〜一之瀬の場合U〜1
さっき恐怖でいっぱいだった一之瀬の部屋。
今またその前に来ている。
そして俺の心の大部分を占めているのはやはり恐怖…それと不安だった。
・・・俺、本当に泊まっちゃっていいのかな…?
ちらりと隣でドアノブに手を掛けている一之瀬を見る。
俺の視線に気付いた一之瀬は、ん?って顔で優しく笑う。
その顔は見慣れたいつもの一之瀬の顔。
実は俺専用だったりする一之瀬スマイル。
でも、その顔さえ、今はちょっと怖い。
だって笑顔はいつもと一緒でも、俺たちの関係はいつもとは違う。
…恥ずかしながら、両想い、ってやつになってしまった。
「どうかした半田?上がりなよ」
ちょっと躊躇した間に部屋に入ってしまった一之瀬が俺に声を掛ける。
「あっ、…うん」
いつもと変わりない一之瀬の声に、つい普通に答えてしまう。
なんかズルい。
さっきまでは一之瀬もどこか浮かれてる感じだったのに、
いざ部屋まで来てしまうとこんなにも普段と同じだなんて。
俺は逆にさっきまで強気に一之瀬のずうずうしい言葉を跳ね除けていたのが、
いざ部屋に一歩脚を踏み入れてしまうと怖くて堪らなくなってしまったっていうのに。
――積極的な一之瀬が一晩一緒の部屋に居て何もしてこないとかって、…無い、よな。
そう思うと中々靴が脱げない。
一歩が踏み出せない。
俺が狭い玄関でいつまでもぐずぐずしているとタオルを抱えた一之瀬が玄関まで戻ってくる。
「ほらいつまでも濡れたままだと風邪引くよ。
早くシャワー浴びちゃいなよ」
シャ、シャワー!?
一之瀬が被せてきたタオルで半分以上顔の隠れた俺は、
その一言に思わずタオルの下で顔を強張らせる。
だって「早くシャワー浴びて」って、浴びた後どうすんだよ!?
そんな台詞、ドラマのそういうシーンの常套句じゃないか。
浴びたらバスローブでベッド直行、絡み合って倒れて暗転なんてよくあるシーンだ。
それが自分の身に起こったらと思うと、…やっぱりちょっと怖い。
ううん、すごく怖い。
だって、だってさ…。
「あれ、もしかして俺が覗くと思ってる?」
一之瀬がタオルの下の俺の顔を覗き込んでくる。
・・・思ってるよ。それどころかもっと酷いのまで想像してる。
「大丈夫だよ半田。覗きなんてしないよ」
くすくす笑いながら一之瀬は俺の頭のタオルを肩に掛ける。
余裕な一之瀬に拗ねた俺の顔が露になる。
「なんか嘘っぽい」
「酷いなぁ、俺は紳士だって何回も言ってるじゃないか」
「…だって甘い夜とか言ったじゃん」
「そうだよ。半田と一緒なら覗きなんてしなくても甘く楽しい夜になるからね」
そう言うと一之瀬は俺の頬に手を添えて、俺を愛おしそうに微笑む。
「〜〜〜〜っ」
・・・もう、さ、そんな風に言われたら何も言えなくなっちゃうじゃん。
いつもの「ぼんっ」になっちゃった俺は、ドキドキが止まらなくて、必死の思いでさっき知った対処法を試みる。
俺の頬に添えられた一之瀬の手に自分の手を重ねて、一之瀬を見詰めてみた。
まだ頬が熱くて瞳もなんか潤んでるけど、
さっきはこれでドキドキして苦しいぐらいだったのが、胸がほんわかして幸せな気分になれた。
こうすれば一之瀬も少しずつ赤くなって、ああ今同じ気持ちだなって思えてドキドキよりも嬉しい気持ちになれるはず。
それなのに、今、目の前の一之瀬は確かに顔が赤くなっているのに、
何故か胸がほんわかしてこない。
それに今、同じ気持ちになってる気が全くしない。
それどころか瞬き一つしないで俺を見詰め、ごくりと一度喉を鳴らした一之瀬が、
何を考えているかさっぱり分からなくて寧ろもっと胸がドキドキして落ち着かない。
「…半田」
吐息まじりで一之瀬が俺の名前を呼ぶ。
なんでそんな熱っぽい声で俺の名前を呼ぶんだ。
なんでそんな目をして親指で俺の頬を撫でるんだ。
俺は落ち着かなくて、どうしていいか分からなくなって慌てて重ねた手を離す。
そしてタオルをもう一度頭に被せて急いで靴を脱ぐ。
その息苦しい程の雰囲気から逃げるように、
俺は一之瀬の1Kの部屋にある唯一のドアの中に逃げ込む。
「覗くのも、一緒に入るってのも無しだからな!!」
入る際に一之瀬の方を見ることなくそう怒鳴る。
自分でもちゃんと怒鳴れたのが不思議なくらい、心臓が狂った勢いで音を立てている。
中に入るとそこは思ったとおりユニットバスで、ホッとした途端全身の力が抜けてしまう。
ばくばくと激しく動く心臓をぎゅっと押さえ、俺は床にずるずるとへたり込んでしまった。
なんでさっきは上手くいったのに、今は失敗したんだろう…。
恋愛経験値の低い俺は、そんなことを思いながら、はぁーっと長い息を吐いた。
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