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海賊に占領されて早十分。
「海賊に占領された時の心得その一」
「「海に突き落とせ(です)」」
「よしやろう」
「待て待て待て!」
シャチが過激に反応を示してきた。
「では私は頭をやるので二人はその他をお願い」
「だから待てよ!」
リーシャは深呼吸して帽子を深く被りローに向かって突進。
「うおおお!」
と見せかけて方向転換をして海水の入った魚を入れるバケツを手に取りローにぶっ掛ける。
流石のロー本人も驚いているらしく目を大きく開いた顔が見えた。
「どういうつもりだ?」
能力で逆に掛けられてしまう。
悔しいが勝てないのは端から分かっている。
此処は口でしか勝てなさそうだ。
「女にはやらねばならぬ時が……ある!」
と言ってローを睨む。
「リーシャさん頑張って下さい!」
「もっと言ってやれ!」
二人の応援を背に受けてローと対峙する。
そうだ、今、耳と尻尾を隠さなくてはいけない。
「何だ?今日はヤケに強気だな?」
船員達の呟きや疑問なんてこの際どうでも良い。
引く訳にはいかないのだ。
ガルルル、と威嚇しながらローに接近。
彼は特に何の感情も抱いていないような顔でこちらへ来ると只の純粋な口調で言う。
「そのままで居ると風邪を引く………」
何の前触れも無く帽子を外された。
「「「いやあああ!?」」」
「…………あ?」
ローが唖然とした顔付きでこちらを見て、唖然とした声を上げる。
リーシャを守るように二人が隠しに動く。
取り敢えず膝を折って皆の視界から消える。
耳を押さえてぐぬぬぬ、と唸ると二人が猛抗議した。
「船長さん酷いです!」
「帽子返せ!」
ヨーコが呆然とするローから帽子を引ったくるとリーシャの頭に被せる。
やっと被せられた物に安堵した。
息を整えていると二人の声が押しのけられて目の前で聞こえなくなった事に気付き陰が出来たので上を向く。
ローが下を向いてこちらを見ていた。
その顔はまたもや無表情で何を考えているのか読めない。
彼は腕を徐にこちらへ手を伸ばしてリーシャを立たせる。
そうしてから手を耳に当てグワッと引っ張った。
「痛い!イタタタタタ!?痛いー!」
尋常でない程痛い。
涙が生理的に出てきた。
耳が痛い。
あまりの痛さにローへボディパンチを繰り出す。
ローはそれを避けて次は揉んできた。
「あ、そ、そんなに優しめはだ、駄目ですっ」
どうやら耳にも神経がありピクピクと肩が揺れる。
止めい、と言いたいが感覚がストレート過ぎて声も出せない。
暫く感触を調べていたローは手を離してマイとヨーコを見た。
それに二人はビクッと肩を揺らし帽子をぎゅうぎゅうと下に引っ張る。
どうやら取られるのだと勘ぐって対策をしたようだが、彼は能力者だ。
「スキャン」
「ちょ、取るな!止めなさいよ!」
「酷いです。非道です!」
「いや、あの二人共………船長は海賊だぞ?」
船員の一人が突っ込んだ。
船員達もウンウンと頷いている。
そんな事は言われなくても分かっているけれど、やはり酷い。
海賊であろが、女が隠そうとしている事を暴いたのだから。
ローをジト目で見る。
大切な獣耳を触るなんて変態の所業にも匹敵するのだ。
ローから離れて三人並ぶ。
「成る程な。奇病か……」
ローはリーシャの腕を掴むとカツカツと歩き出して腰を掴まれ米担ぎをされた。
何と雑な扱いなのだろう。
「二人も連れてこい。マイ、ヨーコ、後で診察する」
「な、何で!嫌よ普通にっ」
ヨーコが誰よりも先に反論した。
船員達に連れ立たれて二人は船へと入れられる。
どちらの船と聞かれればローの船だ。
向こうの設備の方が整っているし、ロー達は医療に詳しいのでまあ、渡りに船だろう。
けれど、二人はあまり手荒に扱わないで欲しいと頼む。
その代わり自分の奇病は好きに診察でも問診でもしてもらって構わないと言う。
それにローは待ってましたと言う様に笑った。
「感度も随分と良いみたいだな。楽しみだ……フフフ」
それから三日後に治った。
その間の事はシークレットだ。
誰が何と言おうとシークレットである。
ローの船に引き続き居続けて、女三人は秘密の作業に勤しんでいた。
いや、一人を除き勤しんでいた。
楽しげな声と甘ったるい女子が好む甘味の香りが部屋に充満している。
喚起喚起と換気扇を強めに回し、窓を開けると二人が不満そうに言う。
「リーシャさん、そんな事よりもこっちに集中しませんか?」
「次はあんたがこれ混ぜる番だからね」
最初は一緒に作ろうと言われて嫌と言えない雰囲気で「混ぜるくらいなら」と答えた。
何をしているのかというと所謂イベントに向けての下準備である。
マイ達によればバレンタインは異性を問わずにグッと距離が近くなる日らしい。
ヨーコから言わせれば乙女ゲームではこのイベントは絶対に必須のものらしいので一段と張り切っていた。
ボソッと「ゲームなら完璧に作れるのに」と呟いた事に関しては何も言わない。
二人がこんなにも気合いをいれているもう一つの理由がリーシャはローどころか誰にもバレンタインを渡したこと等ないというのを話したからだ。
聞かれた時は普通に事実を述べて後からしまったと口を噤むも既に遅し。
直ぐに三人で秘密のバレンタインチョコ製作が計画されてハートの船の厨房を今だけ貸してもらっている。
快く貸してくれた彼にはとても助かった。
マイ達が沢山ある型とは違う大きめの型をリーシャの前に置いて笑う。
「あんたこれね」
「恋人にはやっぱり手作りですよね」
マイはやはり乙女なシミュレーションを抱いている。
大分偏ったその発言に苦笑しつつ「はいはい」と素直に言う。
何となく二人に追求されずに済む方法が理解出来た故の対応だ。
否定せずに肯定もせず作戦だ。
既に恋人と周知されて完全に外を埋められていても、やはりむず痒くなる。
ローと会えるのだっていつまで続くか分からないし、いつ死んでも可笑しくない戦いのある世界に居るのだ彼らは。
いつまでも淡い気分なんてしていられなくなる。
それまで短い時間くらいは世間で言う恋や愛を感じていても良いのではないかと思う、ほんのちょっぴり。
まだ以前抱いていたローと距離を置いておかなければというストッパーがひょっこりと出てくる時があるが、慣れれば出なくなる事を祈るしかない。
チョコを型に流し込まれる様子をジッと見てから美味しそうだと女性の本能が擽られる。
見ているとマイが注意だと言ってきた。
「これは船長さんのであって、リーシャさんと私達の分は別にありますからね。食べちゃ駄目ですから」
「それくらい分かってる」
子供のように接しられて苦笑い。
そんなに食べたそうに見えたのかもしれないと思った。
チョコを冷蔵庫に入れていく二人を見てからエプロンを少し触って汚れたものをキッチンで洗う。
二人も分担して拭いたりしたらあっという間に終わった。
後は固まるのを待つだけだ。
夜、既に時刻は翌日の刻。
ソロソロと部屋を抜け出してキッチンへ向かう。
厨房のキッチンは割と隠れ食いされ易い所なので鍵が掛かっている。
鍵はコックが持っているけれど特別にこっそり夜に貸して欲しいと頼んで譲ってもらった。
目的は別に隠れ食いではない。
足音を立てないように厨房へ行くと冷蔵庫の前に行く。
マイとヨーコの前で渋っていた手前、チョコの固まり具合が気になっているから見ても良いかなんて言い難いので。
扉を開けるとひんやりとした空気に晒されながらトレーを取る。
(お、上手く固まってる)
混ぜただけだが、明日が少し楽しみで待ち遠しい。
にやけそうになる顔のまま冷蔵庫にトレーを戻して閉める。
そのまま踵を返そうと扉に背を向けると正面に人影。
叫びかける声の前に相手が口に手を押し当てた。
いや、これは手ではない。
(口?口!?)
手を振り下ろして変態の相手の喉に指を押し込むが手を押さえ込まれる。
(くそ!)
「二度同じ手には乗らない。俺だ。自分の男の気配くらい覚えとけよ」
声はローで暗闇に近い空間のカンテラに照らされる姿に肩の力を抜く。
あまりにも顔が近過ぎて輪郭もぼやけた状態でローだと認識しろとは随分と無茶苦茶だ。
いつの間にか背は壁にあって逃げ道も追い詰められた体勢で逃げられなくなっている事に気付く。
それならば檻のようなこの腕さえ退かせば済むと判断して外しに掛かるがビクともしない。
流石は七武海にまで登り詰めた実力者である。
くう、と悔しさに歯噛みしていると頭上のローがクスッと笑うのが聞こえて遊ばれていると自覚。
ムム、となりローの胸を叩く。
「ローさん、関係を越えてから更に意地悪になりましたよね」
「お前の反応が一々良すぎてつい意地悪とやらをしたくなるんじゃねェのか?」
「私のせいにしないでもらいたいです。ローさんもからかわれる対象になると私の気持ちも解る筈では?」
「フフフ、気持ち?此処の事か?」
ピタリと胸に手を押し当てるローにカァッと体温が上がり羞恥心に陥る。
止めてくれと言って彼の腕を退かす。
しかし、ドンドンそれは上に上がり服の襟付近に到達。
グイグイと襟を下に引っ張り彼は鎖骨に指を這わす。
只それしかされていないのに背筋がくすぐったい。
身を逸らすとローは肩を剥き出しにしてそこへ甘く噛み付く。
「厨房でこんな事したらコックさんに怒られます私」
「だろうな」
ローは初めから分かっている風に返事をしてちゅ、と口付けをしてからギラつくその瞳を揺らす。
「お楽しみは明日に残しておくのも一興だろ?」
彼はそれだけ言うと乱した服装を元に戻してから厨房から出て行った。