一応^^

2014.05.24.Saturday


 リビングの灯りを点けると、目の前のソファで寝ていた青年が眩しそうに顔をしかめた。

「カカロット、こんなところで寝るなといつも言ってるだろ。いくら5月でも風邪ひくぞ」
「トーマ、お帰り」
 カカロットはいさめられたことを気にした様子もなく、大欠伸をしながら起き上がった。
 一見すると冷たくも見えるほど整った顔立ちや背格好からして二十代半ばだろうが、さっき見せた寝顔はまだあどけなさも感じさせる。
 一緒に暮らしていて、年齢が分からないはずないだろうとつっこまれても仕方がないが、トーマと出会った時、カカロットは一切の記憶を失くしていた。
 トーマがオーナーを務めている小さなレストランの三周年記念で珍しく遅くまでスタッフたちと飲んでいたあの日。終電を逃してどうしたものかと思いつつ夜の街を歩いていたトーマは、路地裏に続く狭い通路に倒れている人影に気づいて近づいた。

 酔っぱらいか?
 
 昔はやんちゃをしていた時期もあるから、腕に覚えがないわけではないが、多少用心もしつつ近づく。暗くてハッキリとは見えなかったが、ゼェゼェと荒い息遣いをしていることだけは分かった。ポケットからスマートフォンを取り出し、ライト機能を使って倒れている男にあててみる。どうやら怪我をしているらしく、額から流れた血が閉じた瞼や頬に行く筋も赤い線を描いていた。
「おい?大丈夫か?」
 さすがに慌ててその場にしゃがみ込み、大声で呼びかける。
 幸いトーマの声に反応するだけの力はあったようだ。
 こめかみをピクリとひきつらせ、ゆっくり開いた青年の目は闇の中でも驚くほど鮮やかに青かった。
「起きられるか? 今、救急車……」
「たの、む……病院はっ、駄目、だ……」
 青年はトーマの言葉に息を飲み、青白い顔で必死に訴えた。
「しかし、このまま……」
「お願い、……無理なら、このまま、見捨て……」
 相当無理をしていたのか、そこまで言ってフッと意識を失ってしまう。
「おい!!」
 慌てて抱き起こし、大声を上げたが、もう反応しなくなっている。慌てて鼻先に顔を近づけてみると、かろうじて息はしていた。
「どうすりゃいいんだ、畜生」
 珍しく毒づきながら、考えを巡らせる。
 この事態を打開できそうな方法は一つしかない。だが、出来ることなら最も頼りたくない相手だ。
「くそっ」
 背に腹は変えられない。
 トーマは手にしていたスマートフォンを少々苦労しながら片手で操作し、目当ての番号をタップした。


「へぇ。面倒だと思ったが、こりゃ恩を売りたくなる気持ちも分かるな」
 十五分後。
 ビルの間を通って近づいてきた男は、トーマの腕の中の青年を見て可笑しそうにそう言った。
「余計なこと言ってないで、何とかしてくれ」
「相変わらずお人好しだな、トーマ」
 闇に溶けそうな浅黒い肌が特徴的な男の名はターレス。
 もっとも、これは偽名らしく、数年前、外国から亡命してきて以来本名は名乗っていないらしい。軍医経験者のターレスはいわゆる裏稼業で正規の医療機関にかかれない人間の治療を行っている。
 ごく普通の市民でしかないトーマとの出会いは単なる偶然だったが、これもターレスの指摘通りトーマの性格ゆえに関わることになってしまったのだ。
「ほっとけって言うのか!?」
「そうじゃない。このガキが何と言おうと救急車に任せておけばいいというだけのことだ」
「そ、そりゃ……っ」
 まさに正論を突きつけられ、言葉に詰まってしまう。
 ターレスは軽く肩をすくめると、身体を屈めてトーマが抱きかかえている青年を医師の顔になって見つめた。
「怪我は大したことなさそうだ。……詳しく診てみないと分からないが、こりゃ何日もろくに食ってないな」
「そうなのか?」
「ああ。まぁ、ここからオレの家にも近いし、運が良かったな。裏に車停めてある。タクシーに乗ったら怪しまれるだろう」
「ああ、悪い」
「ふん。ま、オレもあんたには返しきれない恩がある。仕方ない。ただな、トーマ……」
 カカロットを抱きかかえて立ち上がったトーマは、珍しく言い淀んでいるターレスを不思議そうに見た。
「……助けてやるのはいいが、あまり深入りするな」
「どういう意味だ」
「もちろんこのガキの事情は分からない。ただ、まあ、同じ穴のムジナって奴はなんとなく分かるんだ」
「ああ。まぁ、体力が戻れば、別にコイツもオレに関わることもないだろう」
「だといいがな」
 ターレスはトーマの腕の中の青年を一瞥し、珍しく吐きそうになった溜め息を飲み込んで先に立って歩き出した。


「トーマ?」
「あ、ああ、なんだ?」
「コーヒー淹れたよってさっきから何回も言ってるんだけど」
 湯気を立てているマグカップを差し出したカカロットは不思議そうにトーマを見つめている。
「すまんな。ぼんやりしていた」
「忙しかったんだ、店」
「まぁな」
 コーヒーを受けとり、カカロットと並んで腰を下ろす。自分の好みよりも少し酸味の薄いコーヒー豆を買うようになったのはカカロットと暮らし始めてからだ。店用の試供品でもらったものを気に入って飲んでいるのを見て変えたのだが、気づいた時のカカロットの嬉しそうな顔はコーヒーを飲むたび思い出される。

 ……あいつの忠告も無駄じゃないな。
 結局聞き入れているとは言い難いのだが。
 ターレスに怪我の治療を受け、栄養と睡眠をたっぷりとった青年は、目覚めた時、自分の名前も歳も何もかもを忘れていた。
 仕方なく唯一の所持品だったアンティークな懐中時計に彫られた名前で呼んでいるのだが、本人もさほど違和感は感じないらしい。今時、装飾品として以外こんな時計を使う者もいないだろうが、他に手がかりがないのだからどうしようもなかった。
 警察に届け出るべきだとは分かっていたものの、救急車を呼ぶなと訴えた時の様子が忘れられず、結局一旦トーマのマンションの空いた部屋を使わせることにした。
 当然ターレスには言わんこっちゃないとばかりの顔をされたが、カカロットの安心した様子を見ては今さら止めたとは言えなかった。そうして、ほんの一、二週間のつもりで預かったが、仕事で忙しいトーマの家のことをが何となく手伝ったりしているうちに、カカロットのいる生活が当たり前になり、半年が過ぎた。
 別に目立ったトラブルもないからと自分に言い訳して一緒に暮らしているが、早いところ記憶を取り戻せるようにしてやらなくてはいけないだろう。
 ターレスが合間を見て調査をしてくれるとは言っていたが、気まぐれな男のこと。催促したらへそを曲げて止めてしまうかもしれない。どうしても必要な時以外、極力こちらからコンタクトは取らないようにしていた。
 
「ねぇ、トーマ」
「ん?」
 今夜はやけに昔を思い出してしまう。
 カカロットに声をかけられ、我に返ったトーマが返事をすると、カカロットはトーマがいつだったか買ってやった青いコーヒーカップを握ったまま、いつになく真剣な顔をしていた。
「トーマってゲイだろ」
「ブッ!」
「あ、ごめん」
 ちょうど口にしたコーヒーを盛大に噴き出したトーマを見て、カカロットが慌ててティッシュを差し出す。トーマは口元を拭い、目の前のコーヒーテーブルを拭いてくれているカカロットを見て冷や汗をかいていた。
「なんだ、突然」
「……やっぱりそうなんだ」
「なっ」
「普通そうじゃなかったら、理由を聞くより先に否定するよね?」
「っ、だ、だったら……っ」
 完全に冷静さを失っているトーマを見つめ、カカロットは柔らかく微笑んだ。
「別に偏見なんてないよ。トーマは、……どこの誰とも知らないオレに親切にしてくれてるんだから。ただ、……トーマがゲイなら、半年も一緒に暮らしててまったくオレに興味を示さないってことは、オレってよっぽど魅力ないんだと思って」
「何言ってるんだ、カカロット!」
 髪と同じ金色の眉を困ったように下げたカカロットの言葉に顔を赤らめ、トーマは隠しようもないほど汗をかいていた。
「この前、トーマが忘れていった翌日のランチメニュー案、届けただろ?」
「ああ」
「あの時見たんだよ。トーマが事務所であのターレスって人とキスしてるの」
「あ、あれは、あいつがふざけて!!」
「分かってる。二人が恋人だとか思ったわけじゃないよ。ただ、男同士のキスが未経験って反応じゃなかったから」
「――っ、だ、だとしてもっ、オレはっ、別に何か下心があっておまえを引き取った訳じゃないっ。不快なら……っ、出て行ってもいい。もちろん、ターレスに訊けば、なんとか家も見つけてやれ……」
 必死で話しながらも、トーマの頭の中は同じ言葉がグルグル回っている。
「トーマ!」
「何だっ」
「違うよ、ごめん。……聞きたかったのは、オレじゃダメなのかなってこと」
「カカロット、何言ってるんだ? 同性同士だぞ?」
「でも、トーマは男が好きなんだろ?」
「だからっ。世間一般では、特殊な性癖なんだ」
「うん。だから、オレはトーマには男に見えない? ……好きなんだけど」
 グッと迫られた分だけ後退したものの、当然狭いソファの上で逃げ回れるはずもない。
「あのなっ」
「――答えてくれよ、トーマ。そういう対象にならないって言うなら諦める」
「駄目だ」
「それ答じゃないよね?」
 悪戯な笑みでそう言うと、カカロットは逃げ場のないトーマに身を乗り出して顔を近づけ、薄く開いた唇を重ねた。
「……良かった。避けられたらどうしようかと思ってた」
「避けられるはず、ないだろう」
「それって……」
「出て、いって欲しくない。本当はもうずいぶん前から、おまえのいない生活は想像したくもないと思ってきた。オレの身勝手な望みだとしても」
「出て行かない。出て、行きたくないよ、トーマ。ただ、オレは……」
 安堵したように相好を崩して笑ってから、カカロットは少し暗い顔になって目を伏せた。
「カカロット?」
「まだ何も思い出せないし、そのことは別にいいんだ。でも、……多分トーマといる資格なんてない人間なんだと思う」
「どういう意味だ?」
「この前、街に買い物に行った時、見たこともない奴に声かけられた。いくらだって。その時は何のことか分からなかったけど、そいつはオレを知ってるみたいだったんだ。あいつのものじゃなくなったのかと思ったらとか何とかブツブツ言ってて……」
 少し辛そうに顔を歪めたカカロットを見て、恐る恐る肩に手をあててやると、嬉しそうに微笑んだ。
「その時は人違いくらいにしか思わなかったんだけど、それから夢を見るようになったんだよ。――真っ暗な部屋で、相手が誰かも分からないけど、延々……犯されてる」
「おい……」
「飛び起きて、目が覚めるんだけど……そのたび、トーマの部屋に行って寝顔見てた。ここにいるんだって安心出来たから」
「馬鹿っ。どうして早く言わないんだ!」
「だって、どう考えてもまともな環境にいたと思えない。思い出したら、きっとトーマには言えないことばかりだ」
「オレはっ、おまえが何処の誰でも……っ」
 抑えてきた感情を爆発させたカカロットを堪らず抱き締め、想いのたけを明かしてやろうと思った瞬間、突然トーマの電話が鳴り出した。



・・・・・続くといいねw

23:19|comment(2)

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