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授業の始まった静かな校内に影野君の足音が響きます。
保健室に松野君が来るとも、教室に松野君が来るとも決まった訳じゃないのに影野君は保健室を飛び出し教室に戻る事無く学校を当て所なく彷徨います。

ふと廊下の窓から外を眺めると、校庭で知らないクラスが写生を行っています。
それを見て影野君は思いました。


……あのクラスに紛れてしまえば影の薄い自分を松野は見つけられないに決まってる。


窓の外は穏やかな晴天に恵まれています。
影野君は写生のふりをしてのんびりと青空の下、混乱している事をゆっくりと考えるのもいいなと思ったのです。
少し一人で考えたいというのが本音かもしれません。

影野君はすーっと知らない人の隣に腰を下ろします。
周りに倣って体育座りで空を見上げれば、澄み切った青が広がっていて気持ち良いです。

影野君はこんな風な穏やかな時間が大好きです。
そして今までの影野君はこんな時間だけを過ごしていたのです。
一人で凪いでいる時の海みたいに変化の無い見通しの良い人生を歩んできました。
それは平穏で落ち着いてはいるけれど、大きな喜びも、大きな悲しみも無いものでした。


真っ青な空に雲が流れてきます。
何も無かった空の小さな変化。
影野君はその雲を松野君みたいだと思いました。
何にも囚われずすぐに形を変えてどこかへ行ってしまう雲は松野君そのものに思えたのです。

……俺にとっての松野は?


影野君が松野君について自分自身に問いただした瞬間、松野君が影野君を呼ぶ声がしました。
ギクリとして影野君は立ち上がります。
大勢の中に紛れてしまえば見つけられないと思ったのに、松野君は確かに影野君の姿を目で捉えているのです。
授業中だというのに、松野君は影野君の予想通り捕まえにきたのです。
影野君は咄嗟に踵を返します。
考えの纏まっていない影野君は松野君どうこうよりも、ただ追われている状況に反射的に逃げたのです。

松野君は逃げる影野君の背中に叫びます。


「どんなに仁が大勢の中に隠れても、ボクは絶対仁を見つけ出すから!
隠れたって無駄だから!!」


だから、だから逃げないで。

どんどん小さく遠ざかっていく松野くんの叫びが影野君の胸に届きます。
走り続けていた松野君よりも影野君の方が圧倒的に速かったのです。

それでも影野君は走ります。


逃げ込んだ校舎は授業中で、廊下には誰も居ません。
その静かな校舎に影野君の走る音が響きます。
そして遠くで松野君の走る音も。
松野君の走る音は影野君には随分テンポが遅く聞こえます。
運動神経の良い松野君が重い足取りで、それでも立ち止まらずに自分の事を追ってくるのです。
あの飽きっぽく移り気な松野君が。

松野君のやけに遅い走る音が影野君は耳について仕方ありません。
自分が仲良くなろうとしていた努力を面白いからと無視していた松野君らしからぬ行為に感じたからです。
立ち止まったと思っても、またすぐその足音は進み始めるのです。
影野君に向かって。

……なんで?

本当の松野君が分からなくて影野君は屋上を目指します。
松野君みたいだと思った雲を見たいと思ったのです。
屋上が行き止まりだと分かっていても、どうしてもそこがいいと思ったのです。
いつまでも逃げていられないと影野君だって分かっています。
どうせ松野君と対峙するならそこがいいと影野君は思って上を目指します。


階段を昇ると下から松野君が昇ってくるのが見えます。
滅多に無い松野君の真剣な顔に影野君は脚が鈍るのを感じます。

……俺、なんで松野から逃げてるんだっけ?

影野君はまた自分自身に問いかけます。
あんな真剣に自分を追っている松野から逃げる理由が自分にあるのか、と。


影野君が逃げるのは、松野君に捕まりたくないから。
でも、その前は影野君が松野君を捕まえたくて追っていたのです。


――何もしなくても自分を見つけてくれた松野君を今度は自分から捕まえたくて。


影野君はずっと鬼の居ない『かくれんぼ』じゃなくて誰かと『おいかけっこ』がしたかったのです。


松野君はさっきも隠れていた自分を見つけてくれました。
どんなに大勢の中に居ても自分を見つけてくれると言い、それを実行してくれました。

それでも影野君が逃げるのは、一度手痛く松野君に傷つけられたからです。
思ってもいない行動をする松野君が怖いからです。


……松野が思っている事を知りたい!


ゆっくりと影野君は屋上へと続く最後の階段を昇ります。
それはもう逃げる足取りではありません。
後ろから来る松野君を待つ為のもの。

もう影野君は松野君を追いかける側です。


二人はお互いを『おいかけっこ』しているのです。


影野君は階段の一番上で松野君を待ちます。

「仁!」

息を切らして階段を昇ってきた松野君の手を影野君は無言で掴みます。
走ってきた割に随分と冷たい手。
その手を掴んで、影野君は松野君と屋上に出ました。


そこには青い空に幾つもの白い雲が浮かんでいました。



 

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