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「あ…、ぁ…、ご、ごめっ。…俺っ!」
自分の脚に当たった衝撃と、
歪んだ一之瀬の顔に、俺は愕然としてしまう。
ただ止めて欲しかっただけで、蹴るつもりなんて無かった。
それでも俺が一之瀬を拒絶して蹴ったことは事実だ。
これからは一之瀬の事大切にしようって思ったばかりなのに、
俺、一番大切な人のことを思いっきり傷つけてばっかりだ…。
「ごめん、一之瀬…ごめんっ」
必死に一之瀬に謝る。
俺が腕に縋って謝りだすと、一之瀬は俯いて痛みを堪えていた顔を俺に向ける。
目が合ったその顔は、どこか諦めの入った顔。
さっきまでの熱なんてどこにもない、
それどころかその前は確かに存在していた不安さえ消えてしまっている。
「ごめんね、半田がそこまで嫌がってるって気付かなくて」
「違…っ!」
一之瀬が醒めた顔で俺に謝ってくる。
その言葉は俺が何をしてもすぐ許してしまう一之瀬らしい優しいもの。
でも、いつもと決定的に違う。
なんだか皮肉って感じに聞こえる。
今度は俺が不安になってしまう。
「俺、半田はいつもみたいに照れて恥ずかしがってるだけだと思ってた。
俺の思い違いだったんだね」
「…違うってば」
一之瀬が眉は悲しそうに寄せているのに、口元だけで笑ってくる。
自嘲気な顔なんて一之瀬には全然似合わないし、
さっきからずっと否定している俺の事を意図的に無視してる。
ぐるぐると定まらない俺の心が、少しずつ波立ってくる。
「半田が『好き』って言ってくれたから浮かれてたみたいだ。
あれも俺の勘違いじゃなければいいんだけど」
一之瀬が口元だけを歪めて、まだ湿り気の残る前髪をかき上げる。
その瞬間、俺の頭がぼんっと爆発する。
蹴ってしまって申し訳無い気持ち。
好きな人を何回も拒絶してしまった後悔。
一之瀬に嫌われてしまったかもしれない不安。
俺の事を無視して、俺の想いまで疑ってることへの怒り。
それに、俺の気持ちも訊かないで、一人で勝手に先に進もうとした一之瀬に対する苛立ち。
それが全部、ごちゃまぜになって化学反応を起こして爆発した。
「…帰る」
俺は、ぱっと一之瀬に縋っていた手を離す。
「は?」
一之瀬がくしゃりと掴んでいた前髪を離してぽかんとした顔で俺を見る。
「変な事したら速攻帰るって俺言ったよな。
だから今から帰る」
俺はそれを無視してベッドから出る為身体の向きを変える。
最初に帰りたいって思った時に、素直に帰ってれば良かった。
そもそも雨が止んだ時点で帰れば良かったんだ。
そうしたらこんな風に色々悩んだりしなくてすんだのに。
少しでもそういう危険性があるなら、本当だったら避けなければいけなかったんだ。
一之瀬と両想いになって浮かれてたのは俺の方だ。
俺はやけに静かな気持ちで冷静にそんな事を思いながら立ち上がる。
「じゃあな一之瀬。お邪魔しました」
俺は振り向くこともせず、おざなりに手を振る。
早く帰りたいのに、その手を一之瀬が掴んでくる。
くそっ、手なんか振るんじゃ無かった。
「待って!何も帰ることないじゃ、…ない、か…」
俺の手を掴んだまま、一之瀬が俺を引き止める。
一之瀬の言葉の語尾が、驚きでどんどん小さくなっていってる。
――あーぁ、バレたなこれは。だから早く帰りたかったのに。
「…なんで泣いてるの?」
「泣いてなんか無いっ」
もう泣いてるのはバレバレなのに、俺はぐいっと反対の手で涙を拭って否定する。
「俺には泣いてるように見えるよ」
「・・・」
「泣く程、俺の事が嫌なの?」
俺が何も言えないでいると、まだ一之瀬はそんな事を言ってくる。
あれ程違うって言ったのに、まだ分かってなかったのか。
「違うって言ってるだろっ!?」
「じゃあなんで?」
冷静な声で一之瀬が訊いてくる。
なんだ、本当は違う事分かってたのに、わざとあんな風に訊いたのか。
・・・俺に本当の事言わせる為に。
もう嫌だ。
ぽろぽろ涙が零れて止まらない。
今日はもう既に充分過ぎる程泣いたっていうのに。
「…怖いんだ」
ぽつりと零れた俺の声はみっともないぐらい揺れている。
「そういう事すんの、怖くて怖くてしょうがないんだ…。
だって、だって…俺は…」
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