小羊と狼の至近距離問題
「こ、こらー!止まりなさいっ!…あ、や…すいません…止まって下さいぃ〜…」
曲がり角の向こうから裏通りへと駆け込んで来た人相の悪い男と、そいつを追いかける情けない女の声に思わず足を止める。
どうせ引ったくりかなんかだろう…そう考えてすれ違う男から後ろに続く女へと視線を移した俺は、少しの驚きと興味を掻き立てられ自然と口角が上がるのを感じた。
目に涙を浮かべながら、息を切らし顔を真っ赤にして走る女の頭には『MARINE』と書かれた帽子。
緩く結ばれた三つ編みが帽子の下から揺れて跳ねて、自然と目が追ってしまう。
「…なァ、あんた名前は」
「へっ…わ、私ですか!?」
「お前以外に誰がいるんだ」
「あっすいません…はぁ…えと、リーシャ…はぁ…です」
「リーシャか…いい名だ」
「ありがとう…はぁ…ございます、って…いや…あの、すいませんっ…はぁ…お話はまた後でじゃ…はぁ…ダメ、でしょ…か…っ!」
全速力で駆ける女と併走しながら声をかけると、荒く息を吐きながらも律儀に返事を返してくる。
「あんた、あの男捕まえたいんだろ?後で俺に付き合うって約束するなら…手伝ってやってもいいぜ?」
「えっ本当ですか!…って、…はぁ…だ、ダメですっ!…市民の方に…はぁ…そんな…っ」
一瞬顔を輝かせて喜んだリーシャという名の、ガキみてェな女に俺の興味は更に増していくばかり。
ニヤリと笑ってリーシャを追い越すと、そのまま前を走る男との距離を一気に詰めて…地面にねじ伏せてやった。
「えっ!ど、なん、えっ…ぇええっ!?」
「フフ…」
倒れ込む男の背中に腰を下ろして、慌てて駆けつけたリーシャの長い三つ編みを手に取り弄ぶ。
髪を束ねていたゴムを指で弾くと、緩く波打ちながらサラリと落ちる髪の毛。
それを一束手に掬って、リーシャの目を真っ直ぐに見つめながらゆっくり口づけを落とした。
呆けたようにこちらを見ていたリーシャが、途端に顔を真っ赤にして慌て出す。
「ちょっ…!は、離してくださいっ!!」
「海兵は約束も守れねェのか?フフ…さぁじっくり付き合ってもらおうか」
「そっ…そんなぁ!わ、私…約束した、覚え…」
――バタバタバタッ
「………チッ、お迎えが来やがったか」
「…え?」
「おおーい!大丈夫かー」
バタバタと騒がしい足音を立ててやって来たのは、応援なのだろう数人の海兵達。
その中の一人が俺に気付いて慌てて口を開いた。
「ばっ、馬鹿やろう!何やってんだリーシャ!そ、そいつを早く捕まえろッ!!!」
「へ…?いや、捕まえてますけど…(この男の人が)」
キョトンと不思議そうな顔で後ろを振り返ったリーシャに吹き出しそうになりながら、背と膝裏に手をかけて横抱きにした。
「っきゃああ!なっ…!?」
「悪ィな、リーシャ。俺は捕まえられるより、奪って逃げる方が性分に合ってるんだ」
「おいっ!早く離れろリーシャ!!そいつは―…」
「海賊だからな、俺は」
「…え…、ぇえええっ!?ウソっ!!」
駆け出した足は軽やかに
驚いたキミの額にキスをひとつ
(あの…っ!海賊なんて聞いてません!)
(まぁ、言わなかったからな)
(お、降ろしてくださいぃっ)
(海兵のくせに知らなかったお前が悪い)
(!…うぅ)
title / 虫喰い
prev next
[ back ]