誓いの指輪



「…鬼道、きどおっ!」

ハッとして視線を定めると、先ほどまで指を凝視していた相手が俺の顔をニコニコと悪気のない顔で見つめていた。
今はコーチ就任に対する事務処理中だ。
当事者たる俺が呆けるべき時間じゃない。
・・・俺とした事が致命的な失敗をしてしまったようだ。



「鬼道でもボウっとする事あんだな!めっずらしー」


ニコニコと笑みを浮かべたその顔は珍しいカブトムシを見つけた子供のようで、呆けていた俺を皮肉る調子は含まれていない。
ただ純粋に珍しかっただけなのか、円堂らしい無邪気な顔をしていた。
俺が何を見ていたかまでは気づいていないようで、内心安堵しかけた。


「俺の指輪、じぃーっと見ちゃってぇ。
もしかして鬼道、これ、羨ましいんじゃないのかぁ?」


左手を翳し、円堂の大きな口の端が上がっていく。
どうやら俺はまだ安堵するには早いらしい。
思わぬ図星に、表情を変えぬように努力するだけで一苦労だ。


だが一方で円堂は俺をからかう材料を見つけたと思ったのだろうか。
母校の監督を任されてからは随分と社会人らしくなったと驚いていたものだが、今の円堂の顔はどう見ても中学の頃と寸分変わらない表情をしている。
瞬時に組み立てたパターンの内、最悪のものは円堂の顔を見る限り免れたようだ。


「いや、お前が結婚指輪をしているのが珍しくて、ついな」


「そうかぁ?サッカーん時以外はずっとしたままだけどな、俺。
風呂ん時も寝る時も外さないし」


「そもそもサッカーをしていない時が珍しいじゃないか、お前は」


「そうだっけか!」


呆れた顔でそう言えば、円堂が照れたような顔で笑う。
年季の入った俺の誤魔化しに、円堂はいつも簡単に乗せられてくれる。
それがどこまで本気か、俺には判断出来ないが。


俺はこの底を伺い知る事の出来ない円堂という男に、人知れず好意を寄せていた。
それは円堂から寄せられる友情とは違った種類の感情だ。
中学以来の親友に同じ感情を返せない自分が心底残念でならない。
それは元より誰にも、本人にさえ告げるつもりも無かったが、先日、この友人が同じく中学からの知り合いと長い春を実らせ結婚をした時点で更に禁忌となった。
告げるどころか、誰にも悟られる、いや、少しでも疑われる事さえ俺は避けたいと思っている。
それなのに円堂の薬指に光る指輪を凝視してしまったのは、それこそ純粋に珍しかったから。
分厚いグローブをしていない円堂に会うのは随分と久しぶりだった。
人は身構えていない時こそ大きなダメージを負ってしまうものだ。
俺とてそれは例外ではない。
「円堂が彼女に永遠の愛を誓っている」という目に見える証拠は想像以上に俺を傷つけた。




「なあ鬼道!手ぇ貸して」


ああ、また少し呆けてしまっていたらしい。
どうやら自覚がないだけで相当ダメージを受けていたらしい。
もう結婚式に友人として出席した時点で決着のついた想いだと思っていたのに、なんて様だ。
俺は自戒の念に囚われて、うわの空で円堂に無造作に自分の手を差し伸べた。


「ほら」


「さんきゅ」


円堂は礼を言うが速いか、俺の手を取ると自分の顔にもっていった。
ぎょっとしている内に俺の指は円堂の口の中へと消えていく。
半分呆けていた俺の意識が一気に覚醒する。



なんで俺の指を円堂が銜えるんだ!?



円堂が俺の指を銜えるという信じがたい光景に俺は目を瞠る。
驚きとそれから、普段ではありえない友達とのスキンシップの域を超えた行為に対する自分でもどうしようもないときめき。


・・・を感じたはずなのだが、それ以上に痛かった。


「イッ!」


俺は慌てて円堂の口から自分の手を引こうとして、円堂の虫歯一つ無さそうな白い歯に躊躇した。
この状態で手を引いて、俺の指は大丈夫だろうか?
まさか自分から円堂の口を避ける事態になるとは夢にも思っていなかった。
昔は円堂の口が自分に触れるのを切なく夢想した事さえあったのに。
断言しよう。
円堂の口は凶器だ。
円堂の口の中は甘い感傷も切ないときめきも吹き飛ぶような凶器でしかなかった。


「いひゃい?」


俺の指を食いちぎる勢いで噛んだ円堂は、その凶器をニッと見せ付けてモゴモゴとしゃべった。


「当たり前だ、馬鹿ッ」


俺の罵倒にすまなそうに片目を瞑ると、指に掛かる歯の圧力が引いていく。
俺の指が円堂の非常食になる事態は避けられたみたいだ。


・・・と油断したら、ぬるっとした舌が俺の指の間を嬲った。



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