サクランボ色の恋情 | ナノ
休み時間、それは僕にとっては読書時間でもある。同学年には仲の良い友人も居ないし、数分間だけの短い時間では一学年上の承太郎に会いに行く気すら起きない。だから、読書に走るのだ。
けれども、意識だけは名前さんと彼女の友人達が喋っている内容に集中する。お陰でページを捲る手が先程からちっとも進んでいない。名前さんとは以前よりかは言葉を交わすようにもなったけれど、それでもとびきり仲が良いとは言えない。故に話に入るわけでもなく、こうして聞き耳を立てるだけ。それでも名前さんを一つ、また一つと知れていって僕は幸せな気分に浸るのだ。


「もうすぐ中間試験があるでしょ?だから今日一緒に勉強しない?」

どんな騒音からでも聞き逃さないであろう、名前さんの声。綺麗なソプラノボイスだ。

「ごめん、実は今日は用事があって」
「あたしは塾なの」

友人達からの返答は名前さんが望む答えではなかった。ああ、僕なら一緒に勉強してあげれるのに、なんて。

「そっかあ、じゃあ仕方ないよね」
「ごめんね、明日は一緒にしましょうよ!」
「あたしも明日なら空いてる!」
「じゃあ、明日ね」

彼女たちの話が纏まったと同時にチャイム音が校内に鳴り響いた。
名前さんの友人達は蜘蛛の子を散らしたように自分のクラスへと戻っていった。

…もしかしなくともこれはチャンスだろう。今日の名前さんの予定は空いている事が立証された。――よし、名前さんを誘おう。「一緒に勉強しませんか」と。勇気を出すんだ、花京院典明!

「…名前さん、」
「うん?どうかした?」
「もうすぐ中間試験ですよね?…だから、今日、宜しければ一緒にテスト勉強しませんか?」
「えっ」

ぱちぱちと目を瞬かせ、僕を見る名前さん。
――ハッ。よく考えれば、僕がこのタイミングで彼女を誘うのはおかしかった。だってそれじゃあ、今名前さんが断られたのを見ていたと自白しているようなものじゃあないか。どうしよう、人の話を盗み聞きする気持ち悪い奴だと思われただろうか。
恐る恐る名前さんを見ると、彼女は嬉しそうに「よかった!今ね、友達に断られちゃったところで、一人で勉強しようか迷ってたところなの!花京院君が誘ってくれて良かった!」と花を綻ばせたような笑顔を見せてくれた。……ドキン。胸が高鳴ったのは言うまでもない。


***


放課後、誰も居ない教室に二人きり。
でも、やましいことなんて何一つ無く、ただの試験前の勉強の為。それが少し残念でもあり、嬉しくもあり。名前さんが絡むだけで下らない何かに一喜一憂して忙しいけれど、それが凄く幸せな事なのだと最近気が付いた。


「ここの問題なんだけどね、難しくって…。授業中ちゃんと解けなかったの。花京院君分かる?」
「ああ、これは…」

出来るだけ噛み砕いて分かりやすく名前さんに説明する。彼女に僕をかっこよく見せたいという少し見栄っ張りの男心ってやつだ。

「…ああ、成る程!花京院君、教えるのも上手なんだね!」
「いえ、そんな事は…」

ありません。そう続く筈だったのに、言葉にする前にすっと消えてしまった。だって、名前さんが存外近い距離にいたものだから。
少し手を伸ばせば触れられる距離に彼女は居る。このまま彼女の柔らかそうな肌に触れるとどうなるのだろう。彼女は怒る?それとも無反応?泣いてしまう?この関係が終わってしまうだろうか?もしかして好きに、なってくれないだろうか。

「…花京院君、花京院君ってば」
「…は、」
「どうしたの?大丈夫?気分悪い?」
「あ、いえ…何でもないんです。すみません…」

名前さんは黙りこくる僕を心配してくれたらしい。僕の汚い部分が、貴女の事を穢そうとしてました、なんて馬鹿なこと言える筈がない。

「そう、何もないなら良いの!でも辛かったら言ってね?」

胸中に汚い感情を抱く僕に、名前さんはいつも通りの笑顔を向けてくれる。それが何だか申し訳無くて、でも満ち足りた気分で。
その名前さんの毒気のない笑顔を見ていると、友人としてではなく恋人として彼女の隣を歩きたいという願望は日に日に増していくのだった。




下心を必死に抑えつける花京院くん。 / 140205
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