縋る
……自分が信じられない。
それは目の前が真っ暗になる程の恐怖だった。
今日、神童の身には信じられない事が立て続けに起きた。
男が男に襲われる状況。
親友だと思っていた霧野の秘めた想い。
そしてそんな霧野に今までに無い程、欲望を感じてしまった自分。
それら全てが神童の予想を遥かに超えた出来事だった。
でも、自分自身の意思をしっかり持っていれば大丈夫だと、
明日になれば全てが無かった事に出来るとそれでも信じていた。
信じなければ自分を保つ事が出来なかった。
それなのに、自分はこの獣のような犯罪者よりも先に己の欲望を満たし、
それどころか自分自身でも厭う穢れた場所でさえ快感を覚え欲を滾らせている。
……そんな浅ましさが自分の中に存在するなんて信じたくなかった。
今まで信じていた自分が陽炎のように揺らいでいく。
神のタクトと持て囃され、二年ながらに名門雷門サッカー部のキャプテンを務めている自分は嘘で、親友さえ欲望の対象にする淫らな自分が本物なのではないか?
現に知らない自分が胸の中から這い出ようと尖った爪でかりかりと心を中から掻いている。
恐怖がじわじわと神童を侵食していく。
「ッふ、クゥ…ッ、ふっ!」
恐怖に叫んでも、それは神童の口の中で霧野の舌に絡め取られ、吐息となって消えていく。
口は霧野の舌で言葉さえ発せない程、充たされている。
下肢もぐちゅぐちゅとハシタナイ音を立てる指に圧迫されて身動きさえ取れない。
上も下も霧野でいっぱいで、心の恐怖は行き場を塞がれていた。
出口なんてどこにも無かった。
瞳から恐怖が涙になって零れても、それだけじゃ足りないぐらい神童の心は恐怖で溢れ、破裂しそうだった。
それなのに快楽は消えるどころか強くなる一方だ。
ぎゅうっと縋る神童の指が霧野の肩に食い込む。
「拓人…?」
その爪を立てられた痛みが霧野を少し正気付かせる。
霧野はふるふると震えて無意識に爪を立てる神童の様子に、漸く口唇を離した。
「きり…っ、霧野っ、霧、野っ!
もう…やだ…、こんなの…もう…っ、嫌…嫌だ、やだ…っ!」
眼を見開き、全身を硬直させる神童は縋っていても手の震えは抑えられていない。
その尋常じゃない様子に、霧野はぎゅっと神童を抱きしめた。
神童の震えを抑えるように、力強くしっかりと。
「拓人、拓人!大丈夫だ。怖くなんてないから!
これは必要な事なんだ!俺達が愛し合う為に必要な行為なんだよ!!」
「そっ、そんなの、詭弁だ…っ!
こんな、こんな事が必要なはず、ないじゃないかっ!!」
神童が霧野の腕の中でもがくように暴れる。
まるでそこに居たら、新しい自分に捕まってしまうかのように。
「必要だっ!!」
霧野が神童の顔をまっすぐに見つめる。
それは先程の痛みのせいか少し正気に戻っていて、焦点が神童をまっすぐ捉えていた。
「神童がやっと俺に応えてくれたんだ!!
ずっと、ずっと神童だけを想って、それでも神童の為に抑えてきたんだ!
もうこれ以上自分を偽る事なんて出来ないっ!!」
まっすぐな瞳と自分を『神童』と呼んだ事。
それが霧野の言葉を神童の胸まで届けさせた。
――俺が今まで信じていた霧野は偽りだった…?
じゃあこれが本物の霧野…?
霧野を見れば、いつもと違う辛そうな顔。
こんな風に泣きそうな顔が本当の霧野だとしたら、俺の瞳はどんなに節穴で真実が見えていなかったのだろう。
「神童、お前はただ俺の事を感じてくれればいい。
俺の愛を感じて、俺の事だけ見ていればいい」
――もしかして今まで信じていた事は全部嘘だったのか…?
じゃあ、今の俺が本当の俺…?
この何もかも異常な状況で、いつもと変わらないのは優しい霧野の声だけ。
変わってしまった自分さえ、霧野は優しく傍に居てくれる。
「感じるままに、乱れて……?」
ぐらぐらと価値観が揺れる神童の中で、それは凄まじい程の拘束力を持った命令だった。
どうしたらいいかどころか、どうしたいのかさえ見失った神童が唯一手繰り寄せる事が出来た指針。
それが霧野自身であり、命令というには弱弱しいその願いだった。
その霧野の言葉を聞いた瞬間、それまでも体内にあった霧野の指が急に火を点したみたいに熱くなった。
きゅうっと霧野の指を感じて、自分の内側が蠢くのを感じる。
神童は堪え切れなくて、はあっと息を漏らした。
「霧野ぉ…っ、助けてぇ…っ!
奥がじんじんするんだ…」
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