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一之瀬の赤面ものの台詞に何回も喉に詰まらせながらも、それでも食事は終始和やかだった。
俺もずっと一之瀬の調子に合わせて自分の気持ちを伝える事を止めて、
素直に「恥ずかしいから止めろ」って言うようにしたら気楽になったし。
でも食事が終わってしまうと、さっきまで弾んでいた会話が少しずつ減ってきた。
だって俺が何か言っても、一之瀬は相槌だけでずっと俺の事を見詰めてるだけなんだ。
しかも甘い雰囲気を発散させながら。
こんな雰囲気、慣れてなくてどうしていいか分かんないよ。
「なあさっきから俺ばっかしゃべってるじゃん。
お前もなんかしゃべれよ」
「ん?俺も話してるよ」
「嘘ばっか!お前『うん』とか『そうだね』しか言ってないぞ」
「ああ。半田を見るので忙しくて。ゴメンね?」
一之瀬は全然悪いと思っていない声でそう言うとあろう事か俺の膝の上にあった手を握ってきた。
今日一日で手だけなら結構握った。
でも今握られている手は俺の膝にあって、
しかも俺の指の間に指を滑らせてきて、俺の手の自由が奪われてしまう。
その上俺の手の感触を確かめるように指が蠢いている。
ぞわりと、甘いような怖いような落ち着かないものが体の奥から溢れてくる。
「あ、あのさ一之瀬、手…」
どうしても落ち着かなくて重なった手を放してもらおうとして視線を手から一之瀬へと動かす。
「っ!」
手を退けて、とは最後まで言えなかった。
それ以上にさっきより大分近い位置にある一之瀬の顔に息を飲んでしまう。
重なった手を軸に一之瀬は俺に向き合うように俺の方へと身を乗り出していた。
顔が、すごく…近い。
それこそあと10センチ程でくっついてしまう程に。
目を見開いて固まってしまった俺の顔に一之瀬が反対の手を添える。
「半田…好きだよ」
そしてゆっくりと近づいてくる一之瀬の顔。
え?
え?え?
急な展開に頭がついていかない。
いつもだったら「ぼんっ」ってなる一之瀬の台詞も、どこか非現実的に感じて何も感じない。
ただだんだんと近づいてくる一之瀬の顔から目が離せない。
俺が凝視している中、一之瀬は近づきながら目を瞑り顔を傾けてくる。
その瞬間、一之瀬がしようとしている行為が漸く俺の頭の中で一つの言葉となる。
キス。
「わあっ!!」
俺は咄嗟にびっくりして大声を出してしまう。
俺の顔寸前でびっくりした顔した一之瀬が止まる。
もう目も瞑っていない。
「お、お、お、俺っ!歯磨いてくるっ」
パニクった俺はすぐ近くにあった真新しい歯ブラシを手に立ち上がる。
「あっ、…うん」
一之瀬の毒気が抜けた顔。
俺はそれをチラリと見ただけで逃げるように立ち去る。
あ〜、やってしまったかも…。
俺はユニットバスの狭い洗面台の蛇口を前回にする。
ざあざあと音を立てて水が流れているのに、ばくばく言ってる自分の心臓の音の方が大きくてよく聞こえない。
洗面台の鏡に映る自分の顔は、まだ赤い。
――俺の馬鹿!一之瀬呆れた顔してたじゃんか!!
実は自分でも逃げるように一之瀬のキスを避けてしまったことを後悔していた。
したくないわけじゃない。
ただ急すぎて吃驚してしまっただけ。
まさかキスされると思ってなかったし、その覚悟も全然無かった。
鏡の中の俺が赤い顔のまま、自分の唇にそっと触れる。
――キス、かぁ…。
あのまま俺が驚いたりしなければしてたのかな…?
…一之瀬と、キス。
頭の中に、間近で見た目を瞑った一之瀬の顔が蘇る。
なんだか、すごく、…ドキドキする。
さっき一之瀬の服を前にした時みたいに、体の奥の方でどくんどくんと何かが湧き上がってくる。
なんだろこれ。風邪とは違うのかな…?
いつまでも消えない顔の火照りに呆然としていると、ドアの開く音と共に一之瀬が鏡に映ってびくっとしてしまう。
「俺も歯磨き」
そう言って鏡の中の一之瀬が、俺の後ろでいつもみたいに笑う。
俺のすぐ後ろから洗面台の歯ブラシへと一之瀬の腕が伸びる。
すぐ傍に一之瀬の存在があるだけで、何をする訳でもないのに堪らなくドキドキする。
俺は何も言えないまま、急いで俺も歯磨きを始める。
歯磨き粉のミント味が頭の中のもやもやもさっぱりしてくれたらいいのに、
なんて思いながら。
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