日に日に彼の事を思い浮かべる回数が増えた。
彼氏の笑う顔はいつしか怒る時の顔へすり変わり、いつの間にか笑顔が思い出せなくなっていく。
だが、ローは無表情の顔をすぐに思い浮かべられ、それだけで凄く安心感を得られた。
熱に浮かされたようにまた会いたいと思い無意識のうちに彼の姿を探している。
暴力に屈してしまい、疲れ切った心はもう彼氏の愛ではなく恐怖で縛られているとしか思わない。
だから余計に家には帰りたくなくて、うろうろとする。
(電話?)
『もしもし』
『ちょっと渡したいもんがあんだけど家に早く帰ってこい』
『え、うん……』
了解を伝え通話終了ボタンを押すと同時に憂鬱な気分になる。
今彼の気分は普通のようだったが、いつキレるか分からないので油断出来ない。
どことなく優しげだったのは気のせいだろうと思い小走りで道を行く。
やがて家に着き、扉を開けていつもの居間に向かう。
(もしかしたら今までの事)
暴力の過ちに気付いてくれたんじゃないかと期待せずにはいられない。
少し、いや、かなり浮上した感情のままに部屋の扉を向かうと椅子に座った彼が居た。
「おかえり」
「ただいまっ、ねえ、どうしたの?」
興奮しそうな心を沈めようとしても期待が更に膨らむ。
こうして笑顔で迎えられたのはとてもとても久しぶり。
その笑顔に涙が出そうで我慢していると、
「待ちわびてた」
「え?何が?……!!?」
ゆらりと立ち上がった彼の手には、とても頑丈そうな金属バットが。
その光景に絶句し、バットから目が離せない。
「な、何、それ……え、バットなんかも、持って」
何をするのだと聞く前に彼は焦点の合わない目でこちらを見た。
「俺な、気付いたんだ……」
「な、な、何……を?」
「一瞬で楽になれる方法」
俺も後で逝くからと言われ脳裏を過ったのは『心中』。
本能がヤバイと告げるがこんな事態には陥った事のない、普通の社会人になんて、直ぐに行動出来る判断力はない。
後ろに下がれば相手はこちらへ近寄る。
それをじわりとされて、余計に恐怖で頭がいっぱいになってしまう。
「あ、あ、あ……!」
そしてついに重たげな金属バットが降り下ろされる。
「いやああああ!!」
鈍い音がするのだと思っていたのに耳に聞こえて来たのは聞き慣れない金属音。
「てめえ誰だ!!」
「女にする事じゃねェな」
「…………あ、ロー……さん…………?」
恐る恐る顔を上げるともう見慣れた知人が居た。
それに密かに安堵する。
「リーシャ、立てるか」
「は……は、はい」
震える足で立ち上がり彼がバットを刀に見えるもので防いでいるのが分かった。
レプリカだろうかと一瞬でその思考を振り払う。
今はそんな事を考えている場合じゃないと怯える身体に言い聞かせる。
「死にたくないか」
「えっ」
「死にたいのか」
「し、死にたくないです勿論!」
問われ慌てて答えると良い返事だとニヤリと笑うロー。
相手が暴走しているのにその余裕はどこから来るのか。
寧ろとても生き生きとしている。
そんな気がして後ろに来いと言われ、逆らう理由もないので即移動。
そして、そのまま彼は告げる。
「理由は聞くな。俺と来い」
(え、また聞かれた?)
「死にたくねェんだろ……こいつに殺されるか俺と来るか選べ」
かなり究極の選択に迷う必要なんてなくて。
目の前の彼氏だった男を見る。
既に精神はボロボロなのだろう。
「私、この人に付いてく……もう貴方とは生きてけない」
「何だと!殺してやる!」
癇癪を起こす彼にローはまたも攻撃を防ぐ。
「フフフ……俺が見込んだ事だけはある……説明は後で。俺の後ろにある部屋へ入れ」
「へ、部屋??」
そんな事をすれば逃げ道がなくなる。
「もう一度言う……死ぬか俺と生きるか」
「!……い、生きます!行けばいいんですね!」
もうここまで窮地に陥るなら落ちるところまで落ちてしまおう。
それにローの言葉には確信があって根拠も証拠もないが、信じるに値する声で。
覚悟を決め後ろにある扉を開く。
「て、えーっ!何これどうなって」
しかし、開けてみれば二人で寝る部屋であるのに寝具はなく真っ黒な闇が広がっていた。
いつの間に家は魔法の空間と繋がったのだろう。
現実逃避をする暇もなくローが飛び込めと無茶な事を言う。
無理だと恐縮すれば彼はチッと舌打ちして舌を噛むなよと一言添え、
リーシャを突き落とした。
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