徒然
単なる愚痴。閲覧されるなら注意。






















・二次創作での葛藤のひとつに、私の幸福論不幸論をキャラに重ねてしまいがちになってしまうことがある。あくまでそのキャラクターは私の世界とは違う次元の住人で、私の幸せとそのキャラの幸せは違うのに、私が書くから、私がそのキャラを思ってしまうから、無意識に加わってつい置き換えすらある。
置き換えすらあるのだ。これは由々しきこと。そのキャラがキャラですらなくなってしまう可能性を秘めてる(二次創作始める時点でキャラは手放されたものでそこは諦めなければとは知ってるけど)。しかし私が書くことが私特有さを出す手段であり、武器であり、アイデンティティであり、免罪符でもある。
こう、さ…。私はそのキャラじゃないんだから、あくまで憶測で妄想で空想のキャラ像でしかなく、そこにリアルで作り上げた「私」をどうしてもいやがおうでもでも微量適量練り込んで作り上げたものでしかないんだよね二次創作はー!!!なんやねん!!!なんやねん!!!

私特有さを出す手段なんていらない。平和主義なんで武器は捨てていきます。アイデンティティなんてくそくらえ。免罪符は破りちぎった。そんなものたちなんていらないから、だから、そのキャラを、そのまま、そのまま、どうかそのまま、現せる力それだけを…。


・どうせ、設定遊びなんだから。遊びなら遊びらしく楽しくいきなさい。


・好きなものは別好きでいい。好きなものが出来ることは有意義で躍動的で素敵なことさ。どうかそのままであれ。でも問題は好きの表し方、方向性だよ。


・高貴ちゃん可愛い(極論)


・愛は量より質だ、なんて討論、実は全く問題じゃないんだよ。哀くらいが丁度いい。


・周囲が暗いと私はプラス思考になる。周囲が明るく前向きだと私は静かにじっと暗くなるのです。
それはこう、一人の人間に短所と長所があるように、一人の心に天使と悪魔がいるイメージのように、正しさがあるから負があるように、相俟ってあるんだよ。どちらかが欠ければ誰かが補う。全てが全て正で長所で天使で前向きで、って状態は中々奇怪(常識を外れていて、けしからぬこと)なんだ。

だから、「共存」って概念は非常に非常に私が考えるよりはるかに難しい。難しい!!!誰かと共に幸せになる、誰かと共に不幸になる、というのは結局難儀なことなんだよ。片方の煌めきが増すほどに片方の陰は増していくんだ。互いに相容れない存在だから理解するのも難儀だし。

だから‘共に’‘闘う’ことで無意識にか意識的にか共存を成そうとしているかもしれない。だからめだかちゃんと球磨川先輩は闘うのかもしれない。どちらかが勝利しどちらかがいなくなる状態ではなく、どちらも存在するから闘える状態、それを表してるのかもしれない。
(阿久根と球磨川は…知らん。)


・正直。二次創作のめだ箱を好きで好きで堪らない私は、原作に対して文句不満愚痴言い足りないことを、私はあーだこーだ二次創作で言い包めてしまっているんだ。
それを原作とも自身とも関係ない第三者から高評価低評価を受けようと、それは何の糧になるの。それで仮に意欲は増すことは原作への罪の貯蓄に過ぎなくて。文字は罰を表わしただけとも言えるんだよ。

一番謝らなければならないのは原作者ではなく、原作のキャラクターではなく、共に愛を貫く同士ではなく、「純粋にただ原作が好き!と言っていた自分」に、かもしれない。歪んだ愛の形を生み出してしまい、それを愛してしまい、申し訳ございません、と。

罪を生み出しすらしない私は朽ち果てろ。それだけ。眠れ。


・「肝心の中身を見てもらう前に、ささいな部分のミスで、本来なら評価してくれるはずだった誰かをリタイアさせてしまうのは、あまりにももったいないんです。」
というお言葉を噛み締めてる。まずそこだ。つまり礼儀だとも言えるのか。マナーか。細心の注意を払うだけの根性か。そこが(も)足りなかったんだとひしひし感じてる。




・こんな気分
どこへでも行け。どこにも行ける。どこでも行ってろ。どこか行くべき。どこに行こう。どこだって行く。

きっと可能性は無限大なんだから。無限大の1つ落とした位どおってことない。落下の連続だろうと人生の苦に底なんてないんだからどおってことない。
上に這い上がりたいなら好きにしたらいい。どうせ前ばかり見てる世間体からは、呑気に空ばかり仰いで現実逃避に忙しい奴と言われ置いてかれるのがオチだから。
前に歩きたいなら前に歩けばいい。どうせ行き先道筋行方未定の自分にしか見えない前なのだからどこに爪先向けようが一緒。
横にだって道があるんらしいなら勝手に行けばいい。適材適所、なんて逃げの言葉は置いておくから。どうせ今置かれた場で出来ない奴はどこ行ったって出来ない奴、の現実を歩くだけ。
足踏み状態なら許されるらしい。小学生の帰り道のように寄り道遠回りで見える景色もあるらしい。後ろ歩きって言葉もあるらしい。どうせ理屈だのこじつけだの独りよがりに終わるけど。
それでも二次元に行きたいなら行けばいい。お前はもう戻ってくんな。

どうせ、なんて可能性を潰すような悲観的言葉を使うな、か。いや、いずれにせよ、所詮、結局は。長所と短所が裏表で存在してこそひとつの事象なのだから、端的に負的な部分を局地的に述べようがなんの間違いじゃない。
どうせ言葉遊びだ。遊んで愉しいなら、遊んで笑えるなら、そこが本望だろう。


どこへでも行け。どこにも行ける。どこでも行ってろ。どこか行くべき。どこに行こう。どこだって行く。

だから逝ってらっしゃい。








2013/04/16 22:53
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