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「まァ、言葉には出来ねェが反感を持つ奴だったら攻撃出来る。火拳屋のとこのサッチとかな」
サッチとは確かエースが試練を出した後にロー達の案内人ではあったが牢屋にぶち込まれたと騒いでいた、あの犯人だったはずだ。
リーシャはたった一人だけ何も知らないまま呑気に旅をしていた間抜け。
間抜けよりも酷い。
「今までお前が体験した事は全部が全部、勇者の為だけに作られたシナリオだったんだよ――楽しかっただろ?」
フッと冷酷に笑うローから発せられた残酷過ぎる真実。
「リーシャ」
久しぶりに名前を呼ばれた。
思わず顔を上げるとクスリと笑い声が聞こえる。
耳元にローが唇を近付け魅惑的な響きを吹き込む。
「もうお前の知っている俺はいない」
何かがぐちゃりと血生臭い音を立てて崩れ落ちた。
物理的な音ではなく心の奥に微かにあった希望が絶望に変わる音。
その淵に突き落とされたリーシャの顔をローは覗き込む。
手をかけていた顎を徐に上へ動かす。
もう完全に花の茎をへし折られた少女は目が虚ろになっていた。
ローはそんな状態のリーシャの唇に己の唇を押し付けた。
虚ろな色に動揺が浮かぶ。
(な、んで)
キスの意味がわからなかった。
絶望したリーシャを更に突き落とすつもりかもしれない。
ローは唇を啄む様に動かすとちゅ、と音を立てる。
その音に少し意識がはっきりしてきたリーシャは抵抗を表す。
「まさか拒むのか?」
「っ――」
氷柱の尖端のように鋭い声に身体が強張る。
ローはリーシャが震えるのを見ると再び口づけをしてきた。
「いい子だ」と甘く囁かれる口説きでさえ狂おしい。
でも、駄目だった。
「や、めて……!」
胸を手で押すとローは目を細め身体を離す。
「へェ……拒絶するんだな」
狂気に塗れる表情は先程とは違い優しさなんてものはなかった。
ローは立ち上がると牢屋を出て行く。
リーシャを一度も見ずに。
「……う、く……うっ」
ローが居なくなると、しゃくりあげて泣いた。
涙がポタリポタリと地面を濡らす。
ずっとずっと騙されていた事よりも自分が馬鹿だった事が何よりも悔しかった。
ローがキスをしてきた事がどんなことよりも堪えたのだ。
「リーシャ……」
ドタリドタリと独特な音を立てる足音。
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