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俺が彼をじぃっと凝視していると、彼は居心地悪そうに視線を彷徨わせる。
俺の瞳なんて彼には見えないはずなのに、俺の視線を感じたのだろうか?
「……仁は?」
「ん?」
ずーっと黙ったままだった彼が、不機嫌そうに呟く。
どうしよう、彼がいつものように俺に無理難題を言ってはぐらかすつもりだったら。
嫌だ。
そんなのは嫌だ。
俺は折角掴んだ一縷の希望を逃したくなくて、もう一度彼の顔に手を伸ばす。
俺から視線を避けるように横を向いた彼が、俺の手が彼に向かってくるのを感じて俺に視線を戻す。
眉が寄って困った彼の顔。
「仁、は!」
彼がいきなり大きな声を出す。
俺は彼の声に驚いて、伸ばしかけた手を引っ込めてしまう。
彼はその大声を恥じるようにまた俺から視線を逸らす。
「仁こそ……。
仁こそ…、ボクの事、大事?」
たっぷりと彼は言いよどんでから、そう言葉にした。
なんだか彼は俺の答えを怖がってるみたいだ。
変なの、怖がる必要なんてないのに。
「うん、大事だよ」
俺は大きく頷きながら即座に答える。
彼だって分かってるだろうに。
大事だ、って思ってなきゃあんな事されてまで一緒になんか居ない。
それなのに彼は俺の答えを一刀両断してしまう。
「嘘だ!」
「そんな簡単に…ッ!!」
「こんな時までそんな風に誤魔化すなんて、仁は最低だ!!」
誤魔化す?最低?
……俺が!?
彼の見てる世界はなんだか俺の知ってる現実とは同じに思えない。
俺はただ彼にも同じように「大事だ」って言って欲しかっただけなんだけどな。
ここまで怒るような事は言ってないと思うんだけど。
「…マックス?」
宥めるように彼の名を呼べば、彼の顔がくしゃりと歪む。
子供みたいな彼が子供そのものな表情を浮かべる。
癇癪を起こして泣く寸前の顔だ。
「仁はズルい」
俺がズルい?
彼の言葉に疑問を感じたものの、俺は漸く理由を語りだした彼の言葉を遮る事無くじっと彼の言葉を待った。
「仁はいつもそう。
簡単になんでもする癖に、ころころ態度が変わって!」
簡単になんでも出来るのは彼の方なのに…。
やっぱり彼の言葉は謎だった。
それでもやっと語ってくれた彼の本音は遮ってしまうには貴重すぎた。
「仁はボクが大事っていうけど、今日の夜には大事じゃなくなるんでしょ?
ボクにイジメられたくなくてそう言ってるだけなんでしょ?」
そんな事ないのに……。
夜に変わるのは価値観だけであって、気持ちは変わるはずないのに。
なんでも知ってると思っていた彼が、そんな当たり前の事さえ気付いていなかったという事実は俺を酷く驚かせた。
俺の中で盤石だった彼の万能性が揺らいでいく。
「仁はボクの事なんてどうでもいい癖に!
夜も昼もずっと仁の事でいっぱいなのはどうせボクだけなんだ!!」
続けられた言葉はまさに決定打だった。
――彼は何でも知っている。
そんな前提を取り払ってしまったら、ここに居るのはまるっきりの子供だった。
相手の気持ちが分からなくて、無茶も残酷な事も相手を試すような事も平気で出来てしまう自我の芽生えたばかりの子供そっくりだった。
子供みたいだ、と思ったのは手の温かさだけじゃなかったんだ。
俺はこう言ってはなんだけど、そんなマックスに親近感を感じていた。
彼にだって知らない事もあるし、不安になったりもするんだって。
本当のマックスにやっと出会えた気分になって、マックスは俺を睨んでいるっていうのについ笑みが零れてしまう。
「そんな事ないよ。俺も一緒だよ。
俺だってマックスの事大事で、一緒に居たいって思ってるし」
「ほら!やっぱり分かってないじゃないか!!」
なんで……?
俺の言葉はまたもや彼に一刀両断されてしまう。
どうして俺の言葉は彼にちゃんと伝わらないんだろう。
俺が話せば話すほど彼は苛立っているように見える。
いつもの俺達の昼の関係に近づいてしまう。
それは嫌なのに。
俺は改めて知った彼の一面に好意を抱いて、新しく彼との関係を築こうと歩み寄っているのに。
なんで彼はいつも頭ごなしに俺の言葉を否定するんだ。
万能性の揺らいだ彼を「絶対」だとは思えない。
俺は彼に正直苛立っていた。
俺は彼の膝から状態を起こす。
起き上がる時、少しくらりとはしたものの、向き合って見る彼の顔は太陽が余すところ無く照らしていて夜の面影なんてちっとも無い。
昼の彼だ。
昼の彼は暴君なんかじゃなく、ただの子供だった。
俺はきっぱりと口を開く。
「分かってないって、何が?
何にも言わずに責められたって意味が分かんないよ」
グッ、て彼の顔が痛いものにでも当たったような表情になる。
俺の言葉は痛かった?
彼の痛いところを突いた?
でも俺だって今まで意味も分からずいっぱい痛かった。
ちゃんと言葉で伝えて欲しい。
俺はそう思ったのに、そう言葉にしたのに、彼はまたもや中々言葉にしてくれない。
ぎゅうっと唇を噛んで、それから俺をまた睨みつけた。
「分かんないなんて言う仁はやっぱ最低だ」
返ってきた言葉はそんな言葉。
結局彼は言葉では伝えてくれなかった。
……態度で示した。
ぎゅっと噛んだせいで少し赤い唇。
それが少しずつ近づいてくる。
ずっと彼の睨んでる瞳ばかり見ていた俺は、彼が赤い唇を滴らせる為に小さく舌を出してやっと彼の口元がこんなにも俺に近いことに気がついた。
それに彼との距離にも。
気付いて、もう一度目線を瞳に戻した時にはもう俺を睨んでいた瞳は閉じられていた。
そうして子供そのものだと判明した彼は、やけに大人びたキスを俺にした。
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