19



俺が一之瀬の手を引くと、一之瀬も走り出す。
スポーツバッグの前で、暫く躊躇している一之瀬が不思議で、
俺が「どうした?」って声を掛けた途端、
一之瀬は濡れたボールをバッグに押し込んだ。
何だって思ってる間に今度は一之瀬の方から手を握ってくる。
走ってる内に、
ああ、なんだ俺と手を繋ぎたいけど、濡れて汚れたボールをバッグに入れたくなかったんだって気付いたら、
すっごく嬉しくなって、
前を走る一之瀬を追い抜いて、俺がもう一度手を引っ張って走ってた。


河川敷の傍の橋の下で、
自分からじゃなく、俺からタオルで拭いてくれたのも、
バッグから出した一之瀬のボールが、俺のボールと並んで置かれたのも、
一之瀬のする行動の全てが俺の心をほんわかと暖かく、
それでいて照れくさくさせてなんだか落ち着かない。

でも、それでも一之瀬が

「ボールと一緒だね」

って俺の隣に座った時、
すぐ傍にある一之瀬の手に自分の手を重ねたのは俺からだった。


クダラナイおしゃべりも一之瀬とするのは初めてで。
今日の部活の事や、
土門や明日の学校の事、
少し素直になった俺は、自主練を始めた理由・・・つまり一之瀬に見惚れない様に俺がスタメンになろうって思った事までも話していた。

そんな雑談さえ、一之瀬とするのが凄く楽しくて、
俺達は時間を忘れて話した。

・・・勿論、手を繋いだままで。


それでもいつまでもここに居るわけにもいかなくて。
衰えない雨脚に一之瀬が携帯で時間を確認してから呟いた。

「雨、止みそうに無いね」

もう八時も軽く過ぎてて、
携帯も持たずに飛び出した俺の事を、親は死ぬ程心配してるのも分かっているのに、まだ帰りたくなかった。
このままここに、…一之瀬の傍に居たかった。

そんな気持ちが一之瀬にも伝わったのか、黙ってしまった俺に一之瀬が独り言のように言う。


「…俺の家、ここから走ればすぐなんだ」

そう言った一之瀬は何かを見極めるように雨の向こう側を見たままだ。

「…来る?」

そう言って俺を伺うように振り向いた時には、一之瀬の頬は少しだけ染まっていた。


そうやって一之瀬の頬が染まることも、
こうやって俺が躊躇することも、
俺達がただの友達じゃないって示唆してて。

当然アメリカから来ている一之瀬が一人暮らしって事も、
ただの友達では無い一之瀬の誘いに漂う危うささえも全部分かって、それでも俺は…。


一之瀬の誘いに頷いた。



それから後は、お定まりのコース。

一之瀬から携帯借りて、家に電話して。
心配そうな親に、友達の家で雨宿りするって言って。
それから一之瀬に背を背けてから、もしかしたら泊まるかもって切る寸前に付け足して。
背を背けたからって一之瀬に聞こえなくなる訳無いって事ぐらい百も承知で。

一之瀬が一つ進めた駒を、俺がちゃんとコースに乗せただけ。


でも、ちゃんと意思を確認して無かったから、
親に言ったはいいけど忽ち不安になってしまう。

・・・一之瀬が嫌だったら、どうしよう。


ドキドキしながら振り返ると、そこには困惑した表情の一之瀬の姿。
…胸がぎゅっと縮む。

「泊まる、なんて…平気?」

眉を寄せて訊ねる姿はどう見ても困ってて、
俺は今すぐ親にまた電話して、さっき言った言葉を取り消したい気分になる。

「迷惑…だった?」

ああ、あんな事言わなきゃ良かった。
折角一之瀬と良い雰囲気だったのに、自分から台無しにするなんて馬鹿すぎる。

迷惑なら傘だけ借りて帰るって続けたいのに、声が震えて言葉が出ない。


「そんな事無い!…嬉しいよ」

でも、一之瀬は俺の不安を払拭するように笑ってそう言ってくれた。
はにかんだその笑顔は本当に嬉しそうで、俺の中の不安も一気に晴れていく。

「…良かったぁ」

俺もほっとして笑うと、一之瀬は急いでボールをバッグに仕舞いだす。
そして、差し出される手。


・・・本当に、良かった。


「走るから、しっかり掴まってて」
手を重ねれば、しっかりと握り締めてくれる。


・・・一之瀬がこんな俺を拒絶しないでくれて。


「一之瀬!…離さないでね?」
俺の心の底からのお願いにも、しっかりと頷いてくれる。


・・・一之瀬が喜んでくれるなら、こんなキモチワルイ体なんていくらでもあげる。



俺は一之瀬が離れていかないように繋いだ手に力を込めた。


 

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