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「でも、まだ好きなんだろ?」

言うべき事が無くなって、口を噤んだ俺に土門は責める事もなくそう訊ねた。
それはどこか確信を持った口調で、責めるどころか土門の手は俺の頭から一度も離れずに撫で続けていた。
今だって、俺を覗き込む顔はすごく優しい。

あの時土門も見てたんだ。
いつもみたいに勝手に顔が赤くなっちゃうところ。


……今も変わらず一之瀬を想ってるところ。


「…うん。好き。
忘れるなんて無理だった」


「男」を選んでも、
一之瀬への恋心を捨てようって思っても、
俺は中々それを実行できなかった。

忘れてしまえば楽になれるって分かっていても無理だった。


一之瀬に何度も言おうって思った。
「もう終わりにしよう」って。
こんな遠く離れてて、全然逢えなくて、しかも誰からも疎まれる関係なんて耐えられないって。
もう俺は「男」を選ぶからって。


でもいつまで経っても二人で決めた電話の時間の前には全ての用事を済ませて、たっぷり充電した携帯を握り締めていた。
今日こそはって思っていても、一之瀬専用の着信音が鳴ると一番最初に湧き上がるのは「今日も電話きた」っていう嬉しい気持ちだった。


一之瀬の事が好きで、一之瀬も俺の事が好きっていう今の心地いい状態が、俺の一言で無くなるんだって思ったらどうしても口に出せなかった。


それはもう、自分でもどうしようも無い気持ちで。
そんな風にケジメを付けることさえ出来ない俺は、色んな意味で覚悟が足りなかった。


「男」を選ぶって決めたはずなのに、いざホルモン剤を渡された時俺はそれを飲むことが出来なかった。


これを飲んだら、もう一之瀬に愛された俺の体とは違ってしまうんだって思ったら手が震えた。
「俺は男なんだ」って思っても、親の泣き顔を思い出しても、皆の顔を思い出しても手は動かなかった。

これを飲んで今以上に男っぽくなったら一之瀬だって気持ちが褪めるはず。
自分から別れを告げなくて済むって自棄気味に思っても全然駄目だった。

ほんの少し手を口まで動かすだけなのに、俺は金縛りにあったみたいに全然動けなかった。
どんどんと握った手が薬を溶かしそうな程汗ばんでいった。


そんな俺を見て、親も勘付いたんだと思う。
俺に「男」を選べない理由が何かあるんだろうって事を。

母さんは、薬を握り締めたまま泣き出した俺の手からそっと薬を取り出してくれた。

「無理しなくていいから」

空になっても動かない俺の手を握ってくれた。
母親が俺の治療を止める言葉を口にしたのはその時が初めてだった。

「無理なんてしてないっ」

「男」を選んだのは決して無理なんかじゃなかった。
ちゃんと考えて、その方がいいって思ったから自分で選んだんだ。

それでも手は動かなかった。

母親は俺の涙が枯れるまで、ずっと俺の手を握ってくれた。

久しぶりに触れた母親の手は、少しカサついていて胸が締め付けられた。
こんな風に思われているのに、それでも薬が飲めない自分の自分勝手さに涙は中々止まらなかった。

重なった二つの手がしっとりと暖かくなるまで俺達は手を握り合った。

手を握ってくれたまま親は「体が変わるの、怖い?」って静かに訊いた。
こくんと頷いた俺に親は「病状だけ抑える事は出来ないかお医者様に相談してみよっか」って言ってくれた。

それは純粋に俺を思い遣っての言葉だった。
親の希望とは異なるものだった。
でも、そう言ってくれた。

俺は母親の手にもう片方の手を重ねた。
その時の俺は泣いていて「ありがとう」も「ごめん」も言えそうになかったから。
「大丈夫よ」って言葉の変わりに、親はぽんぽんって肩を叩いてくれた。


そうして俺は「男になる薬」ではなく「現状維持の薬」を手に入れた。


俺が一之瀬を忘れるまでの期間限定の「現状維持」。


自分の希望より俺の気持ちに寄り添ってくれた親の為にも、
俺は早く一之瀬を忘れようって思った。

そんな時だった円堂が卒業試合をしようって言い出したのは。
それに一之瀬や土門も呼ぼうって。


一之瀬に逢える。


そう思ったら心が震えた。
その試合が俺と一之瀬が逢う最後なんだって、そう思った。


 

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