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その日の俺は疲れきっていて、自殺行為と知りつつ、一人昼休みに誰も居ない部室に来ていた。
食欲が全くなかった俺は、教室に充満する食べ物の匂いに辟易して、ここに避難してきた。
日々のストレスのせいか、ここんとこずっと食べ物の匂いだけで吐き気がする。
こんなんじゃ弱っちゃって余計抵抗出来ないって分かってても、食べたくないし、一人になりたい。
ちらりと「チャンスとばかりに鬼道が追って来るかもしれない」とは思ったものの、俺はもう考える事も放棄して部室の机に突っ伏した。
案の定、暫くしてガチャっと部室のドアが開く音がする。
気分最悪の俺は、顔を上げることさえ面倒に感じる。
・・・どうせここに来るのは鬼道一人に決まってる。
鬼道の為になんで俺が顔を上げて出迎えてやらなきゃいけないんだ。
俺はドアの開く音なんて無視してやった。
足音がゆっくりと俺に近づいてくる。
そして肩に置かれる手。
「触んな!」
気安く置かれた手にムカついて思いっきり振り払い、顔を上げるとそこには驚いた顔をした豪炎寺がいた。
「…悪い、豪炎寺だったのか」
「誰と間違えたんだ?」
俺の謝罪の言葉に、豪炎寺は眉を顰めた。
謝罪よりも俺の言葉に引っかかったみたいだ。
あんなに思いっきり手を振り解いちゃったし、怒鳴ちゃったもんな、俺。
でも俺は豪炎寺の尤もな質問にも、答える事ができない。
「気分が悪くてイラついてたんだ。ごめん」
誤魔化す様にそうとだけ言うと、俺は会話を断ち切るようにもう一度机に顔を埋める。
「お前、大丈夫なのか?」
「へーき、へーき。だいじょーぶ」
あー…、さっき顔ぐらい上げれば良かった。
誰か確認しとけばこんな風に詮索なんかされなかったのに。
全然大丈夫なんかじゃない癖に、俺は少しだけ豪炎寺を疎ましく思って平気な振りした。
もうこれ以上細かく詮索されたくなかった。
あんな感情がちーっとも篭ってない返事でも豪炎寺は納得してくれたのか、背後で俺から遠ざかる足音がする。
ああ、やっと一人になれた。
俺は安堵でゆっくりと瞼を閉じる。
だけど足音はすぐ俺の方へ戻ってきてしまう。
そしてふわっと俺の肩に柔らかなタオルが掛けられた。
びっくりしてる内に、今度は頭に乗せられた手。
「皆に言えないことなら俺が聞く。
だから一人で無理をするな」
その手は優しい声と共に、慈しむように俺の頭を撫でた。
それは、鬼道がよく俺にするのと全く同じで。
途端に鬼道との淫らな行為が思い出されて体が固くなる。
でも、顔を上げるとそこにいるのは豪炎寺で。
肩に掛けられたタオルからは豪炎寺の匂いがして、俺はなんだか急に泣き出しそうになる。
俺は唇を噛み、俯いて涙を堪えた。
「ありがとな」
良かった、ちゃんと普通の声が出せた。
俯いたままそう呟くと、俺は顔を上げた。
無理やり笑顔を作って豪炎寺に笑ってみせる。
「でも、本当になんでもないんだ。
少し体調が悪いだけで。
本当は学校休みたいぐらいなんだけど、ほら俺、アレでいっぱい休んじゃったからさ」
「…そうか。
困ったことがあったらいつでも俺に言え。
少しは力になるぞ」
俺の精一杯の嘘を、豪炎寺がどう思ったのかは俺には分からない。
それでも豪炎寺はそれ以上詮索せずに、そう言ってくれた。
豪炎寺はそう言って少し笑うと、自分のロッカーから教科書を取り出し、今度こそ本当に立ち去ろうとする。
「なあ」
俺はその背中に声をかける。
「今日さ、……一緒に帰ってくれないかな?
お前んちとは逆方向なんだけど」
こんな事、急に言い出して変に思われないかな?
俺は少し言いづらくて、少しだけ言い澱んでから豪炎寺に頼んだ。
多分、今、俺の耳は赤くなってるはず。
でもこんな事、豪炎寺にしか頼めない。
こんな甘えた事、豪炎寺にしか言えない。
「ああ、わかった」
でも豪炎寺は余計なことは聞かず、微笑んでくれる。
良かった…!
俺は漸く、鬼から守ってくれる人を見つけた。
その日鬼道が俺に触れることはなかった。
豪炎寺が傍にいるだけで、これからもずっと鬼はやって来ない気がした。
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