side_Nami_1
ジャヤを目指して海を行く途中、無人島と思われる島に立ち寄った。
船番は、チョッパーとロビン。
このふたりならば、特に大きな問題もなく終わるだろうと、そう思っていたのに。
測量から戻ってきたナミを船の前で待っていたのは、困り顔のチョッパーだった。
「どうしたの? ロビンになんか意地悪でもされた?」
そんなことはないだろうと思っていたけれど、チョッパーがあまりにも深刻そうな顔をしているので、ナミは冗談めかしてそういった。
この数日、新しいクルーとなったロビンを乗せて船は進んだけれど、ロビンは拍子抜けするぐらいに静かな人間だった。
天気が良ければ、定位置になりつつある甲板上のデッキチェアで本を読んでいる。天気が悪ければ、キッチンか女部屋で本を読んでいる。
こんなに本ばかり読んでいる人間を他に知らない。
女部屋にあるナミの本は、おそらく数日中に読み終えてしまうだろう。
「いや、違うよ」
チョッパーは小さく答える。
「じゃあ、何よ?」
かといって、自分の世界にこもってしまって愛想がないかといえば、そんなこともなく。
手伝いを頼まれれば、嫌な顔ひとつせず笑顔で手を貸す。何か訪ねられると、律義に答える。皆が会話をしていれば、ほほえんでうなずきながら、耳を傾けている。話が振られれば、あたりさわりのない答えが返ってくる。
こんなに本心が見えない人間も、他に知らない。
「今日さ、おれ、たるの水こぼしちゃって、だから水をくみにいこうとしたんだ。そしたら、ロビンもついてきたんだけど」
「はあ? 何でまたこぼしたりなんかしたの?」
「それは、その……」
ナミが尋ねたのが責めているように聞こえたのだろうか。
チョッパーの声は更に小さくなる。
まあ、確かに船の番の役割は果たしていなかったことにはなるが、それはチョッパーについて行ったロビンの責任でもあるし、船をあけたことで問題が起きそうな島でもなかったから、怒るほどのことではない。
「まあ、いいわよ。で?」
「かすかにだけど、血のにおいがしたんだ」
「血?」
ナミはロビンが乗船してからずっと隣で寝ていても、ただ、花の香りがするな、なんてのんきなことしか感じていなかった。
それは安眠を約束してくれるような、あまいあまい、いい香りで、怪我をしているなど、まったく気がつかなかった。
だが、トナカイのチョッパーは、ナミの何倍も鼻がいい。
ナミが気がつかなかったにおいに気がついても、不思議はない。
「怪我をしてるんじゃないかって、思って」
「そりゃ、あれだけ厳しい戦いだったんだから、怪我のひとつやふたつ、する……」
そこまで話して、ナミは思い出す。
ロビンが乗船したとき、ルフィは言ったのだ。
おまえ、生きてたのか、と。
それはつまり、ロビンが命にかかわるような重い怪我を負ったことを、意味するわけで。
「でも、あれから結構日が経ってるだろ? 戦いが終わって、ビビんとこの城で休んで、それからメリーに戻って、今、だから……それでも完全に血が乾ききってないなんて、重症に違いないんだ」
「そう、ね……で、どうだったの?」
「それが……」
一生懸命説明していたチョッパーだったけれど、ナミが尋ねると再びうつむいてしまった。
「おまえ怪我してるのか、って訊いたんだけど、あっさり「いいえ」って言われちゃって」
「そう……」
そう言ったロビンを想像するのはたやすい。
いつもの穏やかで優しげなほほえみでもって、「いいえ、そんなことないわ」などと言われたら、チョッパーがどうにもできないのも仕方がない。
「おれは医者だから、ちゃんと怪我してるなら言わないとダメだって言ったんだけど、聞いてもらえなくて」
「うん」
ロビンは女性であるし、いくらトナカイでも男である以上、無理に傷を見るわけにもいかなくて、途方に暮れていたのだろう。
あんまりうちのかわいいトナカイを困らせないで欲しいものだ、と思いながら、ナミはため息をつく。
「ご、ごめん! おれ、ちゃんと説得できなくて……」
「違う違う、あんたにため息ついたんじゃないのよ」
「そうなのか?」
「そうなの!」
おとなのおねーさんの外見をした、おーきなこどもにため息をついたのだ。
「じゃあ、行きましょうか」
「え? どこにだ?」
「おっきなこどものところにね!」
「は?」
目をぱちくりさせているチョッパーを放って、甲板にいるであろうロビンのもとへ歩き出すと、「待ってよ」とチョッパーが後をついてきた。
あっさりと警戒をといてしまったこの船のクルー達とは正反対に、ロビンはずっと警戒をといていないのだろう。
敵船に自分から乗り込んできておいて、仲間にしてとまでいいながら、ロビン自身が一番、自分がこの船のクルーになれると信じてはいないのだ。
そう分かって、イラついた。
だからこその、あのあたりさわりのない態度。ほんとうのない表情。
……当然といえば、当然なのかも知れない。
8歳から20年、政府から逃げ続けて生き延びた年月が、たやすいものであるはずがない。
「ほんとう」を隠して、表情も心も塗り固めていかなければ、生きてはいけない年月に違いないのだ。
「ロビン!」
しかし、そうはわかっていても、イラつくものはイラつくのだ。
「何、かしら?」
思った通りに甲板で本を読んでいたロビンは、目の前に立ったナミを見て、少し目を大きくした。
その視線はナミからナミの足元でビクビクしているチョッパーに移動して、そうして何事であるかを理解したようだった。
そんなに物分かりがいいのなら、ここには「ほんとう」しかない、というナミの言葉の意味だって、すっと理解して欲しいものだ。
「ちょっと、つきあってくんない?」
ナミは顎で船室の方を示すと、ロビンは珍しく短くため息をついた。
「それは、絶対?」
「航海士命令! どういう意味か、分かるわよね?」
「……わかったわ」
ナミが有無を言わせない強い口調で言うと、ロビンは諦めたように立ち上がった。
この船に乗ったからには、航海士の命令は絶対なのだ。
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