ふたり読書
「なあ…開けて?」
恋人半田の言葉に鬼道は眉を顰める。
開ける?何をだ。
今、自分達はテストに向けて勉強中だったはずだ。
それも主に半田の為に。
鬼道はというと今更テストの為に別段焦って勉強する必要もなく、出たばかりの新書を読みながら時折半田の質問に答えていた。
取り立てて開けるものなど何も無い。
現にそういう半田の手にも何も無い。
「もう充分勉強しただろ。なあ、開けてよ」
鬼道の怪訝な表情を勉強を止めた事に対する咎めだと思ったのか、半田は再度繰り返す。
その表情は不貞腐れたようでいて、どことなく照れがある。
甘えたいのに、素直になれない時によくする顔だった。
「…ああ」
鬼道は自分の姿を省みて漸く得心がいった。
確かに閉じてるな。
ベッドに腰掛け本を読んでいる姿は、その両手が本を中心に輪の形になっており確かに閉じている。
「こうか?」
恋人の可愛らしいおねだりに、鬼道は本を片手に両手を広げてみせる。
どうだ、正解だろう?と聞こえてきそうな表情で。
「えへへー、鬼道ぉ」
案の定すぐ開けた空間に半田が納まってくる。
ベッドの下から腰に抱きついてきた半田の髪を撫でてやれば、嬉しそうに頭を鬼道の腹部にぐりぐりと押し付けてくる。
二人っきりの時しか見せない、その子供っぽい半田の素直さは鬼道の独占欲を擽るお気に入りの一つだった。
「なんだ本にまで嫉妬か。お前だって優先すべき事があるだろ」
だが、それを正直に表す素直さは鬼道には無い。
照れ隠しのそのからかいの言葉に、半田は弾かれたように顔を上げた。
「だって!さっきから俺が何言っても『ああ』とか『そうだな』とか適当な返事しかしなかったじゃん!
そりゃムカつくってー」
嫉妬を否定しない半田の言葉に、またも鬼道の心が心地よく擽られる。
「悪かったな」
鬼道がまた半田の髪を撫でる。
笑いを含んだ口調ではあるものの、その手の優しさに半田がぷいっと顔を背けた。
半分髪に隠れた耳が赤く染まっている。
「なあ、これ何の本?」
半田がすぐ振り向いて鬼道を見上げる。
耳を未だ赤く染めたままの精一杯の普段っぽさに鬼道は笑いそうになる。
だが、ここで笑ってしまっては半田の機嫌は修復不可レベルまで悪化してしまう。
鬼道は笑いを堪えながら、また誤魔化すように半田の髪を撫でた。
「義父の会社の事が書いてあるんだ」
「へー!」
半田の指が興味深そうに、新書の濃紺の表紙をなぞる。
鬼道が表紙を捲り、目次を指し示せば一緒に覗き込んでくる。
「ほら、三章が義父の会社の事だ。
義父がとった新しいシステムのメリットデメリットが説明されている。
俺にはまだ新システムの利点は思い至っても、それに伴うリスクをここまで想像する事は出来ない。
まだ圧倒的に多方向的な経済視点が欠けてるんだ。
本は経験していない事もこうして色々と教えてくれる。
半田も少しは本を読んだ方がいいぞ」
小言付きで半田に掻い摘んだ本の内容を教えてやれば、予想に反して半田が嬉しそうに鬼道を振り返った。
「へー、そっかぁー!
親父さん、すっげーな!!」
どこまで話を理解しているか分からないが、混じり気無しの賛辞がなんだかくすぐったい。
「そうだな。凄い人だ」
それでも複雑な心境を飲み込んでそう言えば、半田がぎゅむっと鬼道の頬を両手で挟みこんだ。
「そういう時は、『好き』って言っときゃいいんだよ!家族なんだから!!」
「しょんなものか?」
「そう!!」
顔を挟まれてタコのように唇を突き出した珍しい鬼道の変顔にも、半田は笑いもせず重々しく頷いた。
そしてパッと鬼道の顔を挟んでいた手を離して笑った。
「って言っても、この歳で親の事好きなんて照れずに言える奴そうそう居ないけどな」
「そうか?」
鬼道が半田との距離をぐっと詰める。
それこそゴーグルから瞳が透けて見える程の至近距離。
そこで鬼道は半田をまっすぐ見つめて囁いた。
「好きだ」
「って!なんで俺に言うんだよー!?」
「言って悪い事は有るまい。
半田、好きだ。半田、返事は?」
鬼道はもう一度囁くと、半田の頬に手を添えた。
勿論、さっきのお返しに顔を挟む為では無い。
俯きそうになる半田の顔を自分の方へと向ける。
滅多に囁く事の無いストレートな愛の言葉に真っ赤になって困っている顔を鬼道は見つめる。
――いつまで経っても、お前は俺の知らない事を教えてくれる。
まるで真新しい本を読んでいるようだ。
それは多分『恋愛小説』。
「普通の男子中学生」としての常識だけじゃなく、半田は鬼道に色々な初めての感情を教えてくれた。
結局言葉で返す事も出来ず、ただ一回頷いた半田に、鬼道はそっと顔を寄せる。
願わくばその本が果てしなく続くストーリーであるようにと、鬼道は半田の顔に唇を落とした。
END
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