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「フェロモンって知ってる?」

興味を引かれた顔をして自分の隣にやってきた少年に訊ねる。

「フェロモンって、巨乳のお姉さんから出てるやつですか?」

教師である自分からの質問に途端に授業中の生徒の顔に戻って少年が答える。

――ああ、こんな顔『マックス』には似合わない。
気持ちが波立ち、少しだけ意地悪な気持ちになる。


「ふふ、君は胸の大きな人が好きなんだ。
フェロモンはね、行動とか分泌とかを誘発する物質のことなんだよ。
よく知られているのが性フェロモン。
これは性衝動を触発するんだ。
君が大きな胸を見てむらむらしちゃうみたいにね」

笑みを浮かべて少年を見ると、からかいの言葉に顔を赤くしている。
『マックス』ならからかうことは多くても、他人からからかわれることは少ないから怒るはず。

「そのフェロモンがこの机のものと何の関係があるんですか?」

少年が案の定少しむっとして言う。
怒った少年が嬉しくて、愛おしさが湧いてくる。
この少年を早く『マックス』にしたい。


「フェロモンは、まだまだ分かってないことが多いんだ。
特に人間はね。
動物のフェロモンを感じる器官は人間では退化してしまってるんだ。
中には存在しない人さえいるんだよ」

そう言うと少年の顔を覗き込む。
自分の行動に驚き、息を呑んだのが分かるくらい近く。

「じゃあ、人間はどこでフェロモンを感じるか。
それは鼻なんだよ」

人差し指で鼻にそっと触れる。

「他の人が分泌したフェロモンを鼻で感じるんだよ。
だから写真とかではフェロモンは感じられないんだ。
こうやって近くにいないとね」

前髪をかき上げしゃがみ込んで微笑むと少年が顔を赤くしてたじろぐ。
でも、普段見せることの無い目から目を逸らすことは無い。

「鼻はすごいんだよ。
嗅覚が一番感じ取るセンサーが多いんだ。
だから匂いが一番強い感覚なんだよ。
それに嗅覚だけは他の感覚と違って直接大脳辺縁系に繋がってるんだ。
感情を司る場所と匂いの情報を処理する場所は同じところなんだよ。
だから特定の匂いがそれに纏わる記憶を思い出させたりするんだよ。
ほら、古い家の匂いを嗅ぐと、田舎のおばあちゃんちを思い出して懐かしくなったりしない?
カレーの匂いだけでお腹がすいたりとか」

影野はにっこり笑って少年から離れ机に手を置く。


「これは匂いの元。
俺は香水を作ってるんだ」

一本の小瓶を取り、少年に差し出す。
影野の普段と違う雰囲気に圧倒されはじめた少年はおずおずとそれを受け取る。

「どうかな?この匂い」

影野がそう訊ねると少年は素直に小瓶に顔を近づける。

「まあまあ、かな」

そう、良かった。
素直じゃない少年の言葉に影野は胸を撫で下ろす。


机に並んだ小瓶は全て自分が作った香水。
ただ一つ少年に渡した小瓶を除いて。
その小瓶の中身だけは市販の物だった。
あの頃マックスが好んで付けていた香水と同じ物を小瓶に入れてあった。

「じゃあ付けてあげる」

小瓶からスポイトで少量を取り出す。

「香水はよく揮発するように体温の高くてよく動くところがいいんだ」

自分の手に取り少年に触れる。

「こことか、こことかね」

ひじの裏側を撫で、足首に触れ、少年を見上げる。
少年をマックスの匂いが包み込む。
視覚より聴覚より嗅覚が、この子を『マックス』だと誤解してくれる。
『あの頃のマックス』に似た少年を匂いがさらにマックスに近づける。

「その小瓶は君にあげる。
俺の一番好きな香りなんだ」

髪をかき上げ微笑めば、『マックス』が頬を染める。
立ち上がり、その少し上気した顔に自分の顔を寄せる。

「その匂いで俺のこと思い出してね」

耳元でそっと囁けば、『マックス』が目を見張る。

「今日のことは皆に内緒にしてほしいんだ。
俺は目立つのはあまり得意じゃないから」

目を細めて囁く。

「ただ、君は別。
君が来たい時に来てほしい」

耳の傍で睦言のように。

「今度来る時は、その香水を付けて来て。
そうしたら今度はもっと他のことも教えてあげる」

愛しい人を誘うように。

「君が知りたいことを全て」


『マックス』から愛される為に影野は妖しく微笑む。
もう自分はマックス無しでは生きていけないのだから。
匂いで自分を騙し、その匂いでマックスを思い出しながら、
『マックス』から愛される為に。


 

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