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ボールを取りに戻った部室にはもう誰も居なかった。
ホワイトボードに
「皆で雷雷軒に行く!鍵宜しく!!」
って風丸の字で書いてあって少し笑う。
どうせ円堂の字だと俺が読めないと思った風丸が代わりに書いたんだろう。

誰も居なかったことも、少し笑えたことも、どちらも今の俺には有難かった。


ボールを一つ抱えて、部室裏の陸上部がいつも使っているグラウンドに向かう。
流石に土曜の一時過ぎには誰もいなくて、グラウンドには一之瀬の後ろ姿しか見えない。

俺はその後姿に声を掛けるのを少しだけ躊躇してしまう。
また、あんな風に何を考えているか分からない顔で一之瀬が振り向いたらと思うと、気軽に声が掛けられない。

きゅっと抱えたボールに力を込める。

「一之瀬」

俺の声に一之瀬が振り向く。

「半田」

あ、いつもの顔だ。

振り向いた顔は、いつもと同じ顔。
爽やかでにこやかで、一之瀬らしい顔をしていた。

ほっとした俺は持っていたボールを一之瀬に蹴り出す。

一之瀬は軽く胸でトラップしてから、置いたままだった陸上部のカラーコーンの間をするすると通り抜ける。
たったそれだけなのに、一週間ぶりに見る一之瀬のプレイはなんだかキラキラしてて目を奪われる。


そのままドリブルで俺の前まで一之瀬がやってくる。

「半田?」
ぼうっと見惚れちゃってた俺を不思議そうに一之瀬が名前を呼ぶ。

そうだよな、今、一之瀬がしたのってただのドリブルだもん。
俺だって出来るようななんでも無いことだ。
見惚れるようなもんじゃない。
でも、俺にも不思議だけど一之瀬はなんだかキラキラして見えたんだ。
そう、それこそ初めて一之瀬を見た時みたいに。


「あっ!」
って、なんで目を奪われるか分かった!


「なんだか初めて一之瀬に会った時みたいだ」

今日の一之瀬は私服で、
ジャージやユニフォーム姿以外でサッカーをしているのを見るのは、
初めて一之瀬が雷門中に来た時以来のことだった。
久しぶりってのもあるけど、だから余計今日の一之瀬は初めて会った日を彷彿とさせる。


一瞬で目を奪われた、あの日の一之瀬一哉を。


「俺さ初めて見た時から、
一之瀬のサッカー、すっげー好きみたい」


俺がただ何気なく言ったその一言は、一之瀬にどんな風に届いたんだろうか。
俺がそう言うと普段どおりだった一之瀬の顔が一気に崩れた。

えっ!な、泣く?

俺がうろたえてしまう程、その変化は鮮やかで一瞬だった。

「半田」

でも、それも一瞬で見えなくなってしまう。
だって次の瞬間には、俺は一之瀬に羽交い絞めにされていた。

「半田、半田、半田」
俺の名前を何回も呼びながら、ぎゅうぎゅうと締め付けてくるから苦しくって堪らない。

「い、一之瀬、…苦しっ」
ぱんぱんと一之瀬の背中を叩く。
そう訴えても、一之瀬の力は弱まらない。

「半田。…俺、俺っ」

「…なんだよ?」
何かを訴えるような一之瀬の声。
その声が俺の中にぞわりと不安を植えつける。
腕の力よりも強く、俺に息苦しさを与えてくる。


「…サッカー出来なくなるかも知れないって」

「え?」


俺がその言葉の意味を理解するよりも早く、
一之瀬が俺の手を引く。


「ねえ半田、俺のこと慰めてよ」

え?ナグサメル?

泣く寸前の顔で一之瀬が笑う。


俺は何が何だか分からなくて、ただ一之瀬に引かれるまま走り出す。


先を走る一之瀬は、俺のことを全然振り返らない。

繋いだ手もすごく冷たい。

向かう先に何があるのか分からなくて、俺は走りながら一度だけ振り返る。


そこには蹴る者の居なくなったサッカーボールが
まるで何かの目印みたいに転がっていた。


 

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