円鬼(無印/円←鬼)
鬼道家の家事は基本的にハウスキーパーに任せてある。もちろん掃除もその中に含まれていて、自分の部屋もまた然りだ。
だが今日は日曜日で練習も珍しくなく、ハウスキーパーに断り気紛れに部屋の掃除をした。
毎日掃除していてくれるから当然と言えばそうなのだが、どこを掃除しても大したゴミらしいゴミなど出てこない。
掃除機のスイッチを切ってベットに腰かけると、手に何かが当たった。
父親の、形見であるサッカー雑誌だ。そういえば昨夜読んで、そのまま寝てしまったことを思い出す。
鬼道は雑誌の表紙をなぞるように触った。
きれいに、きれいにと思って読んでいたが、年季が経つにつれだんだんと汚く、よれてくるのは仕方のないことだ。
日焼けで印刷が薄くなった表紙、手垢で少々黄ばんだページをめくる。
何度見て、読んだか知れない。
施設に入りたてのころは春奈の存在と、この雑誌だけが心の支えだった。
暇な時間はこの雑誌を読み、内容を記憶していった。大きな特集から、とるに足らない小さなコラムや宣伝広告まで。
まるで雑誌の中身が両親の記憶であるかのように、隅々まで、入念に。記憶を手放してしまわないように。
今ではこうやって思い出したときに少しページを捲るだけだが、開いたページ一枚一枚が懐かしく感じる。記憶に止めた内容は忘れることなく頭の中にあって、鬼道の思い出のひとつとなっていた。
そういえば、円堂も祖父のノートを大事に持っていたな、とふと考えた。
円堂の祖父、伝説のイナズマイレブンを率いた監督である円堂大介の秘密の特訓ノート。字は体を表すというけれど、円堂も似たような字を書くことから大介も円堂と同じように存在自体が大きくて、体の奥底からでる力を皆に分け与えることができるようなあたたかい人だったのだろう。
円堂は円堂大介のことをとても尊敬している。鬼道が両親に抱いている感情は尊敬ではなくただの追懐に過ぎなかったが、その薄れた存在でも自分の根底に残っていることで少しは気が晴れる。
それほど強い念とは呼べはしないというのに、考えるだけで満たされたような、渇いたような気分になるとは不思議なものだ。
ふいに浮かんだ円堂の顔で、鬼道は何気なく枕元にあった子機を掴んだ。
『もしもし、円堂です』
「こんばんは、夜分遅くに申し訳ありません。円堂守くんの友人の鬼道有人です」
『あら、鬼道くん?ちょっと待っててね、今守を呼んでくるわ』
「お願いします」
アイキャッチが流れて、暫くの間を埋める。ちょうど30秒後、円堂が受話器を取った。
昼間も聞いたはずなのに、年相応な明るい声に思わず綻んぶ。
『もしもし、鬼道?どうしたんだ?』
「、いや…大した用はないんだが」
衝動的に、お前の声が聞きたくなったんだ。
「…明日の朝練は、あっただろうかと思って」
『ははっ!何言ってんだよ鬼道、お前が今日の練習の終わりに「朝練は明日6時からだ」って言ってたじゃないか』
台詞のところだけ全く似ていない鬼道の声真似をして笑う円堂に、そうだな、と鬼道も笑い返す。
円堂の声は満たされる。
はずなのに、心は渇いている。
『鬼道もド忘れするときってあるんだなー』
「俺も人間だぞ。忘れるときくらいある」
『そっかぁ』
「…円堂」
『ん?』
好きなんだ。
お前のことが。
今すぐ受話器を放り出して、お前の元へ形振り構わず走り出せるくらいに。
だけど届かせてはいけないこともわかっていて、円堂には今のまま、ありのままでいてほしくて。
俺は我が儘だろう?
お前が思っているような優等生なんかではないんだよ。
生唾を飲み込むと、喉に引っ掛かった。
大きく息を吐いてそれをやり過ごす。
「また、明日な」
『おう!またな!』
電話越しでも円堂が気持ちの良い笑顔でいることが想像出来て鬼も笑おうとしたが、思うように口元は動いてくれなくて、いびつに歪んだ口では上手く笑うことができなかった。
その雰囲気が円堂に伝わっていませんように、と願いながら電話を切ろうとすると、円堂の方にそのような気配を感じないことに気がつく。
どうしたんだと問いかける前に、円堂が口を開いた。
『鬼道』
「…、なんだ」
『いつもチームの調整とか、フォーメーションや戦術、考えてくれてありがとな』
はた、と鬼道の思考が停止する。
『俺、キャプテンだけどやっぱり頭使うの苦手でさ…連携とか考えてみたことはあるけど鬼道の考えてきたやつの方がよっぽどすごくて、鬼道すげぇなっていつも思ってる。
毎回伝えなきゃと思って言えてなかったんだ。
それにさ、俺、鬼道のプレーすごく、す』
「円堂」
出た声は自分が出そうと思ったより幾分低くて、掠れていた。
カラカラと奥が音を立てたようだった。
「円堂、お前はキャプテンとして、皆を引っ張っていく役目がある。俺も帝国時代そうだったようにな。だが俺はお前のように自由に、皆を笑顔で一丸とすることはできない。それは円堂、お前がキャプテンだからできることだ。俺はこの雷門での俺の役目はお前を支えることだと自分で思ったから、データ収集や整理をやっている。だから円堂、お前も」
コクリと喉が鳴った。円堂は次の鬼道の言葉を待っているようだった。
「お前も、すごいんだ」
我ながらなんと稚拙な言葉だろうか。
円堂に対する憧憬も、感謝の気持ちも、そんな簡単な言葉でしか表せない自分。
どこまでお前は俺を掻き乱せば気が済むのか、問えもしないくせに考える己にまた自嘲が漏れる。
変わらず円堂は、笑っていた。
【届かせたくない】
(なんのことはない、結局自分の“甘え”に過ぎないのだから)
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円堂さんは無自覚恋のつもり。
鬼道さんはいざとならないと行動できなさそう。繊細だから。
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