5



次の日。
朝、食堂に周りを丸く痣で囲んだ目をして入ってきた染岡に円堂が声をかける。


「どうしたんだ、その顔!?」

「…なんでもねーよ」

まさか吹雪と己の貞操を賭けて死闘を繰り広げたなんて言えるわけがない。


「試合が近いんだから、しっかりしてくれよ。
染岡のこと、頼りにしてんだからなっ」

円堂もまさか同じ宿舎の中でそんな骨肉の争いがあったなどとは夢にも思わず、爽やかに染岡の肩を叩いた。
軽く叩かれただけでも、体中に出来た痣が鈍く痛む。


「痛ぇよ、馬鹿力が」

染岡が痛みで顔を歪ませて言うと、悪い悪いと手を振りながら、円堂は先に練習へ行ってしまった。


痛みのせいで染岡はゆっくりとしか歩けない。
染岡がグランドに辿り着いた時、メンバーは全員グラウンドに揃っていた。
ただ一人吹雪を除いて。


練習が始まっても吹雪は中々姿を現さない。
いつまで経っても姿の見えない吹雪に、染岡はだんだんと不安になってくる。

やりすぎたか…?
昨夜吹雪に炸裂した奥義「投げっ放しドラゴン・スープレックス」を思い出すと練習にも身が入らない。


結局吹雪は午前の練習に姿を見せることはなかった。


監督の練習終了の号令と共に染岡は走りだす。
頭の中にこびり付いた布団の中でぐったりしている吹雪の姿を打ち消すように吹雪の部屋のドアを壊れる勢いで開ける。
だが、部屋の中はものけの殻だった。


――あいつどこ行きやがったんだ。

踵を返すと、今度は満身創痍であろう吹雪を探すため、染岡はまた走り出した。


宿舎の玄関で、丁度戻ってきたメンバーとすれ違う。


「どこ行くんだ、染岡ー?」

背後から投げかけられた円堂の声に、染岡は振り返りもせず答えた。

「病院!!」



島に一つの病院は広いうえに、いつ来ても人が一杯で中々一人の人間を探すのは難しい。
待合室を一通り探すと、病院内を探し回るのは無理と判断して、染岡は入り口で出てくる人をチェックする事にした。
だが午前の診療が終わり、入り口が閉められても吹雪の姿は見つからなかった。


――ここじゃなかったか。

染岡はがっくりと落胆する。
病院じゃないとすると、他に思いつく場所がない。
島中を手当たり次第探すしかないか。
そう覚悟を決めると、染岡はまた走り出した。


ちっ、一度戻るか。

島中走り回って汗だくの染岡は、息を整えながらロードサイドにあった時計を見あげる。
午後の練習がもうすぐ始まる時間だし、もしかしたら吹雪も戻っているかもしれない。
染岡は顔に流れ落ちる汗を腕で拭うと、今度は宿舎に向かって走り出した。


グランドに戻るとメンバーは大体揃っているのに、やはり吹雪の姿だけない。
息が弾んで声の出ない染岡は偶然通りかかった木野のジャージを無言で掴んだ。


「きゃあ!
…って、染岡君かあ」

「あいつ…は?」

咄嗟に悲鳴を上げた木野を省みる事もせず、染岡は息も切れ切れにそう訊ねる。


「吹雪君?
まだ戻ってないわよ」

長い付き合いのお陰か、はたまたそういう性格なのか、木野は染岡の極端に少ない言葉を正確に汲み取った。


「そうか」

島中を駈けずり廻って体力の限界に近い染岡は木野の有り難みに気づかない。
それだけを短く言うと、染岡はまたふらふらと元の道に戻ろうとした。


「染岡君」

自分を呼ぶ木野の声に染岡が振り向くと、そこへドリンクのボトルが投げられる。
慌ててキャッチして染岡はなんの事かと木野を見つめた。


「監督にはランニングに行ったって伝えておくから」

そう言うと早く見つかるといいねと木野は手を振った。
鈍感に定評のある染岡も、何も詮索せずに色々と心遣いをしてくれる木野の優しさに流石に気がついた。
疲れきって、しかも当てもなくて。
弱気になりそうな染岡は、そんな木野の言葉にぐっと詰まって咄嗟に返事が出来なかった。
染岡は俯きぎゅっとボトルを握ると、ぐるっと木野に背を向けた。


「……アイツ、ふん捕まえてくっから」

小さくそう言うと力強く染岡は駆け出した。



それから染岡は島中を走りまわって吹雪を探したのだが、結局見つけることはできなかった。



日が暮れて街頭が明々と灯りだした頃、染岡はついに足を止める。

――こんな暗くちゃ探せねぇ…。
染岡は重い足取りで宿舎へ戻り始めた。


宿舎のある路地に入ると、門の外灯の下にうずくまっている人影が見える。
足を引き摺るように戻ってきた染岡に気づくと、その人影は立ち上がり駆け寄ってくる。


「染岡クン!」

「…吹雪」

自分に走り寄る吹雪は、大怪我している様子はない。
探し回った吹雪が無事に宿舎に居たというのに、染岡は疲れきってしまって心が動かない。
ただ気が抜けてしまったみたいに足がそれ以上一歩も歩けなくなってしまった。


「秋さんに聞いた。
探してくれて、ありがと」

動けなくなってしまった染岡に吹雪は支えるように抱きついた。


「汗臭いよ、染岡クン」

「…お前のせいだろ」

汗臭いと言っているのにその言葉は嬉しそうだ。
染岡の背に回った吹雪の手に力が篭る。


「お前、怪我治ったばっかなのに殴ったりして悪かった」

染岡が自分よりも小さな吹雪の肩に額を乗せた。
それは疲れているからのようにも、謝る顔を相手から隠すようにも見えた。


「僕こそ心配かけてごめんね」

吹雪も同じように肩に顔を押し当てたまま言うと、ぱっと離れる。


「早く戻ろ?もう夕食の時間とっくに過ぎてるよ」

明るくそう言うと、動くのも難儀そうな染岡の手を引いた。


「あっ!そういえば俺、てめぇのせいで昼飯も食ってねぇんだぞ」

染岡も口調は怒っているが、決してその手を振り解こうとはしない。


そうして二人は、後片付けをしているマネージャー達が残っている食堂に入る寸前まで手を繋ぎ続けた。



 

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