unidentified



「もしもし?」

『あ!霧野せんぱーい。
もう俺んち着いたんですか?思ったより早かったですね』

電話から聞こえる狩屋のわざとらしいまでの呑気な声に霧野は思わず絶句した。


今、霧野が居るのは寮の狩屋の部屋の前。
いくら呼んでも、うんともすんとも反応が無いから仕方なくケータイに連絡したところだった。
忘れ物があるからと霧野が部室から連絡したのは、ほんの5分前。
その時は部屋に居たはずなのに、今、部屋に居ないとは明らかに意図的なものを感じる。
狩屋がそういう奴だと知ってはいても、こう不意打ちでやられると流石に怒りが涌いてくる。


「お前な…。
さっき『ちょっと手が離せないから面倒でしょうけど俺んちまで届けて下さい』って可愛い子ぶってたのはどこの誰だ!?」

『えー?そんな事言いましたっけぇ〜。
いいじゃないですか〜、そんな事。
それより俺、今、霧野さんが俺んち来てくれるって言うからコンビニまで飲み物買いに来てるんです。
なんか欲しいものありませんか?』

「…そんなのはどうでもいい!
まったく…。もういい!コレ置いて帰るから」

『えー!?だってソレ財布ですよ!?
そん中に俺の全財産入ってるんですよ!?
困りますよ〜』

「おい、お前、今、コンビニで買い物してるんじゃなかったのか!?
全財産じゃ無いだろう!?」

『まあまあ、細かい事は言いっこなしですって。
カギ開いてるんで、上がって待ってて下さい。すぐ戻るんで』

「お前…っ、それ絶対確信犯だろう!?」

丁々発止と返ってくる狩屋の言葉に、霧野はついに言葉を失った。

何度も何度も誘われた狩屋の部屋。
それでもアレ以来、一度もこの部屋を訪れる事はなかった。
もう二度と来る事もないだろうと思っていた狩屋の部屋。
今日も玄関先で忘れ物を狩屋に渡したら、すぐ帰るつもりだった。

そんな霧野の気持ちを狩屋は敏感に見透かしていた。


『そうですよ、確信犯です。悪いですか?
…でもこうでもしないとアンタすぐ帰っちゃうじゃないですか。
帰ってほしくないんです。
…待っててくれますよね?』

やっぱり……。

一気に真剣みを帯びた狩屋の言葉に霧野はケータイを持つ手がじんわりと汗ばむのを感じた。
電話越しとは思えない程、直接脳裏に響くその声が憎かった。
簡単に自分を縛る、その声が憎かった。

だからこそ、この部屋には二度と来ない。
そう決めていたのに。


「分か…った」

そう答えた声は、霧野自身でさえ聞き取り難い小さいものだった。

『やった!』

それでも狩屋はその声を聞き取り、大げさな程喜んだ。
小細工を弄する狩屋の狡さを知っているのに、それなのにこうして心が揺れるのはこういう時折見える隠しきれていない純粋さがあるからだった。
霧野はその明るい声に長く深い溜息を吐く。


「…待ってるから、早く戻ってこいよ」

否応無く強引に自分を巻き込む狩屋に自分が言葉で言う程嫌がっていないのが、途轍もなく馬鹿に思えた。



「お邪魔します」

誰も居ないと知っていながら、霧野はそう小さく断ってから部屋に足を踏み入れた。
主の居ない他人の部屋に一人で足を踏み入れる居心地の悪さを確かに感じながらも、
こうして狩屋の居ないうちに一人でこの部屋を訪れる事が出来た安堵も心のどこかで否定できない。
これで狩屋が居たら、いつまで経っても落ち着かないままだったはず。

ベッドと備え付けの机。
それから本棚兼物入れ代わりの小さなカラーボックスがあるだけの狭い部屋。
人が二人も居たら密着せざるを得ないこの部屋は、
個室である事だけが長所のただ寝るだけに存在するような部屋だった。
それでも一年の狩屋が寮の個室に入れたのは、サッカー部が壊滅状態になってしまったからこそ。
住む人のほとんどを無くした寮は、ひっそりとしていて自分以外の物音どころか気配さえ無い。
あの日、来た時と何も変わっていない。
全てが記憶にある、あの日のままだ。


ここで俺は…。

思い返すだけで泣きたくなる程、頬が熱い。

人から告白されたのはアレが初めてでは無かった。
サッカーが得意で、昔から女の子にキャアキャア言われる事に慣れていた。
今はサッカーが大事だから、なんて聞こえのいい台詞を何度口にしたかなんて覚えてさえいない。
度々女に間違われるこの顔のせいで、男から告白された事も何回もあった。

それでも、あんな風に返事に躊躇する事なんて無かった。
あまつさえ隙をつかれてキスされるなんて…。


ふーっとまた長く深い溜息を吐いて霧野は、ベッドに腰掛けた。
この部屋は狭く、そのうえ何も無くてする事が無い。
悩む選択肢さえ奪うところは、部屋の主とそっくりだと霧野は不在の後輩に思いを馳せた。






霧野がそれに気づいたのは偶々だった。
ただ待つだけの手持ち無沙汰に居心地悪く座りなおした時、偶々それに片足がぶつかった。

ん?

足に感じた硬くひんやりとした感触に、霧野はベッドの下を覗き込む。
薄暗いベッドの下で、それはただの黒い箱に見えた。

水槽…?

でも、よくよく目を凝らして見てみると、それは透明なケースだった。
なんでこんな所に水槽が?と、ベッドの下から引っ張り出してみると、中で水がたぷんと揺れた。
ベッドの下に隠すように置かれた、水を湛えた水槽。
いくら水槽の上にカバーが付いているとはいえ、そもそも水槽はベッドの下に置くような物では無い。
しかも、この水槽には水しか入っていないように見える。

なんだ、これ…?

霧野は不審に思って、その水槽を持ち上げた。
決して小さい訳では無いその水槽は水が入っているので、持ち上げるには少々重い。
だが、そうせずには居られないぐらい、その水槽は意味不明だった。


「あ…っ!」

その水槽を光に透かしてみて、霧野は小さな驚きの声を上げた。
水の中に微かに光を反射させる物体があるように見えたのだ。
少し傾けてみると、また蠢くように光が水槽の中を移動する。
確かにこの水槽の中には何かがある。
きらきらと微かに輝くその青とも紫ともつかない光に霧野はすっかり魅了されていた。

新手のオブジェか何かかな…?

霧野はその光る物体を、そう判断した。
生物であるという考えは微塵も頭の中に無い。
オブジェと思ったからこそ、霧野はその水槽の蓋を開けた。
部活帰りで未だ熱を持った体が、水の中に手を入れる事を躊躇わせなかった。
霧野はジャージの袖を肘まで捲り上げた。

水から出したらどんな形してるんだろう…?


霧野はそんな些細な好奇心から、その水槽の中に自ら腕を浸したのだった…。



 

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