Side_Nami_5
いつだっただろうか。
よく晴れた日。
メリー号の上で、ロビンとふたり、デッキチェアを並べて座って。
ロビンは本を読んでいた。
『花束をキミへ』
そう題された本。
花にちなんだ物語を集めた童話集、とロビンは教えてくれた。
ナミが自分の本棚にあることさえ知らなかった本。
『どんな本なの?』と尋ねたナミに、ロビンが紹介してくれた物語は、母の死をきっかけに医者を目指す少女の話だった。
少女は夢を叶えることに新たな希望を見いだして物語は終わるけれど、花言葉にちなんだ物語の最後のページにあったのは、えんどうの花。
花言葉は、『いつまでも続くかなしみ』。
あのとき、ロビンは言った。
『深いかなしみは何かであがなえるものではないと、今はおとなになったかつての子どもたちに教えているのね』
確かにその通り。
母の犠牲の上に生かされたこの命であるということを記憶から消してしまいたくとも、それは母がその命を捨てられるほどにナミとノジコを愛してくれた過去をなかったことにするようなものだから、忘れるなんてできるはずもなかった。
思い出すことがつらくてつながれた命を生きられないのならば、忘れたふりをしてココヤシ村を解放することと、いつか自分のための海図を描くという夢を叶えるために生きようとしたのだけれど、忘れえぬあの日の光景は今を生きようとするナミを繰り返しさいなんだ。
ただ、あのときロビンは、こうも言った。
『続くかなしみの中でも、ひとは笑えるわ? だから、あなたも私も、この場所で一緒に笑っていられるのではないかしら?』
かなしみばかりが見えるからといって、過去を捨てる気にはならない。
過去を否定することは、今までの出会いをすべて否定することだ。
何より、ロビンが言ったとおり、かなしみを抱いていてもひとは笑える。
たとえそれが今を生きる自分を揺るがすような過去でも、今をともに生きるひとがいてくれる、それだけで、笑顔になれる。
いとしいひとが隣で笑っていてくれるのならば、なおのこと。
そうであるならば、この世界をさえ、いとおしいと思えるかもしれない。
けれど。
ロビンが大切なものを守るために、この世界どころか自分の命さえも犠牲にすることをいとわないひとであるとわかった今……
ナミたちのために何もかもを捨ててしまうロビンを、仲間という関係を超えてこのまま好きでいていいのか、わからなくなってしまったのだ。
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