認知




俺は知っていた。あの人が俺を必要としていないことを。
俺は知っていた。あの人が俺を気に入っていたことを。
俺は知っていた。あの人が俺をどうでもいいと思っていたことを。
俺は知っていた。あの人が俺を好きでいてくれてることを。
俺は知っていた。あの人が俺を馬鹿にしていることを。
俺は知っていた。あの人が俺に愛情を注ぎたいことを。
俺は知っていた。あの人が俺と一緒に駄目になってほしいことを。
あの人が俺と一緒に幸せになりたかったかは知らないが。




『善吉ちゃーん!』
「ったくなんだよ、球磨川。鯛焼き食べ行くんだったら行かねーぞ!昨日も食べたじゃねーか!」
「違うよ、人吉。鯛焼きは一昨日だったよ。」
「え?そうだったっけ…数字に強い喜界島が言うならそうだろうな…」
『違う違う。鯛焼きは一昨昨日だったよ。誘った本人がそう言うんだから間違いないってば!』
「お前の言うことに、いちいち信じてられねーよ!」
「善吉。私は先週食べたと思うのだが。」
「めだかちゃんまで乗らなくていいからね!?」
『よし決まった!生徒会長が言うなら間違いないね!一週間ぶりに鯛焼きを食べに行こう!』
「っ!球磨川ー!おい、こら待て!」
『ねー高貴ちゃーん!鯛焼き食べ行こうよ!』
「はいはい。そんな急がなくてもなくなりませんよ。」


球磨川さんが楽しそうに笑う。俺はいつも通り、プリンスと名付けられるに相応しい微笑みを浮かべた。

人吉くんは相変わらずそれが彼の定めのように威勢よく皆に突っ込み、球磨川さんは相変わらず嘘か本当か分からない言動で俺達を愉快に惑わし、喜界島さんは相変わらずまと外れな発言で場を和ませ、めだかさんは相変わらず美しい凜とされた様相で先導を行かれる。

あぁ。幸せだ。
俺はそう思った。
人吉君とめだかさんが対立し、球磨川さんと喜界島さんがそれを阻止しようと第三勢力を作り、いわば三つ巴の構成を期しているというのに、それはそれ、これはこれ、と生徒会業務はすんなりいくもんだ。むしろ業務後でさえ、誰かさんが嫌うはずの馴れ合いすら始まる。
それの良し悪しは置いておいて。
俺が記憶するかぎり昨日食べたはずの鯛焼きを今日も食べに行く。

鯛焼き屋に着いて、パシリとして使わされたのは奴隷根性の染み付いてる人吉くんだった。球磨川さんから言いくるめられるも、文句言いつつ結局動いてしまう所がなんというかお人よしで好かれる理由の一つなんだろう。しかし、一人で5人分も持ちきれないだろうに。
「人吉くん、俺も行くよ。」
「まじっすか!流石阿久根先輩ですね!あざーす!」
『善吉ちゃん情けなーいっ!』
「球磨川、うるせえ!」
『きゃー情けない善吉ちゃんが怒ったー!僕、めだかちゃんと喜界島さんのハーレム楽しんどこー♪』
「っ!球磨川てめぇ!阿久根先輩、早く買いに行きましょう!」
「おいおい、急に走るなよ人吉君!」


いちいち球磨川さんの冗談に突っ掛かっていたら身が持たないだろうに。人吉くんは律儀だなと思いながら、某風紀委員長に「あれは単なる仲良し集団だ」と言われたのを思い出す。言われた当時に球磨川さんはいなかったが、きっと今も同じように思われいるだろう。いや、人懐っこい球磨川さんがいる今だからこそ昔以上かもしれない。天然×2人とあざといとツッコミが織り成す妙なコント仕掛けに、呆れこそ抱かないが静かな安らぎを覚える。



皆と別れ、一人帰路を歩く。はー…っと溜息が出た。
楽しかったや美味しかったや愉快だったや、総じて幸せだったと溜息から実感する。
だが、ふと溜息と共に涙が落ちた。
……………
はて。なんだっけな。俺はどうした?あの改心以来か。いや改心後も幾度かあった気がするが覚えていない。似た感情に襲われたことは幾多もあったと記憶するが、経験の有無の話をしているんじゃない。理解出来ないものは不気味だ。こんな時でも冷静な自分にある種の感心と呆れを覚えつつ、現状理解に頭を働かせた。
これは安らぎの涙か、先程の感情より嬉し涙とも思える。
いや、違う。そういった軟らかい感情ではない。それどころか疲れた。何故か無性に俺は疲れていてそれが現状理解に働くはずの思考を鈍らせていた。
それは持久走を完走したような疲れでもなく、喧嘩する親友同士の仲直りの間を取り持ったような疲れでもない。清々しい類いではなく、ずっしりどっかり俺を沈ませるためだけに生まれた疲れだ。
俺は振り返る。まずはこの疲労の因から考えてみよう。それは…明らかに考えるでもない、本日の馴れ合いが由縁だろう。では何を考えるか。本日の馴れ合いの一体何が俺をそう駆り立てたか。…沈黙ののち、ある人物の顔が浮かび上がった。そう、球磨川禊。以前俺が右腕として居場所だった球磨川さんの言動が由縁だったと直感する。


…戦挙戦後、俺達の仲良し集団にあの人が馴れ馴れしく、まるで竹馬の友のように溶け込んでいったのは、皆周知の事実で、それこそあの人がめだかさんとの対決でまるくなったと証明出来る事項だろう。それは知っている。個人の個性が薄まることに意見はあるだろうが、普通や特別をも負に巻き込む過負荷が別の形で皆が理解出来る形として収められ落ち着き認められたことは良いことだ、と言っていいと思ってる。もちろんあの人にとっても。

俺はあの人の傍にいた。それは時間に換算してみれば数ヶ月だったかもしれない。あの人にとって単なる道具だったのかもしれない。副生徒会長に好意を抱いていたようだったから真似て暇潰しを試みようとしたのかもしれない。どういう狙いがあって傍に置かせてもらえたのか、未だに定かではない。明確な理由など本人から教えてもらえるはずがなかった。そういった好感的に特別視されると自覚出来る一途さを相手にするのをあの人は苦手としていたし。だからはぐらかすに決まってる。
しかし、相手にされまいとも俺にとって球磨川さんとの出会いは、めだかさんとの出会いのように俺にとって原点あった。居場所だった。力の使い方を知れた。安堵だった。初めて俺が『阿久根高貴』として形成した場所だと言える。今思えば汚点と言えるかもしれないが安穏だったとも言える。

…だが、沈みかける疲れが思考を緩く静かに落としにかかる。幸を感じていた心を重く深く沈み込ませる。
俺は知っていた。知っていたんだ。
あの人が、あの人が。俺を必要としていないことを。俺を気に入っていたことを。俺をどうでもいいと思っていたことを。俺を好いてくれていることを。俺を馬鹿にしていることを。俺に愛情を注ぎたいことを。俺と一緒に駄目になってほしいことを。知っていたんだ…

ただ俺は。ただ知っていただけで、何も分かっちゃないことは分かってた。知識と知恵の意味が違うことはよく例え話で聞くから分かるように、知る(認識)と分かる(理解)は違うだろ?
だが、俺はだからと言ってその知識を、知恵として、経験として、意志決定として使わなかった。否、使えなかった。俺にはただそれだけで意志はない。意志がなかった。あの人が俺に抱いた思いとやらは俺の持つ理解力で出来るだけのことは知ってるつもりだった。が、俺はそれにどうこう言いたい意志を持ち得なかった。
それは仕える者として意見を持たずの精神に乗っ取ったのかもしれない。それは昔から自己決定力に欠けた俺が毎度のように欠けた結果かもしれない。それはつまり意志を持つことを誰も教えてくれなかった否、教わろうとしなかった当然の果報かもしれない。然して、俺はあの人に意志を持たなかった。

必要としてほしいとも思わなかった。必要とされたいとも思わなかった。気に入りであり続けたいとも思わなかった。嫌わないでくれとも思わなかった。どうでもいいと思わないでほしくなかったこともなかった。好きでいてほしいとも思わなかった。好きだとも思わなかった。馬鹿にしないでほしいとも思わなかった。愛情を注ぎたいと思わなかった。愛情を注いでほしいとも思わなかった。あの人と一緒に駄目になりたいとは思わなかった。あの人一人が駄目になれとも思わなかった。

ただあるがままを受け入れた。それがそうだと頷いた。
そうしかないと認めるしかなかった。
俺はそれしか知らなかったのだから。



だが、俺は改心した。
めだかさんに出会った。猫美さんに出会った。昔は忌み嫌ってた人吉くんと信頼を置くようになった。力をプラスに使うことを知った。鰐塚さんとの出会いもあり、あれだけ苦手だったといえる意志決定を始めることに成功したんだ。
人生は無意味で無関係で無価値で無責任、とは言わせない。俺が生き様がそう言わせたくない。過去、あの人と出会ったことにも感謝をしている。俺がめだかさんに会えたことも力を負に使うことが出来る危険を経験出来たのは、紛れもないあの人のおかげであると胸を張って言えるし、言いたい。
俺は、自他共認める改心を遂げたのだろう。俗に言う、幸せだ。



ただ今のあの人へ。現在まるくなったと言われるあの人へ、どんな思いを抱いていいか知らない。そして分からない。望むなら分かりたくない。
あの人が皆の中で笑顔でいる姿を思い出すと、後から後から涙が溢れてくる。止まらないんだ。
そう。ようやく俺は気付いた。これが涙の因。あの人が幸せであればあるだけ、俺は胸に行き場のない蟠りを沸き上がらせ、破壊臣にすらなっていない昔のように、行き場のない感情を持て余す。

きっと幸だろう。感謝に絶えないあの人が幸せなことは俺も幸せだ。
きっと嫉妬なのだろう。あの人が俺以外と深く繋がりを持っていることに。俺以外の誰かから幸せを与えられたことに。俺以外と不幸を分かち合うことに。
きっと喜びなのだろう。例えあの人が俺以外の誰かから幸せを与えられたことがあの人にとって喜びであるなら、俺は喜んで仕方ない。
きっと嫌悪なのだろう。あの人が望むならそれでいい、だなんて、まるで依存してたあの頃と何も変わっていないじゃないか、と俺に嫌悪する。が、あの箱舟をなかったかのように振る舞わうあの人自身に嫌悪したくなるときもある。
きっと楽なのだろう。あの人とのすべてをなあなあに流して、今鯛焼きが美味しければいい、今生徒会業務が早く終わればいい、今あの人と仲良しのふりしてればいい、などと楽したい気もある。そして、それらあの人との日常生活を所謂普通の高校生活を素朴に楽しいと思えてしまう時だってある。
きっと哀愁なのだろう。


きっと寂しいんだろう。

きっと親愛なのだろう。

きっと絶望なのだろう。

きっと尊敬なのだろう。
の未だあの近くで力に喜びなのか、


ありすぎる。例に挙げれば、今のあの人に捧げる感情なんて奴はきりがない程に捧げられる。だから知らない。分からない。分かりたくない。その言及はまるでパンドラの箱を開け中に頭から突っ込むるかのような行為だった。
自己決定力を身につけた俺でも、昔の名残からかどうしようもなかった。どうしたいもなかった。どうありたいもなかった。
不確定で未解決の解消されない感情は、どうしようもなく水になって落ちた。


…いい。もういいんだ。
どうでもよくないから、もういいんだよ。
俺はただそのままを受け入れるだけだったんだから。それ以上もそれ以下もない。
疲れているのだろう。きっと明日には荒れた心は落ち着くはずだ。こんな自己暗示を幾多繰り返したか記憶力のいい俺には答えるのに容易い問いだったが思い出したくもなく、人は便利に出来ているもので過度の精神的刺激は忘れるように出来ている。はずだ。きっと、大丈夫だ。きっと…。明日も俺は生徒会執行部書記、阿久根高貴。
…ただ。溢れる水分は暫く出させたままにしたい。その方が疲れは取れやすいだろう、なんて柄になく直感だがたまにはいいだろう。
俺は再び歩きだした。夕暮れの道を独り歩く。



あんたは俺と一緒に幸せになりたかったか知らないが、俺はあんたと一緒に幸せになりたかった。




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