もなく、心臓をあれほど弄ばれたのになれる訳がない。
そう常々思っていた。
「おれはお前が嫌いじゃない」
「は?今更何弁解してんの?あれだけ私に苦痛を与えておいて……!」
嫌いではないのなら何故あんな事をしたのか。
もっと普通に接せなかったのか、と頭が痛くなる。
「なァ、おれを好きになってみせろ」
「嫌に決まってる……」
答えようとしたらローの顔が近くにあってキスされていた。
なんという不可抗力だろう。
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