SIDE速水1



「おっはよー、はっやみぃー」

浜野クンが気づいていたらどうしよう…。
俺がこんな極普通の挨拶に一日で一番緊張していることを。
だってこの瞬間だけなんです。

浜野クンから俺に触れてくれるのは。


「お、おはようございます!」

いつも少しぎこちない俺の挨拶。
それなのに浜野クンは俺がそう言うと満面の笑みを返してくれる。

優しい、優しい浜野クン。
この人がいつも俺の隣で笑ってくれるから、俺は安心して大好きなサッカーを今でも続ける事が出来る。


「あー、また昨日あんま寝れなかったっしょー?
速水の目、真っ赤ー。
ちゅーか、ウサギみたーい」

「うう…。最近本当に寝れないんです。
フィフスが無理難題を言ってきたらどうしよぉとか、サッカー部自体が乗っ取られちゃったらどうしよぉとか考えてると、気づいたら雀が外でチュンチュン鳴いてたりするんですよぉ」

俺は寝不足でふらつく頭を、浜野クンに掴まってなんとか支える。
浜野クンはいつも頭の後ろで腕を組んでいるから、がら空きになる脇腹の辺りが、最近では俺の手の定位置になってしまっている。


「心配しなくったってどうにかなるってー。
剣城だって取り敢えず大人しくしてるみたいだしさー」

でも浜野クンは俺が浜野クンの服の裾を掴むと、いつも少しだけ困った顔をする。
浜野クンは優しいから、俺に分からないようにほんのほんの少しだけ。
そんなの俺はもう最初から気づいているのに、浜野クンは変わらず俺に分からないように隠そうとしている。



フィフスから来た黒の騎士団がセカンドと戦ってるって知らせを部室で聞いた時に、初めて俺は浜野クンの服の裾を掴んだ。
ついに来たって、怖くて不安で隣に居た浜野クンに掴まってないと倒れてしまいそうだったから。
でも、ぎゅって俺が掴んだら浜野クンの体がびくりと揺れた。
だから俺はてっきり「ああ、浜野クンもフィフスが怖いんだ」って、そう思った。
いつも明るい浜野クンが俺みたいに不安がってるかと思うと、余計怖くなって俺は浜野クンの服じゃ足りなくなって腕に縋り付いた。
部室中がざわざわとざわめいていて、誰も彼もがフィフスの動向に不安がっていた。
誰もこれからの雷門中サッカー部がどうなるかなんて分からないみたいで、俺は逃げ出したい程怖くて堪らなかった。
怖くて怖くて思わず「は、浜野クン、手離さないでくださいね」って口にしていた。
浜野クンの場違いな程明るい声が聞きたかった。

でも、浜野クンは何も言ってくれなかった。

浜野クンは俺が掴まっている方の反対側に顔を背けていた。
少しだけ見えるその横顔は眉間に皺が寄っていて、浜野クンらしくない。

そしてその表情は、部室に居る誰とも似ていなかった。


部室に居る皆は誰も彼もが不安げに誰かと話している。
視線もそわそわと移ろってるし、態度も落ち着かない。
でも浜野クンは、浜野クンだけはじっと一点を何かに耐えるように睨んでいた。


俺から視線を逸らして。


ドキッとした。
見慣れないその表情も、返ってこない返事も。
どう見ても、浜野クンが全身で俺を拒んでいるように見えたから。


……一瞬でフィフスの恐怖が吹き飛んだ。


掴んだ手が強張る。
俺はまたぎゅっと掴んだ手に力を込める。
離してしまったら、もう二度と掴まる勇気なんてない。
掴んだこの手を自分から離すなんて出来そうもない。

どうしよう。どうしよう。どうしよう?

何が浜野クンの気に障ったのかなんて分からない。
自分が嫌われてるかもと考えもしなかった自分が信じられない。

思ってもいなかった事態に頭が真っ白になってしまった俺は、ただ掴んだこの腕を離してはいけないって事だけしか分かっていなかった。

でもそんな俺を救ってくれたのも浜野クンだった。


「大丈夫だって、速水ー。
そんなに怯えなくても俺が付いてるじゃん」

腕を掴んだまま固まってしまった俺に、浜野クンは気づいたらそう言ってくれていた。
はっとして見ると、さっきまでの辛そうな浜野クンが嘘みたいに笑ってた。
この目で見ていなければ、浜野クンが辛そうだったなんて信じられないくらい、
ニコニコと笑っている浜野クンは、俺のよく知ってる浜野クンで。
まだ俺は腕を掴んだままなのに、ちっとも俺の事を拒んではいなかった。

いつもの優しい優しい浜野クンだった。


「ほ、本当ですか…?」

みっともない程声が震えてる。
浜野クンが本当は俺の事拒絶している事も知ってるのに、優しい浜野クンの言葉にしがみ付こうとしてる。
こんなのズルイって俺だって分かってる。
でも弱い俺は浜野クンからもっと安心できる言葉を貰おうとしている。
浜野クンの口から俺が傍に居てもいいんだって言ってもらおうと甘えてる。

……それが例え嘘だとしても。


「本当、本当。
俺達友達じゃん!どーんと俺に任せてよ」

ほら、ね。浜野クンは優しいから。
俺が頼ればちゃんと応えてくれる。
俺が縋っても、その手を振り払う事はしない。

「じゃ、じゃあ、手、掴んでていいですかぁ…?」

俺が言うと、一瞬だけ浜野クンの顔が困ったって歪む。
それは本当に一瞬だったけど、さっきの浜野クンの表情を見てしまった俺はそれを見過ごすことは無かった。

ただ、見なかった事にしただけ。

俺が見たのは、俺の問いに仕方ないなぁって笑って頷いた浜野クンだけ。


「もっちろん!
速水がそれで安心できるなら、俺の体で良かったら好きなだけ掴んじゃってよ!!」

浜野クンはそう言って笑うから。
だから。


俺は今でも困った顔する浜野クンに気付かない振りして、浜野クンに縋りつく。
浜野クンに触れたくて。
でも、ちゃんと触れる事も出来なくて。

俺は今日も浜野クンの服を掴む。

毎日、毎日。
あれから毎日、世界は日々変化して、不安に満ち溢れている。
浜野クンに縋りたくなるような出来事で満ち溢れてる。
浜野クンもそれが分かっているから、ズルイ俺の手を振り払わない。


そうして俺はだんだん、気付かない振りに巧くなる。


浜野クンの困った顔も。
どうして俺は本当は嫌がってる浜野クンにばかり固執してしまうのかも。

そして浜野クンに触れる時、どうしてこんなにもドキドキしてしまうのかさえ。


俺は全部気付かない振りして、今日も浜野クンの服を掴む。
全部を直視して考えるなんて俺には出来そうもない。

一度掴んだこの手を、自分から離すなんてやっぱり俺には出来なかった。




 

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