真夏の真実





なんだかクラクラする……。


真夏の太陽は俺には不似合いすぎて、嫌になる。
太陽からの茹だるような熱射光線と、それを更に増幅させる照り返しに俺は自転車を漕ぎながら顔に貼り付きそうな前髪を小さく揺する。
汗を含んで重くなった前髪がさっきから顔にペタペタ当たって気持ち悪い。

なんだってこんな熱い中、好き好んでこんな遠回りして家に帰らなきゃならないんだ。
意味の分からない命令をした小さな暴君は、俺の自転車の後ろで背中合わせに座って俺が漕いで起こした風を受けている。
時折風に煽られて俺の髪と彼のカッターシャツが触れる。

近いのか、遠いのか。

クラクラとした頭ではさっぱり見当もつかない。
……いや、多分どんなに頭が冷えたって、そんなの俺には分かる事はないんだろう。
この小さな暴君が考える事なんて。



俺にこんな太陽なんて似合わない。それに夏も大ッ嫌いだ。
俺に似合うのは、冬。
日陰。闇。影。
それに……。

――……真夜中の学校。



最初は些細なきっかけ。
初めての部活動で、放課後の人気の無い学校が俺には珍しかったってだけだ。

それに彼だけが気付いた。

初めて見る薄暗い校庭をサッカー部の皆から遅れないように気をつけながらも俺はぽーっとして歩いてた。
毎日通ってる学校なのに、ただ薄暗いってだけで全く違った場所のようだった。
遅れないように歩いていたのに、昇降口の前を通った時、まだ開いたままになっている入り口に俺は吸い寄せられるように脚が止まってしまった。

校庭だけじゃなく、あの中も見たい。

夜の校舎。
それはゾクゾクする程魅惑的な響きだった。


「ねえ、あの中見たい?」

今思えば、それはなんて事ない呼び声だったのかもしれない。
でもその時の俺は飛び上がる程その声に驚いてしまった。
存在感のない俺は他の人から話し掛けられる事自体慣れてなかったし、
それにその言葉は俺の心を見透かしたようだった。
びっくりして振り返ると、そこに彼が居た。
俺から見ると帽子の縞々ばっかり目に入ってしまう彼は、俺が振り向くと俺の方を見上げた。
大きい目が俺をまっすぐ射抜く。


「なんか、物欲しそうな顔してる」

つい先日知り合ったばかりの彼はそう言うと上目遣いで俺の事を指差した。
帽子で半分隠れた大きな瞳も、挑発的に上がった口角も、人を食ったような独特な雰囲気があった。
彼自身がまるで夜の校舎の住人みたいだった。

チェシャ猫に逢ったアリスはきっと、その時の俺と同じ気持ちだったんじゃないかな?

不思議で、怖くて、…それでも魅せられる。


「ま、別にどっちでもいいけど。
早くしないと皆、帰っちゃうよ?」

慌てて皆の方を見ると、俺達とはもう大分離れてしまってる。
賑やかにしゃべってるその一角だけが、なんだか少し周囲よりも明るく感じる。
そこだけが夜に染まっていない、昼間の健全さを纏っていた。

あそこに早く合流しなきゃ。

そう思うのに、逡巡する俺は夜の魅力に取り憑かれてしまっていた。
……上手く声が出ない。


「円堂!」

俺の隣で、彼が大きな声で円堂を呼ぶ。
昼の空気を携えたサッカー部の皆が、俺達に振り返る。


「悪い、部室に忘れ物しちゃった。鍵貸して」

「おう!」

忘れ物?
急に忘れ物を思い出した彼に、俺は話の展開についていけないままきょとんとして円堂が駆け戻ってくるのを見ていた。
円堂が間近に居るだけで、なんだか急に俺の周りも明るくなった気がする。

このまま円堂と一緒に皆の所に戻ろう。

そう思っていたのに、戻るにはもう遅かったみたいだ。


「アレ、影野もか?」

「そう。二人とも」

彼が円堂からにこやかに鍵を受け取る。
…俺の退路を塞ぎながら。
え?え?俺、忘れ物なんて…って本当は困惑しているのに俺の顔はほとんどが髪に隠れてしまっていて円堂には伝わらない。

きっと彼にしか伝わっていない。

忘れ物なんて嘘だったんだ。
軽やかに嘘を吐いた彼にまた少しずつ心拍数が上がっていく。


「先、帰ってていいから」

「おう!じゃあお先ー!」

俺の目の前で別れの挨拶が済まされてしまう。
もう俺は皆のところには戻れない。


「じゃー、行こっか?」

彼がにっこりと笑って俺の背中を軽く押した。
それに押されたように俺の脚が一歩、前に出る。
それは校舎へと向いていて。
顔を上げると昇降口が黒々とその口を開いて俺を待っていた。

それをさっとピンクと水色の縞々が遮っていく。


「置いてっちゃうよ、仁!」

走り出しながら彼が俺の名を呼ぶ。
初めて同じ年の学友から呼び捨てにされた俺の名前に、誘われるように俺も走り出す。
前を走る彼の帽子からはみ出した癖の強い髪が尻尾のように揺れている。

チェシャ猫の尻尾だ。

俺はくすりと笑いながら、またアリスの気分になっていた。
不思議な国の不思議な猫。
あの猫を捕まえたい。

俺はそう思いながら、マックスの後を追って校舎まで走り続けた。






 

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