おいかけっこ
「ねえ!君も今日から入部デショ?
こんないつ潰れるかわかんないような部に今更入るなんて、君って変わってるね」
――それは人生で初めての瞬間。
それまでの影の薄い自分を変えたくて一念発起で入部したサッカー部で、
影野仁君は14年生きてきて初めての経験をしたのでした。
……俺、初対面の人に向こうから声掛けられたの初めてだ。
部での自己紹介の後、グラウンドに移動を始めた皆の後にひっそりと続こうとしていた影野君に松野君はツンツンと肩を叩いてニコヤカに声を掛けてきたのです。
影の薄い影野君は、基本人に存在を気づかれない為、自分から話し掛けないと誰とも会話出来ないのです。
それなのに、このニコヤカに毒舌を吐く松野君は自分に声を掛けたのです。
周りを見ても皆はもう部室を出てしまって誰もいません。
人間違えではなさそうです。
周りを見ても先生がいたりとか事故が起こったわけではなさそうです。
連絡事項があるわけでも火急の用事でもなさそうです。
ただ、単に自分に話しかけたのです。
影野君はびっくりです!
それこそ話の内容なんて頭に入ってません。
「えっとー…」
影野君は考えます。
折角話し掛けてくれたのだから相手が気持ちよく会話出来たと思って貰いたい。
出来たら次も相手から話し掛けようという気持ちにさせるぐらいの好印象を与えたい。
……取り敢えず最低限名前は間違えちゃいけない。うん、人として。
「松野、空介君だよね」
……それからこの感動を伝えたい!
「松野って目がいいね」
影野君は頭をフル稼働させながら、一気に告げます。
名前も間違えてないし、
自分の事さえも気配を察し目視可能な相手の事もちゃんと褒める事が出来た。
影野君的には満点の会話です。
ですが、今度は松野君がびっくりです。
松野君は自分の事を棚に上げて皮肉を言ったのです。
普通だったら怒ったりツッコミが入ったりするはずの場面で、この少し陰気な彼はぱぁっと花が咲いたみたいに嬉しそうにニコニコしだしたのです。
そしてフルネームの確認。
その後は当たり前の流れのように目を褒めてくる。
どこから見ても謎な行動パターンです。
「ぶっ!なんで目!?今関係ないじゃん。
大きいとはよく言われるけど、そんなボクの目気になる?」
「えっ、目って大きいといいんだ!?」
吹き出した松野君の言葉に影野君はまたも驚きます。
影野君は満点会話がキャッチボールになってないとは夢にも思っていません。
「ぶふっ!
くっ、くっ…あー、影野って面白いね。
そうだよ。目が大きいといいって知らないの?
女の子とか付け睫毛とか目力とか言ってるじゃん。
どれだけ大きいかで目の良さは決まるんだよ」
もう松野君は完璧面白がっていますね。
水を得た魚のようにいきいきとして影野君をからかい始めました。
一方影野君はそんな松野君の心情を気づくどころか、弾んできた会話にふわふわとした気分で自分の前髪を持ち上げます。
自分の目について相談するつもりです。
「どうしよう。
俺、目、凄く細いんだ…」
そう言って見せた目は切れ長で凄く涼やかです。
重い前髪を上げてしまうと影野君は、陰気さが薄れ、全体的に落ち着いた優しい雰囲気の顔立ちに厚みのある唇がそこはかとなく色っぽい顔が露になります。
松野君は大きい目を更に大きく見開きます。
松野君にとって、影野君のその顔は儚げで、普段隠している分背徳感さえ感じる程魅惑的でした。
触れたら折れると知りながらも手折らずにはいられないような、そんな魅力が影野君にはありました。
それを影野君は図らずも隠しているのです。
……それは是非秘密のままにしないとね。
松野君は、少しだけ秘密を守る塀を強固にしようと思ったのでした。
「あー、本当だ。
これ、あんまり良い目じゃないね」
松野君は本音とは逆の事をさらっと言います。
自分の独占欲の為なら嘘も平気で吐きます。
「ボクの目と全然違うじゃん。
隠しといて良かったね」
そう言うと影野君の肩をぽんと叩きます。
顔はあくまでニコヤカです。
「そうだね。
サッカーする時に邪魔になるからどうしようか悩んでたけど、このままにする事にしたよ」
案の定影野君ははらりと髪を元に戻して言います。
松野君に相談して良かったとさえ思っています。
「あー、やば。早くグラウンド行かないと。
こっちに来るの一年だよね?あれボク達の迎えだ」
松野君が窓の外を見ながら呟きます。
影野君は時間も忘れておしゃべりできた事に大満足です。
急ぐ松野君の後ろに嬉々として着いていきます。
と言っても足取りが軽いぐらいで無言のままですが。
部室を出た途端、松野君が影野君を振り返ります。
「ねえ、これからは仁って呼んでいい?」
付け足しのようなその言葉。それでも影野君を喜ばせるには十分でした。
影野君は松野君が自分の名前を覚えていた事に大感激です。
「…ああ、どうぞ」
ドキドキしながらも慌てて肯定します。
「じゃあ仁、急ごう。
説教されたらウザいからさ」
面倒臭そうに走り出す松野君の背中を影野君はワクワクしながら見つめます。
…家族以外から下の名前を呼び捨てされるなんて初めてだ!
影野君は生まれて初めてを沢山してくれる松野君に思いました。
――松野君と仲良くなりたい!
無視されるのが日常の影野君にとって誰かにそう思う事さえそれが初めての事でした。
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