第四章1



「仁〜、落ちないようにねー」

「言われ、なく、ても、わかって、る」

ボクはつま先立ちで背伸びする仁の背中に向かって声援を送る。



今日もいつもの様にアノ夢を見て、
おねだりして屋上の校旗を壁山のユニフォームに取り替えるという、ボクにも仁にもメリットなんて一個もないバカなことを仁にやらせている。

校旗は屋上の入り口の上にちょこんとした台とポールで支えられていて、台に乗れば手が届く簡単なものだ。
ボク達はそこら辺の教室から椅子を持ってきて何とか校旗を外した。

壁山のユニフォームをたなびかせる為にボク達が選んだのは、縦洗濯竿方式だ。
簡単に言うと、ポールに袖を通して、下まで落ちないようにガムテで留めるという、
完成後もユニフォームがちゃんと着れるように考案された壁山に優しい方式だ。


でも難点がひとつ。
ポールの上から袖を通すにはボク達の身長は少し足りないってこと。


さっきまで校旗の硬く結びつけられた紐を背伸びで上を向いたまま解いていた仁は、だいぶ疲れてるみたいで、壁山のユニフォーム相手に苦戦していた。
遮るもののない屋上の日差しのもとでずっと上を向いたままの仁はだいぶ暑そうだった。


「もう少しなんだけどな」

普段きっちりと締められた詰襟を緩めながら仁がつぶやく。
片足を上げて、さらに高く背伸びをする。


入ったと思ったのと同時に仁がバランスを崩す。

あっ、と思った瞬間、体が動く。


ガタンと椅子が乾いた音を立てる。
同時に息が止まりそうな鋭い痛みが胸を走る。

だけど、それよりも、


胸の中に仁がいる。



夢の中であんなに手を伸ばしても届かなかった仁が、今、ボクの胸の中にいる。
逃がさないように抱きしめた腕に力をこめようとして、気づく。


違う。
手を伸ばしたのは助けたかったから。

…触れるためじゃない。


ボクの腕は力なく仁から離れ、屋上のコンクリートへと落ちる。


「ご、ごめん」

腕が緩んで開放された仁が、ボクに覆いかぶさった状態で顔を赤くして謝る。
下を向いてる仁は前髪がはらはらと広がり、
そして、そして


瞳が
瞳が見える。


「大丈夫…?」

心配そうな仁の声に慌てて目線を下げる。
でも、珍しく緩められた襟元から見える白く長い首や鎖骨がやけに目につく。

すぐ顔を横に向けると、そこには仁の細く長い指が…。


ああ、もう逃げられない。

ボクは諦めて目を瞑る。


今までずっと逃げていた黒いモヤモヤした闇に、ボクはついに捕えられてしまった。



「マックス?」

いつもと様子の違うボクを気遣い仁が呼ぶ。


「どいて」

それに気づいているのにボクの口から出た言葉は氷点下の冷たいやつ。
少しでも早く仁から体を離したくて、できるだけなんでもない声を装おうとしたらそんな声しか出なかった。

「ごっ、ごめん」

ずっと心配そうに膝をついてボクに跨るようにして見つめていた仁が、顔を赤くして慌てて飛びのく。

自覚してしまったボクはもう、仁が見れない。
下を向いたまま体を起こす。


「大丈夫?」

無言で立つ僕を仁はまだ気遣ってくれる。

「ああ、大丈夫だよ」

本当は腕に鈍い痛みがあるけど、心配させたくなくて、…腕に触れられたくなくて、ボクは平気な顔でズボンの埃を払った。

突然態度の変わったボクに仁が戸惑っているのがわかる。
仁を困らせたいわけじゃないのにボクはどうしていいかわからない。


「仁。
…ごめん」

「え?」

「ごめん…!」

そんな言葉一つでボクはまた逃げた。



それはとても晴れた日で。


一度だけ振り返れば、屋上に袖と首の部分が通った壁山のユニフォームが斜めにたなびいていた。


それは晴れた空にふさわしい程美しく滑稽で。
ボクは痛む腕を抱えながら、
大きく笑ってそれから、少しだけ泣いた。



 

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