3
雨の中を一息でここまで駆けてきたボクは仁の家の前で深く息を吸い込んだ。
家全体が雨に煙る中、リビングの明かりだけははっきりと見える。
居る。
仁が帰ってきてる。
ボクはもう一度深呼吸してから、仁の家のインターフォンを押した。
「…はい」
固い、他人行儀な仁の声。
インターフォンのカメラにボクの姿は映っているのかな。
…ボクだって分かってるのに、仁の声はこんな他人行儀なのかな。
ボクは拒絶される恐怖におびえながら声を出す。
「…ボク」
「……」
こんなに怖い事が世の中にあるなんて。
何も言わない仁にボクは必死に思いを伝える。
「さっきのこと謝りたくて…」
ガチャ。
音を立てて重々しく玄関のドアが開く。
「…何の用?」
仁がドアに手をかけたまま低い声でボクに言う。
仁とドアの隙間から暖かな電気の光と、薄汚れた大人の男性用の革靴が見える。
――浮島さんが来てる。
こんな時だというのに、それだけで心がざわめく。
「直接謝りたくて…」
ボクはぎゅっと一瞬だけ目を瞑って、仁だけを見つめた。
ボクは謝りに来たんだ。
余計なものを目に入れる必要なんてない。
ボクは心のざわめきを必死に心の底に抑えて謝りの言葉を言った。
……もうボク達の関係は終わったんだから最後にちゃんと謝らなきゃ駄目だ。
「さっきは酷いこと言ってゴメン。
浮島さんに嫉妬してつい言っただけなんだ。
あんなこと本当は思ってない。
許してもらおうとも思ってない。
ただ、謝りたかっただけなんだ」
ボクは言いたいことだけ言うと、クルリと仁に背を向ける。
「さよなら」
仁と、ボクのよりずっと大きな靴をこれ以上見ないようにボクはまた雨の中に戻っていく。
ちゃんと謝る事が出来たんだから、もうこれ以上ボクが傷つく必要も無いはずだよね?
それなのに暗い雨の中を仁と浮島さんから少しでも離れようと逃げるように走っていると後ろから声がした。
「待って!」
振り返るとそこに仁がいた。
裸足で傘も差さずに雨の中に仁がいた。
「さっきの…、浮島さんに嫉妬ってどういうこと?」
唖然としたボクは、それでも泣いてるのを隠す為にすぐさま顔を伏せた。
「どうって言葉どおりだよ」
「なんで。なんでマックスが浮島さんに嫉妬するの?」
なんで?
こっちこそ「なんで?」って聞きたい。
なんでそんな事聞くの?
これ以上ボクの傷を抉って、何がしたいの?
ボクは少しヤケになっていた。
言う必要のない事まで口にしていた。
「なんでってボクが仁のこと好きだからに決まってるだろ!」
「…嘘だ」
ボクのキレ気味の答えに仁が呆然と呟く。
そうだよね。
仁の為に自分の気持ちを必死に隠してきたんだから、そんな急には信じられなくて当たり前だ。
ボクはもう完全にヤケになっていた。
「ボクのことはもうどうだっていいよ。
仁は早く浮島さんのところに戻りなよ」
ボクは自嘲気味に呟いた。
「違う、違う!」
仁が急に首を大きく振る。
ボクの声を打ち消してしまうぐらい、その仁の声は雨で誰も居ない道に響いた。
ボクは突然の大声にびっくりして仁の方へと顔を上げる。
「浮島さんにはマックスのことを相談してたんだ。
ずっと、ずっとマックスのことが好きで。
あの日屋上で抱きしめられた時に俺がマックスのこと好きなのがバレたから、だからだから、マックスは俺を避けてるんだと思って。
苦しくて苦しくて…ッ!」
仁の長い髪の影から顎へと雫が滴り落ちている。
…仁が泣いている。
雨なんかじゃない。
嗚咽まじりの声で、ボクが好きだと、仁が泣いている。
「ずっと、ずっと好きだったんだ。
あの日、どんな俺も嫌いにならないって受け入れてくれた時からずっと…」
その言葉を最後に、仁は顔を覆って泣き始めた。
――ああ、なんてボクは大馬鹿なんだ。
仁のこと見てるようで全然見ていなかった。
自分の思いに振り回されて、いっぱいいっぱい仁のこと傷つけた。
ボクは泣いている仁の肩にそっと手を回す。
あんなに触れちゃいけないと思った仁の身体は、ボクの手が触れても拒絶する事無くボクの傍にある。
ああ、ボクはいっぱい遠回りしたけどやっと泣いている仁に触れられた。
ボクも仁も雨と涙でぐちゃぐちゃだ。
「ねえ、早く家に戻ろ。
そこからまた新しく一緒に始めようよ」
ボクがそう言って覗き込むと、仁の口元は微かに上がっていた。
暖かな、幸せそうな顔だった。
END
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