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影野君が中々寝付けないベッドの中で思い返すのは松野君の事です。

松野君のお菓子を食べる顔。
松野君の話す声。
そして松野君に今日言われた言葉…。


それは、今まで松野君から貰った楽しい気持ちや嬉しい気持ちを全て打ち消すだけの力を持っていました。
それどころか影野君はなんだか自分の存在を否定された気分になっていました。


……なんだか松野って怖いな。

影野君は松野君の事が怖くなってきました。
松野君がくれる感情はプラスの感情もマイナスの感情も途轍もなく大きいのです。
ほんの少しの事でも影野君に大きな影響を与えるのです。
それは今まであまり人と関わる事無く穏やかな生活を送ってきた影野君にとっては、天変地異に匹敵する程の出来事でした。
今までそれは全てプラスの感情だったから気にならなかったのです。

でも今日、初めてマイナスの感情を感じた影野君はその恐ろしさを実感していました。


……もう松野に関わるのは止めよう。

松野君の一言で食事も睡眠も出来なくなった影野君はベッドの中でそう思っていました。



ですが、『今度はボクの番』と言い放った松野君は影野君を放ってはおかないのでした。

「じーん」

「・・・」

「ねえ今日はお菓子無いの?
仁ってさあ、アレ自分一人で作ってたの?
どんどん豪華になってくから最後はウエディングケーキでも持ってくるんじゃないかと思って期待してたんだけどな」

「・・・」


朝から自分のクラスではなく影野君のクラスに来て自分に纏わりつく松野君に影野君は何も言えません。
無視ではありません。
なんと言っていいか分からなかったのです。

影野君のお菓子について饒舌に語る松野君は本当に楽しげで、その姿を見ただけで影野君は心が浮き立つのを感じました。
今まで遠くで眺めるばかりだったその姿が今は目の前にあるのです。
しかもその笑顔は自分だけに向けられたもの。
ぽかぽかしてドキドキして、なんだか体温も上がりそうです。


でも、影野君のお菓子について饒舌に語る事が出来る松野君は、本当に今まで影野君がしていた努力を全部知っていて無視していた事の表れでもあるのです。

それを忘れてしまうのは影野君には無理でした。

浮き立つ心と沈む心。
二つの相反する心を影野君はどうしていいかわかりません。
だから何も言えないのです。


「手作りウェディングケーキ持ってきたら永遠に捕まってあげるつもりだったのに残念だな」

松野君は影野君の葛藤など素知らぬ顔です。
それどころか松野君は影野君が逃げないように影野君の艶やかな髪を一房掴んでしまいました。


「でも、そんなのもう関係ないよ」

そして影野君を見つめ、髪に口付けをしたのです。
影野君の喉が鳴ります。


「もう離すつもりないから」

松野君が影野君の髪に口を寄せたまま、ふてぶてしく宣言します。
影野君の心臓がきゅうっと縮みます。


松野君の触れたところから呪われてしまったみたいです。


影野君は苦しくなってきました。
なんだか顔が熱くて、泣きたくなります。


「は、離…して」

影野君の苦しみは止まりません。
どんどん心臓が痛くなって、顔が熱くなってどうにかなってしまいそうです。
早く髪を離してもらわないと、呪いが全身にまわって手遅れになりそうです。
影野君は身を捩りました。


「離してくれ」

影野君は立ち上がりました。
それでも松野君は髪を離してはくれません。


「苦しい!離して!」

影野君にしては大きな声でそう言います。
離してくれないと本当に苦しくて倒れてしまうと思ったからです。


「どうした、影野?」

「何?病気なら保健室行こっか」

影野君の大声は、すぐクラスの皆に届きました。
今までだったら届かなかっただろうその声も、クラスの人気者になった今ではちゃんと皆に届きます。
影野はすぐクラスの優しい人達に囲まれます。
皆が影野君を囲むうちに松野君の手も自然と離れてしまったようです。

影野君は皆に促されて保健室に向かいます。
無人の保健室に着くとほぼ同時に始業チャイムが鳴りました。
クラスメイト達は「先生には言っておくから」と影野君にベッドで寝ていくよう促します。
保健室のベッドで横になった影野君にクラスメイト達は安心して教室に戻っていきます。
教室の戻っていくクラスメイトを見ながら影野君は思ったのです。


――保健室は一人だと。

松野君は必ずここに来ると影野君は確信していました。


だから影野君は逃げ出したのです。
松野君にまた捕まるのが凄く怖かったのです。


だってもう呪いは影野君の全身を蝕んでいました。

松野君が触れていないのに胸のドキドキは収まってはくれなかったのです。
逃げずにはおれない程、それは激しく影野君の胸を打っていたからです。



 

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