Side_Nami_8
「航海士さん?」
ロビンに呼ばれて、はっと我にかえる。
「大丈夫? 顔色が悪いわ」
「……大丈夫」
とうに乗り越えたつもりでいたけれど、過去とはそんなになまやさしいものではない。
今笑っていられることや、希望を抱けることと、過去を乗り越えることとは別の問題なのだ。
そう、思い知らされた気分だった。
「ほんとうに?」
「大丈夫だって」
ナミはロビンから少し体を離し、デッキチェアに深く体をあずけて目を閉じた。
「ロビンもさ、そう思う?」
「え?」
目を閉じたまま、ナミは問う。
「かなしみは、いつまでもいつまでも、かぎりなく続くものだって」
少しの沈黙のあと、ナミの頭にやわらかく触れる、手の感触。
「……わからないわ」
ロビンの手は少し冷たかったけれど、返ってくる言葉の温度はあたたかい。
気休めを言わない、ロビンのやさしさにほっとしている自分がいた。
きれいごとで、さとされたりしたいわけじゃなかったから。
「うん」
「でも……」
続く言葉を聞くために目を開くと、安心してすべてをゆだねたくなってしまうような、そんな穏やかさをたたえたロビンの瞳がナミを見下ろしていた。
ロビンの落ち着いたアルトの声と同じあたたかな温度が、そこにはあって。
ほんとにあんた、そんなにやさしくてどうすんのよ、と問い詰めたいぐらいに、やさしさをたたえた瞳。
「つづくかなしみの中でも、人は笑えるわ? だからあなたも私も、今、この場所で、一緒に笑っていられるのではないかしら」
「……うん」
子どもみたいに泣きたかった。
ロビンがそんな風に言ってくれるなんて全然想像していなかったから、余計に胸にきて、痛いぐらいに目頭が熱くなる。
あなたも『私も』とロビンは確かに言ってくれたから。
『今、ここで一緒に』と言ってくれたから。
ナミがロビンの笑顔の理由のひとつになれているのだと、ロビンが伝えてくれたのだ。
心のたけ、思いのたけ、声が枯れるぐらいに泣きたかった。
顔が涙でぐちゃぐちゃになっても、見苦しくてもいいから、わんわん泣いて、そうしてロビンのあたたかい目にずっと見つめられていたかった。
ロビンの繊細な手のひらで、ずっとなでていてもらいたかった。
でも、できなくて。
泣けない代わりに、頭をなでてくれていたロビンの手を、そっと下ろして指をからめる。
「ちょっと、寝る」
そうしたら、またさっきみたいにうまくすり抜けられてしまうかなと思ったけれど、今度はロビンも握り返してくれた。
それは、ナミがいつも感情のままにぎゅっとしてしまうような、そんなわかりやすいものではなくて、触れる手や指の面積がちょっとだけ多くなったような、そんなためらいがちなかすかな変化だったけれど。
確かに握り返してくれたのだと思う。
「おやすみなさい、航海士さん」
「うん」
ちょっとだけ待っててね、ロビン。
目が覚めたら、いつも通りのあたしに戻るから。
また、あんたを笑わせたり、意地悪して困らせたりしてあげるから。
だから、ちょっとだけ、待ってて。
ロビンがかなしみや苦しみの中でも生き延びてきてよかったと、そう思える今を、一緒に作っていけるあたしになるよ。
そう思いながら、目を閉じる。
閉ざされる視界の片隅で、ロビンがハナの手を咲かせて本を開くのが見えた。
つながれた手の温度は、まだ少しだけロビンの方が冷たかった。
だけど、ふたりの体温がいつか一緒になるのだと信じられる今日のために、過去があるんだったら。
あんたもあたしも、少しは救われるよね。
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