Side_Robin_5
遠ざかろうとする背中に向かって、ロビンははじめて声に出して呼びかけた。
この想いが届くようにと、その名を呼んだ。
ロビン自身も、ずっとずっと我慢していたこと。
いとしいひとの名を口にすると同時に、この想いがあふれだしてしまわないように、我慢していたこと。
ナミはびくりと体を震わせ、手を止めた。
「待って、お願い」
でも、もう我慢などする必要はない。
ためらっている場合でもない。
ここで迷えば、この20年ではじめて得られた唯一のいとおしい存在を失ってしまう。
「ナミ」
もう一度、その名を呼ぶ。
ナミの肩は震えていた。
「……ずるい」
ようやく吐き出したような詰まった声も、震えている。
ドアノブにかけられていたナミの手は、力なくだらりと落ちた。
「あんたは、ずるい」
ロビンは足を踏み出し、ナミへと歩み寄る。
ナミはその細い腕を持ち上げ、両方の手のひらで顔を覆った。
「そうね……私は、ずるいわね」
ロビンはそう言いながら、後ろからそっとナミを腕の中に閉じ込めるように抱きしめた。
力をこめてしまえば、ふたりの間にようやくかかろうとしている想いの梯子が壊れてしまいそうだから、そっと、そっと。
「ずるいのは、わかっているの。でも、もう、止められないから。止められないし、捨てたくもないから。あなたにも、捨てないでいて欲しくて……だから、もう一度だけ、チャンスをもらえないかしら?」
そう、ずるいのはわかっている。
今更なのもわかっている。
でも、求めずにはいられない。
ロビンはそのために、この世界に生きることを選んだのだから。
自ら望んで、ナミのそばにいたいと、ナミの隣を歩きたいと、そう思っているのだから。
その想いこそが、ロビンをこの世界につなぎとめる力そのものなのだから。
だから、どんなにつたなくても、見苦しくても、伝えなければ。
『それはたいていのひとにはいつまで待っても届かない声かもしれないけれど、わかるひとにはちゃんと届いて、どうしようもなく伝わっちゃう』
ナミはそう言ってロビンの心をすくいあげてくれたひとだから、今こそそのやさしさに応えたい。
「確かに私は、自分のために生きようとはしていなかったかもしれない。でもそれは、私がこの世界にひとりきりだったから。私を必要とするひとなんていなかったし、むしろ存在してはいけないのだと言われてきたから……自分のために生きるとか、何かが欲しいとか、考えようともしていなかったの。それはもしかしたら、なかなか変えられないかもしれないけれど……」
そこまで一度にロビンは話して、覚悟を決めるように、ふっと息を吐き出した。
そう。
急には変われないかもしれないけれど、変わっていく私を見ていて欲しい。
他の誰でもない、あなたに、見ていて欲しい。
「でも、あなたのためになら、生きられると思うの。私は、あなたが言うように、自分のためだけに生きることはなかなかできないかもしれないのだけれど……あなたのためになら、生きられる。あなたのそばにいるためだけに、あなたよりも1秒でも長く、生きようとする努力は、するわ」
それが、あなたの望むことならば。
それが、あなたのために生きるということにつながるのならば。
そのかなしみを背負う覚悟を持つことではじめて、ロビンはナミの隣にいることを許されるのだろう。
「……そんなの、あんたに耐えられるの? 大事なものを失うぐらいなら世界が滅びてもいい、なんて思ってたあんたが、あたしを失って、生きていけるとでも?」
いつもどおりの勝ち気なセリフも今は、震えていた。
そうね。
あなたの言う通り。
「たぶん、無理ね」
「なら」
声を大きくしてロビンの腕の中で振り向いたナミを、もう、離すことはしまいと思った。
自分から離れていくことも、しまいと思った。
だから。
「だから、あなたも誓って? あなたも、私を守るために、私よりも1秒でも長く生き延びる努力をする、と」
ロビンを見上げるナミの瞳からは、途切れることなく涙があふれだしていた。
「その誓いがあれば、私はその誓いを寄る辺に生きられると思うの。私がこの場所にいることを、守ろうとすることができると思うの」
今までと、逆ね。
いつもは私が泣かされていた。
あなたの涙なんて見たくないと、そう思っていたけれど。
この涙は、あなたが私の想いを受け入れてくれた涙だと、そう思っていいのよね?
だって、あなたの目は、今も。
大好きって、そう言ってくれているもの。
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