飛ぶように時間が過ぎる(タレカカ妄想付)

2016.04.09.Saturday

【桜流し】

 
 玄関が開く音に気づいたが、振り返らなかった。
 格子窓の向こうは降り続く雨。大小の粒がガラスに貼りつき、ゆっくり滑り落ちていく様をぼんやり眺めていると、背後に人の気配が近づいてくる。
 確かめるまでもない。
 町の外れにひっそり建つこのカプセルハウスを訪れるのはただ一人。
 降りしきる雨を見つめたまま振り向こうとしないターレスの隣に立ち、横目でチラチラと様子を窺う視線を感じる。だが、二人はしばらくの間、どちらからも口を開こうとはしなかった。

「……桜」
 不意にぽつっと呟いた悟空に顔を向け、片眉を上げて見せる。悟空は珍しく困ったように笑ってから、窓の外を指差した。
「あそこにピンクの花が見えっだろ?」
「ああ」
 別に皮肉を言うようなことでもないから、アッサリ答えたのだが、悟空は何やら嬉しそうだ。確かにあまり素直な返答をすることがないから、他愛ない会話でも相手を喜ばせることになるのかもしれない。肩をすくめたターレスにもう一度笑顔を見せ、悟空はまた薄桃色の花をつけた樹に視線を戻した。
「桜流しっちゅうんだ」
「……あの樹か?」
「ん? えっと、あの樹は桜っちゅうんだけど、満開になったと思ったらすぐ散っちまうんだよ。こんな雨の後は、特に。それを桜流しっていうんだって」
「そうか」
 悟空らしからぬ解説は、恐らく聡明な息子の受け売りだろう。他に返す言葉も見つからず、短い相槌をうつ。悟空は雨に煙る景色に浮かんだ儚げな薄桃色の樹を黙って見ていたが、何も言わずにターレスの腕に手をかけ、クイッと引っ張った。
「何だ?」」
「――花見しねぇか? 明日には散ってっから」
「雨が降っているじゃないか」
 ほとんど運命の皮肉と言っていい出来事を経てこの地球という星に住みついて半年。四季と呼ばれる気候の変化があることを教わり、今は春なのだという。
 街ゆく人々が分厚い衣を脱ぎ捨てるのに合わせて心まで軽くなっているかのような、どこか浮足立った空気をターレスも感じていたが、つられて浮かれる性格でもない。
 ただ、今誘われているのがいわゆる花見というものなら、実際興味もあった。
 連日テレビで特集が組まれているこの星の季節行事のようだが、何がそれほど楽しいのか、取材を受けている人間は皆一様に笑顔で質問に答えている。あの儚げな花に人の心を捉える何かがあるのなら単純に知りたいと思った。

「だいぶ小降りになったからきっともうすぐ晴れるんじゃねぇかなぁ。それにおめぇ……」
 そこまで言って、思い直したように言葉を切った悟空を黙って見つめたが、どうやらそれ以上は何も言う気がないようだ。ターレスは窓の外を見て短く息を吐き、行くかと答えた。
「いいんか?」
 パッと目を輝かせた悟空の素直過ぎる反応を見て、ターレスの表情に幾ばくか皮肉が混ざる。だが、その皮肉を口にする代わりにターレスは目の前の窓を開けた。悟空の言葉を裏付けるように遠くの山にかかった雨雲の一部が明るくなりかけている。
「……家に籠っているのにも飽きてきたところだ」
「じゃ、行こう。すぐそこだし」
「ああ」
 無くした尻尾が残っていれば、きっと今、嬉しそうにクルクル振っているだろう。既に窓を乗り越えようとしている悟空の背中に短い答えを返したターレスの顔に自然な笑みが浮かぶ。先に立って飛び立った悟空に続いて表に出てみると、霧吹きから噴き出したような細かい雨が二人の軌道を包み込む。
 ものの一分も飛べば着く場所にあるしだれ桜の下に降り立った時には、どちらの服もしっとり濡れていた。
「やっぱり傘ねぇと濡れちまうな」
 ヘヘっと笑った悟空にならって桜の根元に並んで立ち、なんとなく視線を上げる。家からはいつも見ていた桜の樹は、よく見ると二本の樹が互いを支え合うように枝を伸ばしていて、細く垂れ下がった枝いっぱいにごく淡い紅色の花をつけていた。
「見事だな」
「そうだろ? オラ、そんな花とかいつも見るわけじゃねぇんだけど、ここの桜はいつも綺麗だって思ってたんだ。おめぇに見せれてよかったよ」
「オレに?」
 思いがけないことを言われた驚きから、眉をひそめて問い質すと、悟空が悪戯を見つけられた子どものように首をすぼめる。そのリアクションはかえってターレスの疑問を増やしただけだったが、曇天の中にあってなお刹那的な美しさを誇る桜の下では、それ以上の追及が無粋に思えた。
「……地球、悪くねぇだろ?」
 いつも能天気なまでにストレートな悟空のやけに遠慮がちな問いかけに、面食らってしまう。ターレスは一寸考え込むように沈黙してから、一つ息を吐いた。
「まぁ、な」
「良かった! おめぇの家、ここに決めたのもオラなんだ。春になったらこの桜見せたくて」
「――何故オレを殺さなかった」
「それは、オラもよくわかんねぇけど。……こうやって話せる日もくるって思っちまったんかな」
 恐らく自問したこともあったのだろう。悟空はあまり間を空けずに答えた。ターレスは霧雨程度なら桃色に変えてしまいそうなほど美しい桜をもう一度見上げ、何も言わずに悟空の腰を抱いた。
「ターレス……」
「さっき、オレをここに誘った時だが」
「うん」
 なすがままに身を任せていても、悟空の声が初めて少し硬くなる。
「何を言いかけていたんだ」
「……あれは、オラが勝手に思っただけだから」
「それを聞かせろ」
 有無を言わせない口調で重ねて問うと、悟空は困ったように眉を下げて、ほとど同じ位置にあるターレスを見返した。
「おめぇは、こんな雨が嫌ぇそうだから、この桜を見せるなら今かなって思ったんだ。明日には散るだろうし」
 お気楽そのものかと思えば、純粋さゆえか、悟空は時折思いがけない洞察力を見せる。それは時にターレスの心の柔らかい場所に容赦なく触れることにもなったが、悟空を責めたところでどうしよもないことだ。
 ターレスは隠しきれず溜め息を吐き、腰に回した手に力を込めて、悟空を抱き寄せた。
「余計なことを言ってオレを動揺させたら、結局おまえも困るだろう。そろそろ学習しろ」
「だって、おめぇが聞くから、んっ……」
 抗議の途中で悟空の唇を唇で塞ぎ、いつの間にか止んだ雨の気配を胸の中からも追い出すようにきつく悟空を抱きしめる。悟空は反射的に抵抗しかけたが、すぐに力を抜いて、まだ戸惑いながらもターレスのキスを受け止めた。

「……ターレス」
 息の仕方を忘れそうなほど長いキスを終え、唇を離した二人の間では、言葉にできない思いの代わりに濡れた呼吸が重なり合う。
 悟空はポツリとターレスの名を呟いたが、赤みの差した顔にややぎこちない笑顔を浮かべ、桜に目を移した。
「晴れそうだな」
「うん、よかった」
「帰るか?」
「ううん。もう少しだけ、いいだろ?」
「好きにしろ」
 ぶっきら棒に答えたところで、名残りを惜しんでいるのが自分の方だということもターレスにはわかっていた。
 
 一雨で流れる花ほどスマートにはいきそうもないな……

 はらはらと散り始めた薄い花弁を目で追いながら、ターレスは胸をざわつかせる感情が出口を見つける日がまだ遠いことを思い知らされていた。





end
 

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