9
「ティッシュ」
息が落ち着き、絡ませた体を離すと、俺は鬼道に向かって短く言う。
自分から強請った照れ隠し、ってヤツ。
まあ俺が今日強請ったのは鬼道が変な薬使ったせいだから、これぐらいの我が儘は言って当たり前ってもんだ。
ヤラせてくれてありがとう位の気持ちを鬼道は持つべきなんだよ。
ほら鬼道も何も言わずにウェットティッシュを渡してくれる。
少しは悔い改めたかな?
俺はそんな事を考えながら零れ出るモノを拭いていた。
「中に出して良かったのか?」
「昨日あんなに中に出しといて、今更だろ」
俺は顔を上げず拭きながら答える。
うう…、夢中になってて中出しとか全く考えてなかったとか言えない。
俺は頬が赤くなるのを自覚しながら、使い終わったティッシュをゴミ箱に投げ捨てた。
「抱っこ」
まだ頬は熱いまま、俺は鬼道に向かって駄々を捏ねた。
「シャワー浴びるから連れてって」
座ったまま両手を広げて鬼道に命令すると、苦笑を浮かべた鬼道がお姫様抱っこで俺を抱き上げる。
「今日は随分と甘えてくるな」
苦笑混じりの言葉に、鬼道に抱えられながら目の前の胸をグーで殴る。
「お前なぁ!変な薬使ってまでシたんだから、これぐらい当たり前だっつーの!!」
「変とは失礼だな。
ちゃんと中に塗っても大丈夫な傷薬をわざわざ調合してもらったというのに」
え…?今なんて言った?
さらりと続けられた言葉に、俺の時間が止まる。
「…本当に、ただの傷薬なのか?」
だって、あの薬を塗られたら体が熱くて堪らなくなった。
鬼道が欲しくて堪らなくなった。
「当たり前だ。
お前の体に変なものを塗るはずないだろう」
う…、そ、だ……ッ。
サーッて耳の奥で血の気が引く音がする。
「処方箋のあるちゃんとした薬だ」と鬼道が言うのがやけに遠く聞こえる。
「だってお前、素直になるおまじないだって…!」
俺は一縷の望みを掛けて、鬼道の首に縋りつく。
「き、聞こえてたのか。
あれは別にお前がってわけじゃなくだな…その…」
鬼道が珍しく口調のはっきりしない言葉を紡いでいるのに、俺の耳は全部素通りさせてしまう。
震える手で必死に鬼道にしがみついていないと崩れ落ちそうだった。
「半田?」
話も聞かずに震えてしがみつく俺に、鬼道が気づき声を掛ける。
「なあ、お前が何か俺にしたんだろ?
だってだって、そうじゃなきゃおかしいじゃないか!?
俺がお前に抱かれたいだなんて、
そんな…、そんな女みたいなことあるわけないだろ!?
あっちゃいけないんだ!!」
鬼道とシてるのは鬼道が無理やりしてるんであって、本当はしたくなんかない。
それは俺の中で当たり前の前提だった。
俺は男で。
俺達は男同士で。
だから俺は嫌で仕方ないはずなんだ。
だからその前提が崩れてしまったら、俺は、俺は……。
・・・俺の中の「女」を認めなきゃいけなくなる。
しがみつく俺を鬼道がゆっくりと床に降ろす。
でも足が床についても、鬼道から離れられない。
怖くて、誰かにしがみついていないと自分がどうにかなってしまいそうだった。
「落ち着け、半田。
全部俺が悪いんだ。
俺がお前をそうなるようにしたんだ。
俺だけを欲しがるように。
だからお前は何も考えるな。
ただ、俺の傍にいればいい」
鬼道はそう言って俺の背中を撫でる。
だけど俺は抱きついたまま、首を大きく振る。
鬼道が俺をそう作り変えたっていうけど、そんなの俺の中に素養が無ければそんな風になるはずない。
俺の中の「女」の部分が、自分でも目を背けてる内に、こんなにも大きく育ってしまっていたんだ。
鬼道はそんな俺を見て長い溜息をつくと、俺を引き剥がした。
泣く寸前の俺の顔をまっすぐ見つめた。
「いいか半田。
一般的に女より男の方が性欲が強い。
女は決まった時期しか生殖できないが、男はいつでも可能だからな。
古く溜まった精子を輩出するように男は出来てるんだ。
お前が俺を求めるのは、お前が男だからだ。
女だったらこんなに簡単なはずがない。
好きな男の為に貞操を守ろうと、もっと抵抗して心身共にダメージを受けるはずなんだ。
男だからこそ些細なことで簡単に流される。
誘惑に勝てない。
考えてもみろ。
この俺だって欲に流されてしまうんだ。
お前なんかなおさらだ。
いいか、お前が嫌いな俺としたくなるのは、全部お前が男だからだ。
女だからなどということは決してない!」
訥々と語られた鬼道の説得。
それは明らかに俺の為の詭弁に過ぎなかった。
でも、俺はそれに気づかないふりをした。
そうしないと壊れてしまいそうだったから…。
「…じゃあ、俺が鬼道としたくなるのは、俺が男だから?」
俺は今後は鬼道の言葉に縋り始める。
「ああ、そうだ」
鬼道がはっきりと言い切る。
「…じゃあ、鬼道で気持ち良くなっていいの?」
「ああ、そうだ」
断言する鬼道が、俺の心を騙してくれる。
「…じゃあ、俺、女に近づいてない?」
「ああ、そうだ」
「…そっか」
その瞬間、俺は鬼道の優しい嘘に完全に絡め捕らえた。
もう、何も怖くはなかった。
「じゃあ、今からもう一回してくれる?」
俺が泣き笑いの顔でそう聞くと、鬼道も少し笑う。
「今は授業中だぞ。
俺は授業など聞かなくても平気だが、お前はそうもいかんだろ?
俺のせいで成績が落ちたら困るからな」
そう言うと、俺の耳に顔を寄せる。
「今日、俺の家に来い。
ベッドの上で思う存分可愛いがってやる」
俺はもう悩むことはなかった。
「いっぱい気持ち良くしてくれる?」
鬼道の淫らな誘いを俺は笑顔で承諾した。
だって男なら、Hな誘惑には勝てないもんだろ?
怖いものが無くなった俺は聞きたかった質問を一つし損なう。
「…じゃあ、鬼道のこと好きだから抱かれたくなるんじゃないの?」
それは、訊ねることなく俺の胸の奥に仕舞われた。
▼