Side_Robin_6
「あったかいでしょ?」
「……子ども体温ね」
得意気に言った航海士は、きっと手を離してくれないに違いない。
ロビンはそうあきらめて苦笑しながら言うと、腕から力を抜いた。
「言ってくれるじゃない」
航海士はそう言うと、息を漏らすように笑った。
ほんとうは力づくでも引き離さなければならないのに、どうして自分は動き出せないのだろう?
残酷なことをしているのはわかっている。
すでに想いを告げてくれた航海士に何ら結論を示さず、拒絶するでも受け入れるでもない曖昧な態度をとり続ける自分は、ほんとうにずるい人間。
何も言わないでいてくれる航海士のやさしさに、あまえきっている。
ほんとうは、拒絶しなければいけないのに。
ロビン自身にそれができないのなら、せめて航海士がロビンを拒絶するようにふるまうべきなのだ。
ロビンは航海士の頬に当てていた手を、そのまま下げてその細い首に回す。
航海士はきょとんとした顔でロビンの方を見ていた。
このまま力をこめれば、この細い首を簡単に手折ることができる。
少しだけ、力をこめてみる。
そうすると、航海士は疲れたように笑った。
「……怖くないの?」
「何が?」
尋ねたロビンに、疲れた笑顔のまま航海士は答えた。
航海士の声帯の震えが、ダイレクトに喉頭にあてたロビンの親指に伝わる。
もしかしたら、あきれているのかもしれない。
「殺されるかも、しれないのよ?」
「何? 一緒に死にたくなった?」
航海士はくくっと笑ってから、見定めるようにロビンを見上げた。
「それぐらい、あたしに惚れ込んでくれてるわけ?」
かなわない。
航海士のこはく色の瞳に強くまなざされて、ロビンはそう思わないではいられなかった。
ロビンは航海士の首から両手を離す。
雪で冷えきる世界の中で、ちりちりとくすぶるように航海士の瞳に宿っているものは怒りなのだと、やっと気づいた。
「肝心なところは、だんまりなわけね」
航海士は目を伏せて吐き捨てるように言う。
「ごめんなさ……っ!」
またも謝ることしかできないロビンの胸ぐらを、航海士は唐突につかんで自分に引き寄せると、かみつくように唇を重ねてきた。
何度も、何度も、乱暴に重ねてくる唇は、息をする暇さえ与えないほど。
けものじみた荒い口づけを続けるさなか、航海士はひどく追い詰められた顔をしていて、ロビンは自分の曖昧な態度が、どれだけ航海士を傷つけていたのかを知る。
「あたしは……」
船縁に背中をあずけて座り込んでしまうほどに追い詰めてから、ようやくロビンを解放した航海士は、こぼれた唾液をぬぐってから口を開いた。
「あたしは、たとえ死ぬことになったって、あんたと一緒にいたいって、そう思ってんのよ」
見下ろしてくる航海士の瞳は、もう、涙が決壊する寸前だった。
「あたしはあんたと一緒に生きていきたいって、そう思ってんのに……」
その目から涙があふれだすと同時に、航海士は座りこんだロビンに背を向けて、船室へと歩き出した。
その背中に声をかけることさえ、ロビンにはできない。
ああ、どうして……
ロビンは雪の降りてくる空を仰ぐと、そっと手のひらを目の前に差し出す。
雪は手のひらにふわりと落ちると、すぐにとけてなくなった。
……どうして私は、この雪のように消えてなくなれないのだろう。
そう、思わずにはいられなかった。
雪が肌のぬくもりによりとかされ、きれいにとけてなくなるように。
ロビンもまた、航海士のぬくもりで凍りついた心がとかされたと同時に、風景にとけこむように消えてしまえればよかったのだ。
そうすれば、こんな苦しみ、抱かずとも済んだ。
「ごめんなさい」
ひとりきり、つぶやいた言葉は、鉛色の雪空へと吸い込まれていく。
「ごめんなさい……ナミ」
もしも私が、雪みたいにとけてなくなってしまえれば、あなたを傷つけずとも済んだのに。
それでも。
あなたに出会えてよかったと。
あなたに出会えたことが、この20年の月日の中の唯一の幸福なのだと。
あなたの記憶さえ抱いていれば生きていけると。
そう思わずにはいられない、このどうしようもなくわがまま私を……
どうか許して。
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