天京長編小説 | ナノ

さいかい




中学に上がってすぐのことだった。朝食と弁当の準備があらかた片付いた頃、トーストをかじる京介を見ていた兄はなにやら神妙な面持ちで切り出した。


「兄ちゃんな…実は京介に言ってなかったことがあるんだ」

「ふぅん」


サッカー部の朝練のために急いでいた京介は特に何も考えず何気なく返事してサラダに手をつける。優一の作る朝食はトーストとトマトサラダとベーコンスクランブルエッグと決まっていた。


「京介」

「何、兄さん」

「兄さんじゃなくて兄ちゃんな」

「…に…いちゃん」

「よし」


中学に上がっていつまでも"兄ちゃん"呼びは恥ずかしいと思い"兄さん"呼びを決行したその日、優一の機嫌は急降下の一途を辿り夕食がスーパーの安い惣菜になった。料理好きな優一が既製食を買うなんてことは滅多にないことである。それでも呼び続ければ時機に慣れてくれるかと思ったが、この有り様だ。
もうそこまで子どもではないのに。
ふぅと息を吐き出して時計を見るとそろそろ家をでなければいけない時間だった。足元に置いてあった学校指定の部活用エナメルバッグを持ち上げ肩にかけて優一に行ってきますの挨拶をしようと立ち上がろうとした正にその時だった。



『昔はあんなに兄ちゃん兄ちゃん言ってたくせに』



肩がぞくりと震えた。
さっきまで無かった気配がそこにある。
咄嗟に振り向いた。
誰もいない。
当たり前だ。この家には優一と京介の2人しか住んでいないのだから。
くすり、気配が笑ったように空気が振動する。


『ほんとおっきくなったな京介…もう中学生かぁ』

「っ誰だ!?」

『やっぱわかんないよねぇ…おれがどれだけこの時を待ってたか知らないなんてわかってても寂しいな』



声は確かに鼓膜を震わせている。が、視覚に入ってくる情報はいつものダイニングキッチンだけ。
怖くなって助けを求めるように優一を見ればなんということだろうか、腹を抱えて笑っていた。
唖然とする京介を置いて笑い転げる優一はひいひい言いながらなんとか言葉を絞り出す。


「さっき言ったろ、お前に言ってなかったことがあるって」

「それが今何の関係があるんだよ」

「それ」

「それ?」

「今京介の肩いるその子、その子のことをそろそろ話そうと思ってね」

「その、子」



優一の指差した京介の左肩はさっき声がして、何もなかった場所。
唾を飲み込み、なるべく視線より首が先に動くようにしてゆっくりゆっくり振り向く。


するとさっきまで何もなかった景色の中にぽっかりと浮かび上がった存在があった。出現したこともあるが、それは本当に浮かんでいた。
かち合った群青よりももっと深い丸い瞳が放心している京介を写している。


「初めまして。…なんて言ったら風が泣いちゃうよ?久しぶり!京介!」


そいつが笑ったと思った途端、ぶわりと京介の髪が舞った。思わず目を閉じた次の瞬間に、京介の口に何か当たった感触がした。
それが何かを認識したとき、止まっていた物語が始まる風の音が鳴り響くのである。



「兄ちゃんな、風と友だちだったんだ」
















【さいかい】


(唐突ではない再会と再開)


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