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お昼時、マイとヨーコとリーシャは船員達が食堂に集まるのを見越してスタンバイしていた。
今日はバレンタインデーだ。
今までチョコを渡した事が無いので船員達は何も知らない。
今日がバレンタインデーという事は知っているが、貰えるという事は知らないのだ。
厨房でチョコのトレーを出して食堂まで運ぶ。
扉を開けると自ずと船員達がこちらを向く。
初めは何か分からないのか首を傾げる者が多かったが、段々今日が何の日というのを理解し始めてその高揚感は伝染していった。
これがチョコと完全に伝わる前にマイとヨーコは配っていく。
リーシャにも配るように言われて仕方なく「はいバレンタインチョコ。義理ね」と良いながら間を縫う。
男達のその瞬間の破顔した表情は形容し難いものだ。
男らしくもなく女らしくもない。
クリスマスにプレゼントを貰えた子供に例えたならば一番近いかもしれないが。
無表情で配り終えて一応ローも座っているので義理チョコを渡す。
「義理ですどーぞ」
「……もう一回言って見ろ」
「はいはい。三人の女達が一生懸命作った義理チョコですが、何か問題でも?」
義理という言葉に納得がいかないのかローは黙る。
けれど、丹誠込めて作ったチョコを蔑ろに出来ないのか手の中で持て余しているのが手に取る様に分かった。
内心そのふてくされた反応に対して笑ってから離れる。
そんなに本命が欲しかったのかと今更ながらローにしては随分と拘るのだなと思う。
配り終えてから再度部屋に戻りゴロゴロした。
(あの特別って絶対に分かるチョコを渡すなんて思い直せばかなり大胆過ぎる)
渡すに渡しにくい仕様だ。
しかも義理をローに渡したので直ぐに比較して優越感に浸らせてしまう事間違いなしだろう。
悩んで唸っていると部屋に戻ってきた二人に声を掛けられる。
義理を渡したと言うと二人は呆れたように言う。
「まだ渡してなかったの?あんた焦らすタイプ?あの船長さんによく出来るわよね」
「きっと待ってますよ」
二人に言われて取り敢えず部屋に置いて告げずに済まそうと決めた。
厨房から義理よりも大きめのチョコを取り出してから辺りを見る。
ローは今どこに居るのか確かめてから行動しなければ。
鉢合わせは勘弁だ。
コソリと足を忍ばせていると背後から声が掛けられて体が揺れる。
パッと反対を向くとベポだったので安堵。
「どうしたのベポくん」
「チョコ、それ残った分?」
「え?あ、ううん……これは……えっと」
ベポに間違って食べられでもしたらマイ達にお説教をされるコースだ。
どう説明しようかと思っていると背後からまた声が聞こえてきた。
「ベポ、それは俺の本命だ」
「っ!」
「そうだったのか?じゃあ俺諦める。キャプテン良いな」
「フフ、お前も本命が出来たら貰えるぞ」
「うん。メスのクマを絶対見つける!」
ベポが去るのを見送っていると後ろに居るローが横から顔を見る。
「あ、ローさんのご所望の本命です」
「あっちで渡せ」
「ローさんって時々ロマンチストが出ますよね」
その発言は早々に無視される。
受け取らずに部屋に入れと言われて渋々入ってから居住まいを正す。
いつ入っても簡素にまとめられている部屋だ。
本が沢山ある事を除けば。
彼はソファに座ると来いと再び言われちらりと机を見てからサッとその机に置く。
ローが怪訝そうにこちらを見ているのを感じつつ一拍置いてからササササ、と早足に退室。
その間際に「早めに食べた方が良いです」と告げた。
扉を開けてからパタムと閉める。
安堵の息を吐いて任務完了だと気分高めに廊下を進んだ。
だからローの口角がニヤリとしたのは見ていない。
夕刻になる時刻に宛てがわれた部屋で寛いでいるとノック無しに部屋へ誰か来る。
「そう来るだろうとは予期してました」
「へェ、奇遇だな。俺もお前が予期してる事を予期してた」
皮肉的に返されて枕元に置いていた海水入りの小瓶を手に取り蓋を開ける。
実は赤い色をしているのだが、海水だと分からないように赤い花で着色しているのだ。
「何だそれは」
「この前寄った島で購入した色付きアルコールです」
シレッと嘘を付いてからローに視線を投げる。
彼は今ラフな格好をしているのでどこかへ出掛けるという訳ではなさそうだ。
刀も持っていないのを見ると単身で乗り込んできたらしい。
どれだけ余裕なんだこの人は。
ホトホト呆れ掛ける中で、手で着色海水を持ちローに持ち掛ける。
「珍しいですよねこういうの。どうですこれ」
いかにも見せて上げますな態度で何気なく近寄り瓶を彼の首付近に移動させる。
「かなり赤いな。何の着色を使っ……!」
ローが気付いた時にはその瓶は彼の首筋を濡らしていた。
ポタポタと瓶から垂れる海水は床にシミを作る。
そんな事は特に気にならず、達成感に浸っていた。
「まさか、海水か……?」
「嫌な予感、したようですけど、今回は私の勝ちですねっ」
さあ帰れ帰れと扉を閉めてローを押し出す。
上手く力が入らないのか押し問答にもならずに追い出せた。
ふふんと息巻いてから一時間後に廊下を歩いていたら船員の一人に魚の入ったバケツとぶつかり合い服がビショビショに塗れた。
そして、どこに隠れていたのかローが現れて手を引かれている。
くんくんと服を嗅ぐと生臭い。
「ん。風呂入れ」
ローの自室のシャワーに連れてこられて背中をポンと押されて中へ。
これはローに海水を掛けた天罰なのだろうか。
服はもう着れないし仕方なく風呂へ入る。
シャンプーでワシャワシャしてからボディソープを使い身体を清めた。
それから沸かされていたお風呂に暫しの違和感。
(沸かすにしてもヤケに準備が整ってるなあ)
果たして魚のバケツをぶつけられたのは態とであるのか、違うのか。
お風呂が沸かせられていた所を見ると何となくお察しである。
ふいー、と極楽なお湯に浸かっていると風呂場の扉が何の躊躇もなく開かれピシリと固まった。
「暖かいだろ?」
辛うじて腰にタオルが巻かれている事が救いか。
「ローさん。親しき仲にも礼儀ありって言葉知ってます?」
「嗚呼。それがどうした?」
シレッと言うローに体を腕でクロスして隠す。
「私は男では無いですけど。気軽に入れる同性とは違うんですが」
「そんなの一番俺が良く分かってる」
舐めるように見てくるローを白い目で見る。
それを気にする男であったなら良かったが、皮肉を無視して体を洗い出す。
いやいや可笑しいだろうと心の中で突っ込まずにはいられない。
出て行けとストレートに言ったとして出て行く男ではないので相手を見ないように顔を背けて考える。
というか、彼は悪魔の実の能力者なのにリーシャと共に入ろうだなんて良く思ったものだと思考がそれでいっぱいになった。
溺れるギリギリの気だるさに見回れる筈なのだ。
それを思うと弱味を見せ付けられるという事になる。
少し興味があるけれど、それはつまりローと入らなければいけないという事だ。
羞恥心を犠牲にして我慢して入るか、我慢せずに風呂から出るか。
「逆上せたようなので一足先に上がりますね」
羞恥心というか、入るとなるとローが更に調子づくのが目に見えているので撤退に決まった。
サッとタオルを巻き直してからタイルの上に足を付ける。
「フフ」
「!」
ローがヌルついた手で手首を掴んできた。
「石鹸が付いた手で止めて下さい!」
ローの手前に付いてあるシャワーのノズルを回して水を出す。
その水の出る範囲に居る彼にも勿論掛かった。
それを気にせず手首を洗う。
チラッと横を見ると相手はじっとしたまま水を浴びていた。
どうやら力が抜けているらしい。
だから何も行動が出来ないのだろう。
「一時間前にお前が俺を海水で濡らした時に一度シャワーをしてる。だから別に時間は掛からねェ。そう急ぐ必要も無いだろ?」
彼はリーシャの腰を掴むと共に風呂へ入り逃げられないように足の間に挟んで拘束。
しかし、全く力の入っていない拘束だ。
自分でさえ簡単に逃げられる緩さに驚きつつも逃げようとはその時、何故か思わなかった。
ギャップのせいだろうか。
力が抜けたままで入りたいと言われてしまったからなのかもしれない。
お人好しな部分の感情が出ていけないと言っていて、手をお風呂の縁に預けた。
お風呂から上がって髪が濡れたまま食堂へ向かうと何やら騒がしい。
疑問を抱きつつ中へ入室すると席に座らないで何かを御披露目しているマイが見えた。
「そして、これを中に入れます。しかし、無くなりました」
見た感じ手品だ。
彼女はいつの間にそれをやっていたのか。
そんな素振り見た事も無かったので驚く。
マイがコインを使う手品をやっているようで船員達の感嘆の声が部屋を反響する。
やがてこちらに気付いたベポが手招きしてきたので断る理由も無いので近付く。
彼は背丈も図体もデカいので後ろへ居る。
船員達に言われたのだろうと分かるし、その時の光景は簡単に浮かぶ。
隣に座るように足されてそこへ腰を降ろすと違う手品が始まった。
今度はハンカチを使ったもので、それもかなり手際の良いものである。
いつどこで本当に練習をしているのか。
マイの出番が終わると次は俺だと船員の一人が出てきて違う系統の手品をし出した。
どうやら趣味のようだ。
ヤケに楽しそうに披露する。
彼等の反応を見る限り今回が初めての事ではないようだ。
拍手に包まれる場にて次はシャチがローの真似をすると言い出した。
(手品関係ないな)
どんどん宴の演目になってきた。
それに気付いたが周りが楽しそうなので黙っておく。
水を差すのは野暮だろう。
ローがやってきていない事をチラリとさり気なく確認して前を向く。
「何人殺した?」
「似てねーよ」
「もっと船長は格好いい美声だ!」
茶化す声に段々リーシャも楽しく感じてきた。
ローの真似を他の船員達がやるので場が段々ロー擬きが沢山発生しているのはとても面白い。
ルームやら消すぞやらフフフ、という発言が周りから聞こえてローのよく言う台詞集みたいになっている。
それを外から聞いたらしいローがやってきて一度扉を開いて閉じた。
きっと見たものを無かった事にしたのだろうなと思った。