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「母さん、俺、ちょっと土門と出てくる」
「お邪魔しましたー」
母親に泣き腫らした顔を見られたくなくて、俺は廊下から声を掛けただけで土門と階段から玄関へと直行する。
母親がリビングから出てくる前に俺達は家を出てしまう。
家を出ると、大分日が伸びたとはいえ、もう辺りはすっかり黄昏時になっていた。
眼の辺りが腫れぼったくて仕方ない俺は、その薄暗さにほっとする。
「一応一之瀬に連絡すっから」
家を出た途端、土門がケータイを手にする。
電話しちゃったらもう後には引けない。
そう思ったものの、どっちみちもう後には引けないのだと思い直した俺は無言で頷く。
「あっ、一之瀬。今半田と一緒なんだけど…。
ん?お前今どこに居るんだ?」
「はぁ?なんで円堂の家なんて」
「ふんふん。はぁーっ、なるほど。
なあ俺、お前にホテルで反省してろって言ったよな?」
「いいから!今から半田連れてホテル帰るからお前も早く戻れ。いいな」
土門は通話を切ると世話が焼けるといった感じで溜息を吐いた。
「一之瀬、円堂んちに居たんだ。何か用だったんじゃないのか?」
「あー、イイ、イイ。気にしなくって。
アイツ豪炎寺んちが分からなくて円堂に聞きに行ったんだと。
まったく本当に豪炎寺に撲り込みに行こうとするとはなぁ、参った」
土門はそう言って後頭部をタハハって掻くと、何が何だかよくわかっていない俺の背中をばんと叩いた。
「一之瀬は本当にお前に夢中って事。
ほらだから早く行こう。お前に今必要なのは一之瀬と話す事だと思うから」
ホテルの二人の部屋に着くと、まだ一之瀬は居なくて俺はほんの少しだけほっとしてしまった。
「なんか飲む?」
土門が俺にグラスを渡してくれる。
相変わらず土門はさりげない気遣いが上手い。
きっと俺が一之瀬のスーツケースやらベッドに置きっぱなしの服を見ただけで動揺したのなんかお見通しなんだと思う。
俺は少しでも落ち着きたくてグラスを土門に掲げる。
そのグラスは小刻みに揺れていてみっともない。
でも土門は何も言わずに空のグラスにミネラルウォーターを注いでくれる。
零さないようにって思うと、手の震えは自然と収まっていく。
なんだかどこまでが土門の計算なんだか分からなくって、俺は少し笑い出したい気分になる。
すっかり震えの止まったグラスを持って、俺は土門に笑ってみせる。
「文句でもなんでも一之瀬に言ってやれよ。
これで最後ってならなんでも言えるだろ?」
土門はそう言いながら自分のグラスにもミネラルウォーターを注いだ。
「半田一人で抱え込んじゃったから、こんなに拗れちっまったんだよ。
一之瀬にも少し押し付けてやれば気楽になるから」
そしてグラスを掲げて俺にウィンクをした。
そう、なのかな?
一之瀬だって俺に何も言わないで一人で頑張っていたのに、俺だけ一之瀬に甘えていいのかな?
俺はこの期に及んで、まだグダグダと悩んでいた。
答えなんて出なくて俺はぐいっと水を飲み込んだ。
水を飲んだ俺は、グラスの中の水を見つめてこれからの事を考えていた。
取りとめも無く、一之瀬とのこれからは無いんだなぁって思っていた。
そう思うと寂しくて不安で、走り出したい気分になった。
また泣きそうになって、慌てて俺は気を紛らすため窓の外に眼をやった。
そんな時だった。
大きな音を立てて、一之瀬が帰ってきた。
「半田っ!!」
振り向くとそこに一之瀬が居た。
コートの前を全開にして息を切らした一之瀬が居た。
髪も走ってきたせいかセットが乱れてて、俺に会うために急いだのかと思うと胸が詰まった。
初めて一之瀬を意識した時を彷彿させた。
「半田っ!どうして泣いてるの!?土門に責められたの?それとも思い直してくれた!?」
一之瀬はまっすぐに俺の方に来て、俺の肩を掴んだ。
一之瀬の目はまっすぐ俺だけを見ていて、その瞳には俺しか映っていなかった。
一之瀬は格好悪いぐらいいつだって俺だけを見て、俺の事だけ考えてくれた。
俺の為に恥ずかしいのに生理用品を買ってきてくれた事。
いっつも俺のクラスにやってきて、こっそり好きって言ってた事。
一緒に雨宿りした事。
それに初めて抱き合った夜の事。
一之瀬と一緒に過ごした日々が一気に思い出された。
その時の気持ちと共に。
俺は堪らなくなって、ぎゅっと一之瀬にしがみ付いた。
グラスが落ちて足元を濡らしていく。
「一之瀬ぇ。
…好き。大好き。嫌いになんてなれないよぉっ!」
グダグダ何を言おうか悩んだ事なんて、気づいたら消えていた。
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