Side_Robin_3
航海士の頭をなで続ける手を、航海士はそのままにしてくれていた。
『あたしはさ、ロビンが好きなように頭をなでさせて、そのままにしておいたわけだけど、どうしてか、わかる?』
こんなときでなくても、航海士は自分と同じ気持ちでいてくれるのかもしれない、と思うことがある。
それはほんとうに、何気なく目が合う瞬間。
甲板で過ごしていて、みかんの木の世話をしている航海士と目が合ったとき。
朝ロビンに起こされて開く航海士の目が、1日の最初に映したものがロビンなのだと認識したとき。
本を読んでいるときに呼びかけられて、顔を上げたら思っていたよりずっと近くに航海士がいたとき。
騒ぐクルーたちを叱り疲れた航海士が、ロビンの隣で愚痴混じりにお酒を飲むとき。
笑いあうとき。
言葉遊びをするとき。
不毛に心を試しあうとき。
ふたりの間の距離をはかりちがえて近づきすぎて、苦しくなるとき。
そんなとき、航海士の琥珀色の瞳に宿る何かしらの切迫感が、ロビンの胸にわく航海士を求める気持ちと共鳴して、そうして二人の間に沈黙を呼び起こすことがある。
その沈黙の中で、航海士の目が語る。
声にならない声が届く。
どうか気づいて、と。
それはロビンの中にあるものと同じだから。
ロビンの中にある『さみしい』と同じだから。
どうしようもなくわかってしまって、この恋が一方的なものではないのだと、確信的に思うことがある。
でも。
それでも。
この想いを叶えるわけにはいかない。
この船を照らす明るいたいようの光を、ロビンが奪うわけにはいかない。
だから、知らないふりをする。気づかないふりをする。
その代わり、大切に大切に、この船での日常を、記憶に蓄積していく。
過去の人たちの声が記された書物の文章を記憶していくように、航海士との日常を頭の中の日記につづっていく。
いつか、離れて行くときのために、航海士と過ごした時間のひとつひとつを、どんなささいなことさえのがさずに、記憶に刻み込む。
航海士がくれた言葉や、航海士の意志的なまなざし、航海士の声の温度と航海士のみかんのにおい。
航海士の勝気な笑顔や、少女の面影を残す快活な笑顔、ロビンを試すような意地悪な笑顔や、ロビンの心をまるごとくるんでしまうような、やさしく穏やかな笑顔。
それから、夜、ひとつのベッドに寝たときに感じる航海士の体温と、その体温にあたためられて一緒になる、ロビン自身の体温。
全部全部、刻み込む。
いつか再びひとりになっても、その記憶をたどって、あたたかな場所を思い出せば、生きていけるように。
目の前に広がる暗い海は、遠くない未来、ロビンがひとりきり、再び歩みださなければならない海だ。
ロビンはこれからたいようを、行く先を照らす光を失うことになるから。
どうかそのとき、歩き出す力になるように。
この記憶を頼りに、生きられるように。
ひとつひとつの出来事を、しっかりと刻み込む。
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