Side_Robin_1
「ロビーン!」
名前を呼ばれて視線を本から声の方向へと転じると、船医が本を片手にとたとた走ってくるところだった。
今日は気候も穏やかで、読書にはうってつけの日。
前に立ち寄った無人島で、ふたりで船番に残って以来、船医はロビンを怖がらなくなったようだった。
「なあに?」
船医が自分の前に来るのを待ってそう問いかけると、船医は本を目の前に差し出して口を開いた。
「ちょっと教えてほしいことがあるんだけど、今、訊いても大丈夫か?」
「ええ」
ロビンが笑顔でうなずくと、船医は甲板の上に直接本を置いて、ページをめくり始めた。
麦わらの船に乗ってから、もう一週間以上が経つけれど、この船でロビンが求められることといえば、辞書の役割ぐらいだった。
食事はフェミニストのコックが欠かさずおいしいものを用意してくれるし、後片付けを手伝おうとしても当たり前のように断られる。
船の操縦は男性クルーの役割だし、女部屋は今まで航海士がこまめに手入れをしていたのか、しっかり整理整頓されているから、お互いに気になったところがあれば少し片付ける程度の掃除で済む。
トイレ掃除や浴室掃除などの雑用も、航海士命令で男性クルーがこなしている。
船の番はまだ許可されていない。
そうするとロビンとしては、本を読んでいるしかなくなるわけで、本を読んでいると必ずと言っていいほどコックがコーヒーを届けてくれるから、何の申し分もない生活になってしまう。
自分が好きなことをしているだけの、海賊であることさえ忘れてしまいそうな、ぜいたくな毎日。
かといって、その贅沢な毎日を送る代償が求められるかといえば、そんな気配はまったくない。
この船では誰もロビンを傷つけないし、ロビンに何かを強制したりもしない。
それどころか、我慢しなければならないことさえ、何もない。
そんな毎日の中で唯一、世間のことにうといらしい船長や船医が口にする質問に答えることが、ロビンの役割らしかった。
あっさりと受け入れられたばかりでなく、何も仕事や役割を求められないこの状況は、ロビンが経験したことのないもので、かえって居心地が悪かった。
こういう仕事をするならこの船に置いてやる、と条件を出された方が、ずっと気が楽に違いない。
「えーっと、あれ? どこだったっけ?」
どうやら質問するはずだった部分を探せなくなってしまったらしい船医は、自分の身長の半分ほどはある本のページを、小さなひずめで一生懸命めくっている。
ほほえましい光景だな、と思いながら船医を見ていると、不意に強めの風が吹いた。
「あー!」
ページが風にあおられてしまった船医の叫びと同時に、みかんのほのかな香りがロビンの鼻腔をくすぐる。
その匂いの先に視線を向けると、強い風に吹かれて、みかんの葉っぱがざわざわと揺れていた。
その所有者は、今は不在。
みかんの木の所有者である航海士は、今日は1日天候が安定していそうだからと、「緊急時以外は呼ばないでね」と言い残して、海図を描くために部屋に引きこもっていた。
だからみかんの木はさみしくて、音を立てて揺れたのだろうか、なんて思ってしまったのは、ただの感傷。
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