side_Robin_3
「ほら、こっち」
そう言って、航海士は自分の隣をぽんと叩いた。
ロビンはためらいを見せたけれど、航海士が何度も砂を叩いて勧めるので、しぶしぶデッキチェアから立ち上がり、航海士のすぐ隣へと座った。
隣り合うふたりの間の距離は、ほんの数センチ。
「あたしはさ、空を見上げるときって、あんまいい思い出がない」
航海士と同じように膝を抱えて座るのを確認すると、航海士ははるかな海の先を見据えるような目をして話し始めた。
「でも、つらいときにうつむいてたら、余計につらくなるし、かといって前を見たら、厳しい現実しかないわけでしょ? 後ろを振り返ったとして、思い出がなぐさめてくれればいいけど、記憶がいつも自分にやさしいとは限らないじゃない? じゃあって横を見たりすれば、他人がうらやましくなっちゃうかもしれない。そしたらさ、もう上見とくしかないじゃない? 消去法ってやつよ。だから、星空を見上げるってことはあたしにとって、好きとか嫌いとか、そういう以前の問題なのよ。それが夜だったら星空かもしれないし、日暮れだったら夕焼けかもしれない。天気のいい日なら、ばかみたいに青い空。それだけよ」
航海士の言葉が、自分の歩いてきた道と重なって、どきりとした。
もしもあなたも生きることすらなまなかではない、そんな道を歩いてきたとするのなら。
何故あなたはそんな風に笑えるの?
そう思った。
「でさ、上向くと、とりあえずそんなに泣かなくても済むんだけど、今度は、さみしくて、無力だって、つくづく感じちゃうわけ」
でも、後に続いた言葉は、いつも強気で意志的な瞳と、たいようのように明るいオレンジの髪を持つ航海士が明かしてくれた、弱さのかたち。
この船には「ほんとう」しかない。
確かにそう。あなたたちは、こわいぐらいにさらけだすのね。
ロビンはそう思いながら、すぐ隣にある航海士の顔を見つめることしかできなかった。
ウソや偽りの中に身を置いてきた自分は、まぶしいまでの『ほんとう』が放つ光に、焦がされてしまいそうだ。
「でも、あたしが思うに、さみしさとか無力感とかって、一種の引力だと思うのよ」
「引力?」
「うん。しみじみ無力だなって感じたら、人は寄り集まるしかないでしょ? つくづくさみしいって思ったら、人は寄り添いあうしかないでしょ?」
「航海士さんも……?」
訊くのは不躾な気がしたけれど、訊かずにもいられなくて、おそるおそる口にした。
航海士は、ゆっくりとロビンに顔を向ける。
それはいつもの勝ち気な瞳ではなく、星のまたたきのように、静かにきらめいていた。
その瞳がたたえる優しさは、確かに、深いかなしみを知っている人の目だとも思った。
「当たり前よ。だからこの船にいるの」
「……そう」
あっさりと自分の無力もさみしさも認めてしまう、航海士のいさぎよい勇気は、まぶしく熱く、この目にも胸にも残像を刻む。
渇望なのか、焦燥なのか、嫉妬なのか、絶望なのか。
よくわからないけれど、そんな泥のような想いに胸がひりついた。
自分には、一生無理だから。
航海士が見せるのは、そんな憧憬だった。
「もしもさ、本とコーヒーがあんたを慰めてくれるなら、あんたはこの船に乗らなかった。クルーになろうと思わなかった。違う?」「どうかしら……」
航海士が口にしていることは間違いなく、ロビンの中にある『ほんとう』なのに。
それを口にすることはできなかった。
する気もなかったのだと思う。
「まあ、いいけどね」
ロビンの態度に、航海士は肩をすくめて、短く息を吐いた。
「そんな意地っ張りなロビンちゃんに、ナミさんからのアドバイス!」
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